「学校的価値観」では、あがいて、納得できる人生なんて送れない。

先日、上記の本を読みました。格闘ゲームでのし上がってきた梅原大吾さんと、学校エリートのちきりんさん。この立場が全く違う二人の対談は非常に面白く、豊かな考え方を促してくれる本だと思いました。

さて、僕が注目したいのはちきりんさんが唱えていた、「学校的価値観」です。そもそも「学校的価値観」とは何なのか。

それは、すべてにテストの点のような客観的な基準が存在していると考える価値観。何にでも分かりやすい基準があると思う価値観。「どうすれば評価されますか?」と聞くような人が持つ価値観。面白さよりも、得点などの数字的な結果を気にする価値観。基準に沿わないプロセスは、無駄だと感じる価値観。学歴や職歴がない、つまりプロフィールがしょぼい人を信頼しない価値観。

本から要約すればこんな感じになると思います。なかなか鋭いですよね、ちきりんさんは。僕もどちらかと言えば学歴エリートの方に属する人間ですから、「学校的価値観」の中で育ち、戦ってきました。自分も少しは、「学校的価値観」に毒されているなと感じます。


タイトルにもある通り、人生ってどんな感じなのかについて、少しアイデアが得られたので、まず「学校的価値観」が支配する人生を考えてみましょう。以下の図を見てください。

「学校的価値観」に支配された人生

これが、「学校的価値観」に支配された人生でしょう。大目標は自分が決めたり、考えあぐねた末に導いたものではありません。それは世間一般に「良いとされている」ものです。一番分かりやすい例が、大企業に就職することでしょうか。大企業で何がしたいかではなく、大企業に入社すること自体が目標になっていることがポイントですね。与えられた大目標は、固定的で、画一的です。多様性が発揮される余地はあまりないでしょう。

大目標が予め設定されていることと関係して、実は「学校的価値観」に支配された人生では、小目標もだいたいは、予め設定されています。例えば、「学校的価値観」の定義でも述べた、テスト、つまり良い点数を取ること。また、偏差値の高い大学に入学することが挙げられますね。それ以前の小目標は、優秀な進学校に入って、大学受験の準備をすることなどでしょうか。

ここまで読んで下さった人のなかで、「学校的価値観」の人生では、目標設定能力よりも、目標達成能力が重要視されていることに気が付いた人もいるのではないでしょうか。つまり、なぜその目的が大事なのか考えずに、その目的を達成するためだけの手段を学び、考えればいいわけです。


非「学校的価値観」の人生

対してここからは、「学校的価値観」に染まらない人生とはどんな感じなのか、僕の貧しい実践知を交えつつ考えてみたいを思います。

まず大目標とは何か、それは、自分が、自分自身が何をしたいのか、何をするべきだと考えるのかによって設定されます。何が好きなのかとも、言い換えることができるかもしれません。それはとても抽象的なものかもしれませんし、不安定で、一時的なものかもしれません。そして、それは確実に試行錯誤の中で変化します。

大目標がひとまず決まれば、それはぼんやりとした指針を小目標群に与えてくれます。なぜ、「学校的価値観」の人生図の時とは違って、小目標が群として扱われているのか。その理由は、「段階不確実性」によるものです。
段階不確実性とは、小目標を設定し、その達成に向けて努力しても、その行為が本当に大目標につながっているのかは、分かりようがないということです。時には直接、その小目標達成がきかっけとなって、大目標に近づけるかもしれません。時には、その小目標達成が他の小目標を生み出し、間接的に大目標達成に近づけるかもしれません。また時には、まったく役に立たないかもしれないのです。それはまさに、「神のみぞ知る」領域でしょう。

小さな目標の達成を目指し、それを実行することで、私たちは、自分自身の実感を伴った、いくつもの経験を得られることが出来ます。そしてそれらの経験は、大目標に影響を与えます。現実の厳しさを知り、大目標の修正を迫られたり、大目標の現実味を増すことに成功したり、新しい大目標を得ることが出来るかもしれません。

そして、そうやって変化した大目標は、新たな緩やかな指針を小目標群に与える。その循環・相互作用が、人生の本質なのかもしれませんね。大吾さんはこの一連の過程を、本の中で、「あがく」と表現されていたと思います。また、あがいた末の、腹に落ちるという感覚=「納得感」が良い人生を作っていると表現されていたような気がします。

こちらの人生では、目標達成のための手段を考えるだけでなく、目標自体を常に考え続ける必要があるのです。自分がしたい事を実現するには、どのような目標を立てればいいのか。その段階から、考える必要があるのです。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。これからの段落は、「学校的価値観」に染まらない人生において、小目標を立てる時のコツを書いていきます。備忘録もかねていますが、読者の皆さんの役にも立てると思いますので、ぜひ読んでみてください。コツは三つあります。

まず一つ目は、小さな目標は本当に小さくして、とても具体的にするべきです。何故、具体的である必要があるのかといいますと、出来そうだという気持ちを感じる必要があるからです。僕はこれを「達成可能性」と呼んでいます。
達成可能性はやる気の維持に不可欠です。例えば、正規雇用と非正規雇用における同一賃金・同一労働の問題を解決しようという目標は達成可能性は限りなく低く感じるかもしれませんが、ある一つのNPOの活動内容を理解することは、それと比べるとずっと簡単に感じますよね。

二つ目は、どれくらいの期間でその小目標を達成するのか決めるべきです。人間は全然強くありません。意志の力なんて大したことはありません、残念ながら。だから、期限を決めないと、必殺技「先送り」をしてしまうかもしれません。のんびりやっていくのもいいとは思いますが、人間はいつ死ぬか分かりません。それに人生の早めの段階で行動すれば、もしその行動が間違っていたとしても、修正が容易にききます。
もちろん、どれくらいの時間を期限として設定するのかを、すぐに決められない場合は、適切な期限の設定を小目標にして、そこから考えていきましょう。

三つ目は、不安を適切に対処すべきです。不安には二種類があります。一つ目が、出来るか出来ないかを不安になるものです。これを言い換えると、「達成可能性」の問題になります。要は、小さくあるべき目標が十分小さくないのです。もっと具体的にして、小さくしていきましょう。「できる」という感覚は、何にも勝ります。

二つ目の不安は、「学校的価値観」に染まっていないが故に生じる不安です。今自分のしていることは、大目標(未来)につながっているのかどうかという不安です。これは前述のフレーズに言い換えると、「段階不確実性」の問題だと言えます。先ほども説明しましたが、何をどうすれば大目標につながるのかは、分からないのです。「神のみぞ知る」領域なのです。だから、この不安や心配は、考えても無駄です。吹っ切れるしかありません。もしくは、不安に対処するコーピングスキル、例えば瞑想などを通して、この手の不安に向き合い、自分自身を信じるしかありません。

もう気づいている人もいるかもしれませんが、実は十分小さい目標が設定できれば、それを実現するための方法はもう決まったようなものなのです。なんだか、スポーツにおける、試合の勝ち負けは、試合の前に既に決まっているという考えに似ていますね。正しい問いがたてられれば、解決は簡単なのです。


まとめ

・「学校的価値観」の中では、問題や目標を設定することはあまり求められない。求められることは、ただ、与えられた目標達成のために努力すること。

・本当に良い人生を得るためには、大目標と小目標群の相互作用の中で「納得感」を得ること。

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