あいちトリエンナーレ2019鑑賞記 2 モニカ・メイヤーの中断と再開

さて、前回の「表現の不自由展・その後」の鑑賞記からだいぶあいてしまった。Mediumによれば、現時点で100人も読んでないんだってよということでやる気出ない。

とはいえ、書かないと忘れてしまうことも多いので続きを。今回は、不自由展の中止に伴って作品の展示中止や内容変更があったこと、不自由展の再開に伴い、それらが展示を再開したことについて。

私が最初に行った8月24・25日というのは、すでにかなり展示中止があり、しかし、それ以降もいくつかの展示中止や内容変更があった、というタイミングになる。そして、再び行ったのは再開した不自由展を見るためだったので、展示変更の全てを見ることができたわけではない。例えば、田中功起の展示変更については見る機会はなかった。

ただ、全体を通しての印象では、この中断・再開そのものを通してアートの力を強く印象づけてくれたアーティストは少なかったと思う。もちろん、単に閉鎖された部屋が並ぶということが主催者にとっては痛手であり、不自由展再開を求める大きな圧力になっていたのは疑いないが、それとは別の意味で。

その数少ないうちの最大のものが、モニカ・メイヤーの “The Clothesline” だ。

公式サイトの作品紹介、そこにあるのは、間違いなく、あいちトリエンナーレ開幕準備段階の写真だろう。不自由展の一連の問題の発生前で、整然と展示されている。正直なところ、この引きの写真では、私は作品のインパクトが分からなかった。そして、開幕と共に高い評価の声が聞こえてきたが、しかし、不自由展中止に伴い、展示変更となった。

私が最初に見たのも、この展示変更によって作られた “沈黙の Clothesline” だった。

沈黙のClothesline (モニカ・メイヤー)

これはこれで無残な姿ではあり、抗議の意思ははっきりと分かる一方で、もちろん、作品の強さもかき消された状態となっている。不自由展再開後は、もちろん不自由展を見たくて名古屋まで行ったのだが、しかし不自由展は抽選である以上、外れることも考慮する必要があった。再開作品を見ることができる、というのはリスクヘッジだが、まだ見ぬ作品もあるが、やはりこの作品のその後というのはかなり気になっていた。

そして、再開後に見たものは、予想を越えたインパクトがあるものだった。

まず、基本的な “The Clothesline” を確認する。あえて、寄った写真をひとつ。

再開後の “The Clothesline” (モニカ・メイヤー)

寄ると、ワークショップ参加者や来場女性のメッセージがしっかりと眼に入る。こうした、現実社会で長らく抑えつけられてきた女性達からの物申すメッセージが並ぶ光景は本当に力強い。それを可視化したこの作品の評価が高いのを、やっと実感できた。

ただ、ここで話は終わらない。抗議などで中止や展示変更をしていた中ではおそらく唯一、不自由展再開後にこの展示は意図的に展示変更中の姿を残していた。つまり、 “The Clothesline” と “沈黙のClothesline” はハイブリッドになっていた。

“The Clothesline” と “沈黙のClothesline” のハイブリッド

このハイブリッドの効果は絶大で、不自由展中止と再開という文脈を離れて、「沈黙を強いてきた男性社会の暴力」の可視化に見えてくる。実際の時系列では沈黙から再開で戻したのだけど、同時に展示されているので、女性の声と男性の暴力がせめぎ合っているような感触を抱いた。インタラクティブアートだからこそ臨機応変に作品を変化させることができたとも言えるが、しかし、これはどう考えても一連の流れの中で作品が大化けしたという印象を持った。

ここまで来ると、彼女が不自由展再開を求めるアーティスト達のプロジェクト #YOurFreedom にフォーマット使用許諾を出した入れ込み方もごく自然なものに思える。

「表現の不自由展・その後」が一時中止に追い込まれた、右派からの攻撃の主要なターゲットのひとつは、言うまでもなく「平和の少女像」だ。「従軍慰安婦」達は自由意志の売春婦だった、みたいな歴史修正主義が政権支持層を覆っている日本が世界の中で特殊なだけであり、アレは性奴隷という女性の人権への重大な蹂躙だったね、というのが世界の主流の認識だというのは言うまでもないことだし、そもそも日本政府だって河野談話を踏襲し続けている。日韓の問題よりもまず、少女像は、女性として厳しい立場に置かれ、その後も偏見の中苦しんで老いていった元従軍慰安婦らを象徴する像であり、その展示を脅迫と、それに付和雷同する者たちの声で展示中止に追い込んだ日本社会を、フェミニズムアーティストとしてThe Clothesline シリーズを製作し続けてきたモニカ・メイヤーが「沈黙を強いる暴力的な男性社会」と認識しても不思議はない。おそらく、単に「表現の自由が侵害された」という抽象論ではなく、その内容こそが彼女にとって問題だったのだろうと思う。だからこそ、単に展示閉鎖するのではなく、その暴力を可視化する展示変更をしたのだろうし、再開後もその傷痕をあえて残したのだろう。

最終的に展示が再開されたことで、この展示をきちんと鑑賞できたことは、今回のあいちトリエンナーレでの主要な収穫のひとつと言っていいだろう。

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