「体話」とは“身体との対話”

僕、整体師をしています。
かれこれ15~6年になりますかね、
人数でいうとざっくり5~6万人くらい。

その中で氣付いたことがいくつかあります。

ひとつ
「現代人は感覚と思考のバランスが偏っている」

師匠曰く、昔の方は単純に身体を使った疲労・負担による身体の不調がほとんどだったそうです。
しかし現代は、色んな考え方やその考え方を作った元になる考え方(僕は「自分ルール」または「前提」と呼んでいます)などから、自分の本心を抑え込んだり無理をして我慢したり自分で自分を責め立てたり、といった「思考」が大元の原因となって身体に現れる様々な注意信号でもある体感覚を感じ取れなくなり、その結果として身体の調子を崩しておられる方がどんどん増えて来ています。

ひとつ
「正しさ による殴り合いが日々横行している」

上記の氣付きと繋がる部分ですが、今、多くの場面で誰かの正しさやどこかの正義によって他の誰かをぶん殴る、もしくは殴るための正義を振りかざす。(殴るとは僕の感じたものを表す表現で現実に物理的に殴っているわけではありませんが)
それは僕自身も氣付けば無意識にやってしまっている事で、誰もが持っているものだろうと考えられます。
自分の常識が正しく、自分の正義こそが正しい。
この“正しさ”が強ければ強いほど、その正しさから外れる出来事を赦すことが出来ず、言葉や態度や行動で自分の正しさや正義を押し通そうとしてしまう。
これは、みんなやってしまっていて、他者のみならず、その正義は自分自身の体調を崩す原因にもなっています。

ひとつ
「戦い は癒しを生み出さない」

整体の仕事をしていると、自身の身体を物と捉えて、外部から強い力で揉みほぐそうとしたり、強い力で正しいと思われる方向へと力ずくの矯正(きょうせい)をおこなったりすることを求める方がおられます。
それはいわば、自分という「意識・自我」が自分の支配下にある身体という物に対して“言うことを聞かせよう”と戦いを仕掛けているように感じます。
例えばの話、あなたが誰かに「力ずく」で「相手の言うことを聞かされ」たら。
その先にその相手との笑顔の関係性は構築できるでしょうか?
それはそっくりそのまま、自分と自分の身体との間にも当てはめることの出来ることではないでしょうか?
僕が多く出逢ってきた、そして求められてきたのは、自分の身体に言うことを聞かせようとするアプローチでした。
しかし、その身体への戦いを実践してきた者として言えることは「戦いは癒しを生み出さない」という「事実」です。

そんなこんなの体験から、僕が出した答えとは「自分の身体との対話」でありそのために「身体の声を聴く」という手法でした。それらをまとめて僕は「体話」(身体との対話)という風に呼んでいます。

体話を実践検証してきた結果、体話からは色々な事が実現できるということが分かってきました。
例えば、身体のコリやゆがみの調整
例えば、だるさやしんどさの改善
例えば、自身の中の前提の発見と解放
例えば、トラウマと呼ばれるものの緩和や解除
「身体の声=体感覚」は人間の持つ形のあるもの、形のないものなど色々な事と繋がっていて、それを聞き分け様々なアプローチを行うことはそれら色々な事が生み出す問題を改善・解決する手段としてもとても優れているということも分かってきました。

それらを扱うためのはじめの一歩こそが「身体の声を聴く」という手法になります。

事例は沢山ありますので、これからボチボチそれらの紹介や身体の声を聴く、に関するお話をシェアしてゆきたいと思います。

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