毎日がつまらない / 1_WALL

今回は、「1_WALL」で展示していた若手写真家の作品を紹介しながら、90年代生まれの写真家が、写真を通して何をどうやって表現しようとしているのかということを考えてみる。

写真家で「若手」というと、30代あたりの人たちを指すことがわりと当たり前なことにびっくりするけど、そのなかでも、写真家の登竜門的なコンペ「1_WALL」は、20代の受賞者が多い印象。展示は、審査を勝ち抜いてきたファイナリスト6名によって行われる。今回のファイナリストは、ほぼ90年代生まれ。自分が93年生まれだから、同世代として彼らがなにを考えて写真を撮っているのか、いつもよりも注意深く見てみたくなった。(ちなみに、2008年までは「ひとつぼ展」という名前で、その時代に学生だった30代以上の人に「ひとつぼ展」と言うと懐かしがられる。)

と言っても、全員を紹介すると長くなってしまうので、グランプリを獲得した佐藤麻優子氏の作品を中心に見ていきたい。それに彼女のステートメント「取り残されて、毎日を繰り返している。つまらない。どうしたらいいのかわからない。」という一連の言葉が、展示全体を見たあとも、なんとなく引っかかっていたのだった。

佐藤麻優子氏の展示作品は、ここから見られる。www.537.jp

「つまらなさ(=退屈)」とは、若者らしいテーマだと思う。いつの時代も、若者は退屈してきた。ありあまる時間のなかでモラトリアム期を過ごし、何をするわけでもなく、延々と時間を無駄にしていく……。

たしかに、写真に写っている女の子は、ほとんど無表情に近いし、舞台は、部屋、スーパー、ゲーセン、住宅街と、電車に乗らずとも行けそうなほど身近で、なんとなく見慣れた風景だ。「わ~きれい!」と言えるような感動のスペクタクルはないし、人生を揺るがすような大きなドラマは存在しない。端的に言ってしまえば、地味なのだ。

つまらなさそうというか、インスタに投稿するまでもないような瞬間(というと大げさだけど)が、写真としてポンと展示されていて、いや、分かるけどもな……と、自分の写真フォルダを見ているような気分にさえなってくる。われわれの日常に極めて近い。

ただ単につまらないというだけであれば、分かるわ~ということで終わっていた。きっとなんのメモも残さず、通り過ぎていたと思う。でも、それだけじゃなかった。「つまらない。」と言いつつ、どの写真にも、ほのかにユーモアがあるのだ。めちゃくちゃ笑えるわけではないけど、なんだか可笑しい。そんな微妙なズレみたいなものがあって、どうにも引っかかった。

ちなみに、こういう類の笑いを映画では「オフビート」というらしい。ゆるい定義としては、以下の通り。

普通とはちょっとズレている、不器用な人たちの振る舞いのおかしさを、 
熱い情熱をひた隠しにしながら、乾いたタッチで、 それでも愛を込めて描く。はぐれもんの笑い。

「普通とはちょっとズレている」「振る舞いのおかしさ」このあたりは、なんとなく大事そう。

要するに、先立ってまとめると「つまらなさのなかの笑い」というのが、彼女の写真の面白さなのでは、と思っている。

では、それがどのように写真に現れているのか。それがどういった意味をなすのか。

写真を見ていってみよう。

<ゲーセンの床にへたり込む女の子>
この白いニットを着た女の子が、今回の展示作品で一貫して登場するモデルとなっている。この写真を始め、どの写真も無表情だ。写真に写り込んだゲーム機の数は少なく、スーパーに併設されたゲームセンターのようでどこか寂しげだ。「普通とはちょっとズレている」ポイントは、やはり床に座っている点だろう。小さい子どもが、ぐずって床に座りこんでしまったようなポーズをしている。振る舞いのおかしみは、たしかにある。

