萌の朱雀と桜祭り

先日、奈良県五條市が主催するイベントである、河瀬直美監督の映画「萌の朱雀」の撮影地域を監督と一緒に歩くトレッキングツアー「萌の桜祭り」に参加してきました。

そのツアーに参加するに至るまでの思いと、萌の桜祭りに参加した感想をここで述べたいと思います。


河瀬直美監督との出会い

個人的なことですが、私は元々とにかく華やかなものが大好きでした。そして派手で、煌びやかなものこそが無条件に美しいもののように見えていました。その価値もよく分かっていないままブランド主義になびいてみたり、取りあえず雑誌に載っているものが美しい、お洒落であると信じて疑わなかったのです。そして、自分に似合う筈も無い服に憧れては、雑誌のモデルさんの様には着こなせないという現実をただ目の当たりにするばかりでした。

つまり、私はこれまで、私自身と全く無関係な物のただ表面だけを見て「美しい」と感じてしまうある種の錯覚をしていたのです。実際のところは、誰かが「良い」と言うのをそのまま真似していただけなのに。

しかし、たった10分弱の、とある映像に出会ったことで、私は「心から何かを美しいと思う」という体験を自覚を持ってすることができました。それが、河瀬直美さんが監督され、サカナクションが劇中音楽を担当していることでも有名な MIU MIU WOMEN’S TALES(女性たちの物語)#11 「SEED」というショートフィルムだったのです。

私はこのフィルムを見て、現在の自分を育んでくれた背景を大切にし、愛おしみ、忘れずにいることの価値に気付きました。

例えば、このショートフィルムの中で鳴いている虫の音。西洋ではしばしば煩がられるであろう虫の鳴き声は、日本というある共通の文化の中で生きてきた私達にとっては、何となく心地良いし美しいと感じられるのではないでしょうか。それは日本という国が長い歴史の中で、四季折々の変化と共に生活し、謙虚に自然と寄り添う心を培ってきたからだと思うのです。しかし、現代は日本でも特に都会に住んでいると、そんな自然の遊び心に触れる余裕が無くなってきたように思えます。とはいえ、毎年春になると必ずたくさんの人がお花見に出掛けるように、心の底では日本人が本来持っている、美しいものに対する視点は生き続けているのではないでしょうか。桜は満開になると確かに豪華で華やかですが、少し風が吹いただけでひらひらと散ってしまう儚さも持ち合わせています。その儚さ、切なさに対しても、私達日本人は美しいと感じているはずです。そんな目立たない趣も感じられたら幸せですね。

MIU MIUのお財布や鞄と言えば、多くの女性の憧れです。きっと多くの女性はMIU MIUと言う名前を聞いただけで「可愛い」「欲しい」と口にすることでしょう。確かにこのブランドの商品はどれも素敵で魅力的だと思います。しかし、その良さを認める殆どの人は、その作品の表面しか見ることができていないのではないでしょうか。

なぜ私達はMIU MIUの虜になるのか。デザイナーや、その商品を作っている人は何を伝えたくて、どういう想いでその一つ一つを作っているのか。それらをもし少しでも知ることができれば、私達は自分自身をも知ることができ、身につける物に対してより愛着が湧くかもしれません。自分というものを構成する要素に意識を向けることでこそ、内面に厚みが増し、自分をプロデュースするのが上手になれるように思えます。それがお洒落というものではないか、と現在の私は考えます。

そしてきっと、そのMIU MIUというブランドが伝えたい「想い」が、ちゃんと日本人の心にも届くように、言わば翻訳されたものがこの河瀬監督のショートフィルムなのではないかと思うのです。

誰かが決めた物差しにそのまま準ずるのではなく、独自の背景から生まれた独自の感性を以って物事を捉え、考え、心からそれを楽しむことの喜びを、河瀬監督のこの作品は教えてくれました。

萌の朱雀と桜祭り

人が生きていく為に必要な思いを表現したいと思っていた

これは河瀬監督ご自身が萌の桜祭りにて、「萌の朱雀」撮影当時を振り返って仰った言葉です。人が生きていくために必要な思いとは何でしょうか。生きるとはどういうことなのでしょうか。

