裁量労働制を機能させるために必要なたった一つのこと

Ryo
4 min readMar 8, 2018

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最近は仕事しかしていない。やりたいことはたくさんあるのだけれど時間が圧倒的に足りないからだ。世の中の動向を追うのも疎かになっているのでバランスをとっていきたいとは思っている。しかし、仕事をしていないと不安になる。何故ならば自分がつくらなければ何も前に進まないのがわかっているからだ。

会社員として働ければなんの不安もなく毎月一定の収入が見込めるし、経営判断を他社に委ねる事ができるので気も楽になるだろう。仮に働いている会社が傾いても、俺は技術者であり原資は自らの技術や経験であるため次の就職先を見つけることは難しくはない。

しかし、それでは面白くない。自らの人生に対して自らの選択の結果をダイナミックに与えられないのは、俺にとって生きているとは言えない。他人の判断の上に築かれた生活は他人の人生にフリーライドしているようなもので、例えばドラクエならば超レベルの高いパーティに参加して攻撃もしなければダメージをうけることもなく、魔法のひとつも唱えずただただ突っ立ってるだけで経験値を貰い受けるようなものだと感じている。

それはそれで合理的な生き方と言えるかもしれない。一般的な観念で言えばできるだけ小さなリスクで大きなリターンを得ることが是とされているからだ。しかし、そういった合理性だけで人生を見るならば、そもそもとして生きる理由とはなんだ?他人がとったリスクの上にあぐらをかいてのんびりと過ごす根本的理由は?

生きることは元来苦しいことだと俺は思っている。死ねば苦しみから開放されると思っている。しかし、死は不可逆的な現象だと経験的に理解しているため、自らの人生が本当に生きるに値しないものであるかどうかを見定めなければならない。つまり、俺は生きる理由を求めて生きていると言える。

多くの人はそうではないことを理解している。社会通念的に死は忌避されるものであり、自死は迷惑な行為だとされている。そういった観念に盲目的に従っているだけであり、意識的に合意しているわけではないことを理解している。

しかし、このような生き方はブラック企業における社員の働き方そのものだと俺は思っている。どこに向かっているのかもわからず、周りの人間に歩調を合わせて歩かなければならないため、とにかく疲弊する。ほとんどの日本人がそういった感覚の中で生きているため、自傷しているのかと思うほど「他人に迷惑をかけない」ように生き、他人にもそれを求める。

そういった社会通念がなんらかのビジョンに基づいた選択であるならば話は別だろうけど、今の日本にはそれがない。ビジョンとは「そっちに向かう」という行動の動機だ。しかし日本には100年先、200年先どうあるべきかというビジョンがない。だから「他人に迷惑をかけない」という考えの是非が問われないまま、盲目的に付き従うことになっている。

こういった記事で述べられている裁量労働制が機能していないのも、会社やそこで働く人間にビジョンがないからだ。

会社のビジョンに惹かれて組織に帰属するならば、個人の判断は会社にとっての最適解を模索するものとなる。それ故、この記事で述べられるような残業云々といった考えは生まれない。

個人のビジョンに従って働くことを選択した場合も同様だ。その会社で働くことが目的ではないため、自らが是非を判断した行動から得られたインセンティブ、例えば頑張って働いた結果求められるよりも早く仕事が終わった際の余剰時間を返上する理由はない。従ってこの記事で述べられるような残業の話にはならない。

自らが生きる理由を求めずに盲目的に生きる上で体験する、自らにとって好ましくない現象全てはブラック企業のそれと同じだと俺は思う。ブラック企業がブラックなのは、向かうべき道を照らすビジョンがないからだ。

自らの人生を自らの足で歩む理由がないのは、暗闇の中を手探りで這うようなもので、苦しみしかない。ブラック企業で働いているのではなく、ブラック人生を生きているのだ。
だから真に改革すべきなのは働き方ではなく、生き方のはずだ。

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