そしてさらに、おかしさを読み解くうえで近年の「女の子写真」と対比してみると、「普通とはちょっとズレている」点がより際立つかもしれない。

「女の子写真」とは、古くは、90年代のHIROMIX長島有里枝までに遡る。その定義としては、「コンパクトカメラで、まるでお喋りを楽しむように、自分の好きなモノだけを好きなように撮る」と評論家の飯沢耕太郎氏がまとめている。当時は、女の子の飾らない瞬間(特徴的なのはセルフヌードなど)を、気軽に捉えるということだった。
 しかし、近年は、少し形を変えて「女の子写真」が、ちょっとしたブームとなった。それは、「写ルンです」といったフィルムカメラによる手軽な撮影方法と独特な質感の魅力の再発見と、SNS上で「被写体モデル」としてアマチュアのモデル活動を行う人々による協働によって生まれたものだ。(「被写体モデル」について以下に簡単な説明がある<> <>)

ここ数年、SNS上には、カメラマンの習作となるような作品がタイムラインにたくさん流れてきた。こうしたムーブメントの代表格としては、安藤きをく氏などが挙げられるだろう。現代の「女の子写真」の特徴を、雑に説明すると、「とにかく可愛い女の子を、街中で可愛く撮る」といったかんじ。(上記リンクから写真を見てもらえれば、雰囲気は掴めると思う。)近年、ファッション誌や広告の業界で活躍する奥山由之氏の初の写真集のタイトルは「Girls」。彼もまた遠からず、同一の系譜にいたと言えるかもしれない。奥山氏からの例も分かるように、近年の「女の子写真」は、ファッション誌からの影響を多分に受けていると思う。

佐藤氏の写真に戻ろう。彼女の写真を見ていると、近年の「女の子写真」の様式をなんとなく模倣しているように見えてこないだろうか。「女の子を街中で可愛く撮る」ということを前提に見てみると、やはり、ちょっとズレているというか、残念な感じになっているというか……。また違った面白さが見えてくる。

<スーパーの店員の制服を着た写真>
白いニットを着ていた女の子は、スーパーの制服に着替えている。普通であれば、可愛く着飾るところを、えんじ色のエプロンと三角巾というリアルでちょっとダサい格好だ。そして制服のままスーパーを抜け出して道路に繰り出している。道路に寝そべっているポーズや、カメラを見つめる表情はどこかぎこちない。「女の子写真」特有のファッションフォトから影響を受けたようなポージングはないし、満面の笑顔や、意味ありげで気だるげな表情もない。理想の写真のイメージはあるけれど、自分でやってみると、なんだかちょっと違う。微妙なズレが、なんとも言えないおかしみを生み出している。

<住宅街にいる白いニットを着た女の子>
これも、同じだ。背景となっているのは、ゴミ箱が置かれた薄暗い家と家の隙間だったり、建築計画の看板が貼られている閉店した寂しいお店だったり、とそこで撮るの?と言いたくなるようなフォトジェニックとは言えない場所を選んでいる。

本気でやってるのか?隠れた意図があるのか?だんだんと疑わしくなってくる。

「1_WALL」の最終審査では、展示をプレゼンする機会が作家に与えられる。その際、作品作りに関して彼女はこんなことを言っている。「自分がどんなことを考えているのかなどを文章で書いたものを、彼女(モデル)に見せました。そして、絵コンテも描いて、ポーズなどを指示しました。」

つまり、偶然出会ったかのように見えた瞬間を収めた写真は、実は、絵コンテまで書いて事前に計画されているものだった。ということは、意図して「つまらなさ」や「普通とはちょっとズレている」要素を作り上げていることが分かってくる。

女の子が無表情であることも、わざわざ的を外したような場所で撮影することも、ステートメントにある「つまらなさ」やそれに対する困惑を表現するために、意識的に選ばれていたのだった。

そして、そうした創作のプロセスを経て生じる言われようのない「笑い」が、つまらない毎日から半歩離れるような距離感を取りつつも、つまらない毎日を肯定しているように思える。つまらない毎日が過ぎていくことに困惑しつつも、ちょっとしたユーモアで立ち向かっていくこと。彼女は、そういうことを写真で実践しているのではないだろうか。

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