映画の舞台は、奈良県西吉野村。

実際に行って歩いてみると、都会で何不自由ない生活を送ってきた私にとっては考えられないほど何も無くて驚きました。何が無いかというと、便利さ、無機質な建物、汚い空気、喧騒、何かに強制されているというストレス、息苦しさなどです。当然ですが、都会にあるものの殆どがここには無いのです。

たとえ不便でも自分たちが食べる野菜は自分の手で時間をかけて作る。お餅つきに使う臼までも、村の方がご自身で作られたと言っていました。散策の中で見た景色の至るところに、「自分たちの村」に対する愛情が散りばめられていました。こんな場所だから、人々の密な繋がりやその中でも起こり得る葛藤、皆が自分達のバックグラウンドを誇りに思いながら一生懸命に生きている姿が際立ち、美しく映っているのかもしれないなと思います。

ところで、お昼には、なんと地元の皆さんが人々の為に柿の葉寿司、柿の葉茶、ジビエ汁につきたてのお餅を振舞ってくれたのです。精一杯のおもてなしをしてくれようとする気持ちがとても伝わってきて、何だか故郷に帰ってきて出迎えられているような、温かい気持ちになりました。

因みに、ちょうどそこで知り合ったフランス文学の先生によると、ジビエというのはフランス語で「野生の動物の肉」という意味なのだそうです。今回は猪のお肉をいただいたのですが、村の猪は柿の葉を食べて育っているそうで、野生独特の香りはあまり感じられませんでした。こんなにも柿尽くしなのは、その地域が柿の名産だからです。実だけではなく、葉まで色々工夫して使われていて、面白いなぁと思いました。

生きるとは、という問いに答えることは難しいですが、「生きるために必要な思い」に関しては、萌の朱雀の各シーンを思い返しながら、色んな人のお話を聞きながら、その舞台を歩いてみたことで何となく感じ取ることができました。人はその人たった一人だけで生きているのではない。自分が今ここにいるということは、自分を育んでくれた人や場所や物があって、時間があって、それら全てが自分の一部なのだという気持ち。だから、家族や故郷のことを心から思う。あるいは見ず知らずの人でも、どこかで繋がっているのかもしれないから温かく接するようにしよう。生きるということは、そういう思いを紡いでいくということなのかもしれない、と思ったのでした。

尾野真千子さん

萌の桜祭りには、実はなんとサプライズゲストとして、主演の尾野真千子さんも来てくださったのです。これに参加者一同は大興奮。

映画などで拝見したことはあってもお会いするのは今回が初めてだったのですが、尾野真千子さんは本当に気さくで、親しみ易い方だなぁという印象を持ちました。所々で笑いを取って場を和ませてくださったり、家のお隣さんと話しているような感覚でイメージとは大分違いましたが、それが一層素敵に思えました。

おかげさんで、
ありがとうございます

河瀬監督による尾野真千子さんのエピソード。撮影当時、まだ中学生だった尾野真千子さんは、撮影を見に来た村の人々皆に対していつも「おかげさんで」と言っていたそうです。これは真千子さんのご両親が、周りの人のお陰で今の自分が在るということをちゃんと教えていたからなのだとか。おじいちゃんやおばあちゃんがよくこの言葉を使っているイメージだったのですが、今まで特に気にも止めずにいました。これからは感謝の気持ちを伝えたいとき「おかげさまで」と積極的に言いたいし、おかげさまでと言われたらその意味をちゃんと受け取りたいと思いました。

また来てとは言わんけど、
この村のこと忘れんといてや

尾野真千子さんの言葉のうちで最も印象に残っている言葉です。西吉野村は、現在も住民の方が少なく過疎化が進んでいると伺ったのですが、私たちが「過疎」という言葉から連想するような負の雰囲気はそこには全くありませんでした。むしろ、村の皆さんはお年寄りの方も明るく幸せそうで、本当に仲が良さそうでした。メディアでは過疎地の深刻さがアピールされすぎていて、「過疎問題があまりに深刻だから人が移り住まなければならない」といったニュアンスで言われていますが、私は実際にその地を見て、その報道の仕方は適切ではないなと思いました。

