私たちはいつだって、笑いたいし感動したい。〜笑いと倫理のジレンマ〜

平木
平木
Aug 22, 2017 · 3 min read

「倫理・道徳」と「エンタメ・笑い」その関係値が非常に難しい。

どうも平木です。

唐突なんですが、こんなことを思ったので投稿させていただきます。

今朝、道を歩いていたらすごく主張の強いTシャツを見つけました。背中に6体の身体全体の骸骨が描かれているもので、それぞれの骸骨の下に、「gay」「lesbian」「bisexuallity」「transgender」「relligious」あと一個なんだったっけ、っていう風に書いてあるんですね。

そして骸骨は全部同じ形。

すごくメッセージ性が強いですよね。

そのTシャツを見て、冒頭のことをふと思ったわけです。

コントとか。あるいはドラマ。もしくは日常の会話の中で。

「ホモじゃん!」という(ニュアンス的に類するものを含む)言葉は、幾度も笑いを起こす言葉として聞いてきました。実際にLGBTの方や何かしらの差別にあってきた方々で、不快な思いをされる方がいらしたら本当に申し訳ないのですが、僕自身もそういう風に悪気もなく、ただその場の空気が面白くなると、浅はかにも使ってしまう時があります。

例えばバナナマンとか、結構日村が女装したり、ホモだったりするコントネタがたくさんある気がしますが(決してバナナマンを貶めるつもりはありません、むしろバナナマン大好きです)、それってどこまで良いものだろうか。

例えば、バナナマンがすごく好きだったLGBTの方で、そういうコントを見てファンではなくなってしまう、とかもあるのだろうか?

それとも、それはそういうものとして見てるから、不快に感じるとかがあるわけではないのだろうか?

そしてあからさまな笑いのネタでなくても、例えば感動のネタに使われたりとか。

有名なTEDの動画で、Stella Youngさんが「感動ポルノ」という言葉を使っていますが、すなわちそういうことですよね。

下のURLがyoutubeの動画です↓

https://www.youtube.com/watch?v=8K9Gg164Bsw&feature=youtu.be

でも、それがあることによってやっぱり面白くなるし、深みが増す部分もあるかもしれないわけで。

これを読んでいるあなたはどう思いますか?

おそらくどっちかが絶対だよ!っていう人はなかなか少ないかと思うんですが、どこで線引きをするか、そのラインを見極めるのがなかなか難しいですね。

明らかに悪なのは、「それで笑いを取った、でももしかしたらそれによって傷つく人がいるかもしれない」ということを想像することができないことだと、僕は思っています。

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平木

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平木

日常の出来事も繋げていけば一つの物語になっていく。日々のメモとして開設されたブログ。文章を書くことが好きだったり超好きだったり、すげえ好きだったりする。

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