城の壁①

当ブログ名でもある「城の壁」。

いったい、どういう意味か。勿論、比喩表現であり、とは「自分自身」の事で、とは自分を取り巻く「コンフォートゾーン」とそれ以外の世界の間を意味する。

僕はこの壁を障壁であり、しかし、渾然と存在すべきものだと定義する。非常に掴みづらい定義だ。

この二つの相反する定義を解説する。

まず、「障壁」という意味合いについて。

僕は成長過程にある人間をしばしば、「卵」に例える。何をもってして成長というのかは人それぞれだが、成長とは”生物や物事が発達し、大きくなる”ことを言う。つまり、物理的な意味でも、精神的な意味でも発達し、大きくなること言うのだろう。

人間は「卵」そのものである。つまり、「中身」と「殻」である。

そして、成長したいとする自分(「中身」)を食い止めて邪魔をするのが「殻」で、これが障壁だ。つまり、打ち破る必要がある。

この「殻」を破るために、人は様々な環境に身を置き、様々なものに鼓舞され、ぶつかり、ヒビを入れる。そこで、「殻」を破れれば問題ないが、現実はそうはいかない。ぶつかっていった自分を評価するに留まってしまい、本質はどうだろう、実はぶつかる以前と何も変わっていなかったりする。

これが非常に危険である。自身の一部である「卵の殻」には自分を大切に守っていたいという、変わりたい自分とは真逆の感情を露わにし、そのヒビの修復としてより分厚い殻を用意する。これが一層破りづらい。この繰り返しでかわいくてしょうがない自分を守る続けることによって、「変わることのできない人間」になってしまう。

昨日感動したことに今日感動できなくなる。

心を動かされた時は何かが変わるチャンス、これを逃していると、自分自身から動こうとしない「達観人間」になってしまう。

それではまずい。だが、それがいい。前述の通り、僕の壁の定義は矛盾している。

それを次のブログで説明しよう。

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