なぜ?コーヒーの焙煎をしているの?

ある友人に問われて答えた。

それって、普通じゃないよね。

無茶苦茶ギフトじゃん!天から与えられた才能だよ。

僕は自然にやってることだから、全く意識していなかった。

それを書いてみる。

もともと学生寮に入るまで僕はコーヒーには縁がなかった。

面倒みてくれた6年生の先輩が地下喫茶の跡継ぎに僕にコーヒーを教えてくれた。

(僕の学校は留年して5〜7年いる人が普通にいた。のは置いといて。)

ある時

「さんぽの淹れるコーヒーは美味いんだよなぁ」

と特に誉めるわけでもなく僕の淹れたコーヒーを飲みながら言ってくれた。

僕はその自然な誉めことばが沁みた。嬉しかった。

僕はもてなすのが好きになった。

「美味しい」のひとことのために。

僕の部屋にはコーヒーを飲みに来る人がいた。それぞれこだわりがあるので、淹れ方をお湯の温度や時間とかいろいろ試したりもした。

で、ある時

焙煎をして高い豆を飲んでみたいと思った。多少自分でやると安いので手網焙煎というやつだ。

手網焙煎は無茶苦茶奥が深くて、毎回味が変わるし、いい感じにできた次は生焼けになったり大変だった。

でも、あるとき

素晴らしい!

これはなかなか買えないレベルかも!というコーヒーができるようになってきた。

しばらくそうやって新鮮で美味しいコーヒーを楽しく堪能していた。本当にほぼほぼ満足していた。市販品にはないレベルだったし。

また同時に並行して

懇意にしていた珈琲店の焙煎機を時間貸ししてもらって、焙煎し友人価格で買っていただくことも始めていた。

あるとき

焙煎機でないとできないレベルの美味しさがあると感じてしまった。

少しだけど大きな差

それは超えるのが困難に思った。

もしかしたら、ほとんどの方には気にならない差かもしれない。でもね。

僕には大事だったんです

僕はその時、幸運にも貯金があった。かなりの出費(90?80?)だったし、そんな大金使って元はとれるの?とか言われたけれど。

特にお客さまがいたわけではないのに

その後

焙煎機は実家→新宿区→新宿→品川→大阪と共に旅をして今、広島の鞆の浦にいる。

新宿から品川に移る時も

品川から大阪に移る時も

手放そうと思ったけど条件が合わなかったり、木造アパートの下の階が退職されていた方だったり、焙煎機は僕の針路を導いてくれている。

で、何が僕の自然にやってるから気づかなった天からの才能かというと

僕は自分の大切にしている「美味しい」を見つめているだけで、部屋に焙煎機があり、全国にお客さまがいて、僕のコーヒーを楽しみに待ってくれている。

僕は「美味しい」コーヒーを作りたい 飲みたい もてなしたい→いいな→気になるな→やってる→予想もしない展開

お部屋に焙煎機があるって普通じゃないよ〜♪

そうなんだ。気がつかなかった。

僕は僕の

美味しい

を辿ったんだよな。

鞆の浦に住むのもそうだった。

岡山に行く→「鞆の浦」が近くと知る→仙酔島で泊まる→友人の店開きを知る 行く→鞆の浦でイベントがあると知る 行く→いいな ここ→いいな この街のひと→今 引っ越し先探していたんだよな この街住みたい→空き家があるって→どこ?→午前中のいいなと思ったイベント会場→住みます♪→次の日 管理人さんと会い仮契約→心の底でずっと求めていたHome(家 故郷)を体験している今。(岡山から3日後引っ越しが決まった)

ただ僕は僕が

自然を求め、気を身体を力を抜いて暮らせる

ことを望んでいた。

僕の強力な共感能力のためにそれはどうしても必要だった。

自分の中で大切なことを見つめて、周囲のセンサーにかかることを自然に行動しているだけで、予想以上に導かれる。

僕はセンサーを張って見聞を広げてる

「自然と行動している」

これギフトに違いない✨

気がつかなかった。言われるまでは。意識せずにしてることだから。