きみのように美しく
ありたかったんだ
感謝のような美しい気持ちは自分を攻撃するスーパーエゴが静まったときに初めて実を結び、言葉となり、プロの野球選手のキャッチボールみたいに真ん中に、ぱしっとはいってゆくのだ。
自分への攻撃がどこかへ行ってしまったとき。それが自分を一番みつめられるときであり、自分を感じられるとき。
自分が自由になるときであり、自分が解き放たれるとき。
愛する人たちに きみに会いたかった とやさしく話しかけられたとき
自分が不眠に悩んでいたことや、食欲がなくなってしまっていたことや、それから対人関係に困っていたことや、将来に絶望していたことが、
すべてどこかに飛んでいってしまうようだった。
インディアン・サマーが終わりゆく静かな秋の日に、わたしは美しいひとたちと たくさん触れ合った。わたしはあの人達のようになりたいし、わたしはあの人達を絶対に悲しませたくない。
それだけでも私は生きる理由があり、頑張る理由がある。
私は幸せにならなければならないのだと、つよく、感じる。