駅まで息切れ。

走ることについて僕が語るべきでない、いくつかのこと。

日常の生活の中に、「走る」行為が組み込まれた人は、ごくわずかだ。

健康のため、精神安定のため、世界認識の平衡化のため、何かから逃げるため、もしくは逃げる者を後ろから追うためなど。

象徴的に概念的に、犯罪心理学的に、形而上的に、宇宙物理学的に走る

まぁなんでもいいのだが、教育的に、どうも走ることはよしとされていないようだ。

特に廊下を走ることは固く禁じられている。この世の数少ない確からしい重力の1つと云えよう。

つまり、廊下を走ることは、主に義務教育下にある学校の廊下を走ることは、物理法則に逆らうことで、どのフィールドを走るよりも気分がいい。

6年間、のらりくらりしながら陸上部の長距離を続けてきた人間が言うのだから、異議は一切受け付けない。

テレビ中継がされる大会で走ることよりも、運動会のかけっこなんかよりも、素晴らしい舞台は他にある。

わたしが知る限り、世界で最も走ることが気持ちのいい場所は、義務教育下にある廊下であろう。

そして、この地上において2番目に最も気持ちの良いランニングロードは、元町から三宮まで走り抜ける日付変更線は、素晴らしい。

特に7分で三宮➡元町➡三宮を駆け抜けた日などは、相当数の疲労数とともに、爽快感がやってくる。

タクシーを使えばいい等と云うなかれ。

走って間に合った終電には、多少の事柄がどうでもなんとか対処できるんではないかという幻想わたしに抱かせる。

あぁ、さすがにここまでくるともう白状せざるを得ないのか。

否、自分の今置かれている状況、誰もがこの感情を書きたいはずだ。

まぁみんな多かれ少なかれ思うことはあるだろう。

2016年の11月20日という日には。

整髪料が目に入った時の共感を得たいように。

なんとかなる、周りの環境に馴染んでいなくとも。

自分のことを少しずつ。ただそれだけ、絶え間ないくだらないことを。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.