城の壁②

昨日感動したことに、今日感動できなくなる。

そんなの当然だろ?

そう思うでしょう。正解です。それが当然です。なぜなら今「感動」という言葉が最も意味する物自体があなたの理解の範疇、つまりこれまでそうやって生きてきたという人生の解釈の中で完結しているからである。

簡潔に話す。

僕から提示されたこの言葉の意味を捉えようとしてときに自分がそう思える身近な例を手にとって解釈しているということだ。

これこそ

コンフォートゾーン

である。

外部からアクションを投げかけられた時、自分が理解しやすいように解釈し、心地よく受け入れられる範囲のことだ。

この存在こそ、僕が渾然と「壁」は君臨し続けるべきと考える根本である。

説明を加えると、壁の中が自分の能力であり、知見であり、交友関係、など自分を形成する様々な物で、その外は自分の専門範囲外、もっと言うと、

壁の内は自分でどうにかできること、外は自分ではどうにもできないことである。

だから、外にあるもので延々と悩んだりするのはそもそもお門違いである。自分の手の届く範囲でしか、人は問題を解決できない。

ここまでくるともう答えは出ている。

コンフォートゾーンを広げられるように努力すればいい。

((昨日感動したものが今日には感動しない。あれだって立派なコンフォートゾーンの増築であり、昨日の感動はすでにあなたの一部として吸収されているからこそ、そういった感情になる。違いは問題意識の有無だけ))

最初は気持ちがわるいものだと思う。自分が快適だと思う世界を抜けるのは容易ではない。

だが、

壊しては造り、陣地を広げる、この繰り返しこそが成長であり、人間として多様性を増す唯一の方法だと僕は考える。

この矛盾しているようで互いに依存しあっている二つの意味での「壁」の解釈は僕にとって人生で最も忘れがたい考え方の一つである。だからこそ、当ブログ名にした。

これからいっそう僕は僕自身にある「壁」を破る、そして、これから自分がどういうものに触れ、どう自分に落とし込んだかを具現化する。そんなブログにしていこうと思っている。

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