「まさに今決めた、毎日書くのだと。」

所信表明なんて何年ぶりかしら。

週に2日、月曜/土曜に書き物をする生活を始めて、8カ月が経った。
8か月間通して書き洩らしたのは一度だけで、私からすれば随分と「向いてる」習慣だったに違いない。

正直なところ、週に2回の執筆は精神的につらくなってきていた。
人生がつまらない、どころか、人生とはつまらないものだ、とさえ思うようになっていた。
1日に数秒ずつ感じてきたこの思いがとうとう数日続くようになってしまった。これはよくない。
向いてようが向いてなかろうが、好きだろうが嫌々だろうが、同じことを定期的に繰り返すことは苦痛を伴う。
その苦痛がピークに達した6月、私にはもう書くことに関して才能はおろか、継続する最低限の根気すらないのではないかと考えるようになった。
執筆頻度を減らすか、ここに書ける様なネタを系統立ててまとめる新たな習慣を作ろうか、あるいは書くことをやめるか。
数日のうちに何らかの決断をしなければとバイト先で注文を取りながら考えていた。

そして決めた。
毎日書く。

読者の皆さまは、恐らくこのような高らかな宣言とともに数週間後に更新/交信の途絶えたブログを何度も目にされてきたことだろう。
人間、できない約束をして失敗を重ね、信頼を失い、場所を転々としながら、ある日、これまで決して見ることのできなかった背中に自分がどれほどひどい人間なのかが書かれているのを知る。

インターネットは世界だ。
すなわちインターネットには、ショーウィンドウがあり、ポルノグラフィックがあり、感動めいたものもあれば、ゴミ捨て場もある。
側溝に沈殿した得体の知れない物体は、書きっぱなしのブログ、打ち捨てられた言葉の塊そのものだ。

私が手にしたこの空間も結局のところ、私の生命の都合上、期限付きの空間である一方で、永遠に残る可能性を秘めている。
インターネットが朽ち地球が荒廃しても、言葉を再演し投影する物質が存在し続ける限りにおいて、どれだけくだらない言葉であっても残るかもしれない。

私は書かれた言葉エクリチュールを非常に軽視していた。
発話された言葉は戻ってこないかもしれない脆さがあるが、書き言葉は多くの場合保存が約束されている。
そのことを自覚せずに、その場をやり過ごす言葉ばかりを吐き出していた。

週に2日の執筆でやり過ごす言葉ばかりを出していた、という人間が、週に7日執筆すると云いだすと、より一層その場しのぎの言葉が積もるのではないのか。

ご指摘ごもっともである。
そして、ご指摘なんて糞喰らえだ。


毎日続けることの難しさを熟知しておられる読者の皆さまにおかれては、これからの私の取り組みに対して数種類の楽しみ方が用意されている。

1.いつ毎日の執筆が挫折するのか見物する
2.毎日書くうちにネタが使い回されているのを見て軽蔑する
3.一切の私の取り組みを黙殺し私の存在を忘れるという見えない苦痛を送り続ける
4.酒を飲ませて酔わせるなどして、書けない状態に追い込む

これらのお楽しみに応えられるよう、まずはMediumを始めた時の約束事を再度確認しよう。

1.写真は自分で撮ったものを使う(動画や他者のページを引用することはあるが写真は引用せずに自前のものを用意する)
2.書き洩らした原稿は日を改めて補うことができる

さて、これからどんなコンテンツを増やしていくか、まだまだ思案中だが、まずは書きながら考えてみたい。

2017/6/9
本田 龍之介