その村の過疎問題が深刻であろうと無かろうと、その土地やそこに住む人々が素晴らしいからそこに移り住みたいと人は思うのではないでしょうか。つまり、その過疎地の魅力をこそ、もっと色んな人に知ってもらうべきだと思うのです。

しかしながら、実際問題、私達のような若者が山の上に移り住むことはあまり現実的とは言えません。何故なら、自律してお金を稼ぐことがどうしても第一優先になってしまうからです。でも例えば、子どもが大きくなって二人暮らしのご夫婦だとか、何か今の自分の環境を変えたいと思っている人々にとっては最適の場所なのではないでしょうか。きっと、一度その地を訪れたらもうそこに住み着きたいと思う人だってたくさんいるはずです。確かに都会の者たちからすると不便ではありますが、それ程魅力的で豊かな場所だと私は感じました。そしてまずはそこに足を踏み入れてくれる人が少しでも増えるように、ポジティブなイメージをもっとアピールして行くべきなのではないかな、と思いました。反対に、その場所で、河瀬監督の言い方をお借りすると「その土地の風を感じる」ことができなければ、その土地の良さも分かるはずがないと思うのです。

しかしまだ、そう簡単なこととも言えない面があります。尾野真千子さんは、「ただ人が増えればいい訳でもない」と仰っていました。それが村人の方々の本音であり、生の声なのでしょう。例えばその村に沢山の人が住むためと言って、勝手にマンションを建ててしまったらどうでしょうか。その村が住みやすいようにと、綺麗なコンクリートの道路を敷き詰めてしまったら…?確かに生活は便利にスマートになるけれど、その村の人々が大切にしてきたものは失われてしまいます。全てが便利であることが正しい訳でもないし、とはいってもあの五新線のように、お父さんが希望を持っていたりもするわけです。(※詳しくは映画参照のこと)

全く人間の背景が異なる両者が生活を共にするとき、何らかの衝突は避けられないのかもしれません。でもありきたりな言葉ですが両者が互いに歩み寄らなければ、お互いが居心地が悪いだけになってしまいます。私だったら、どれくらいまで相手を受け入れることができるのだろうか…自分に置き換えてみたところで、ぼんやりとしたままです。きっと今まで私の中でも無意識のうちに、何かが淘汰され、代わりに何かが生まれてきたのでしょう。それは自然のうちに行われてきました。でも何故かそれが意識をもって行われると、落ち着かないし、しっくりしないし、やはり受け入れるのは簡単ではありません。

恐らくその場に居た皆が考えさせられた尾野真千子さんの言葉が、今も心に残っています。


出会い

今回、萌の桜祭りに参加できて良かったと思えるポイントがもう一つあります。それは本当に個性豊かな参加者の方々とお知り合いになれたことです。

先ほども少し登場した、大学でフランス文学を教えていらっしゃる先生。そして現在大学で勉強中という社長さん、起業を計画中で自称ニートの美しい姉さん、魚釣りが趣味だが獲った魚は逃がす主義の男性、博識な中学生の男の子…

「普段何をされているんですか?」

という一言から、どんどん盛り上がっていく。自分の持っている世界を言葉巧みに魅せてくれて、逆に自分の話をしたら素晴らしいアドバイスが返ってきたり、うんうんと頷きながら話を聞いてくれる。今日初めて知り合ったばかりということが信じられないくらい会話に花が咲きました。一聞いたらあらゆる方向から十返ってくるんです。ご自身のことや好きなことについて、前のめりになって話してくださいました。皆さん心から人生を楽しんで今を生きていらっしゃるんだなぁと感じます。本当に素敵な方々に恵まれて、おかげさまでとても楽しい時間を過ごせました。この縁を大切にして、明日からも頑張ろうという勇気をいただいた1日でした。

あの1日素敵な時間をくださった皆様に、心からの感謝と尊敬の気持ちを申し上げます。

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