なぜ生産性を高めたいのですか?

Kunitake Saso
4 min readJul 17, 2017

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「生産性」という言葉がどうも、しっくりこない。いや、以前まではすごく生産性を追い求めていたと思うから、最近の自分にはしっくりこないという方が正しいか。

一般的に生産性革命とか言われるとき、仕事にかけた時間(時間あたりの報酬)ではなく、アウトプット/かけた時間(アウトプットに対する報酬)への転換が必要だという話なのだと思う。

長時間労働で労働時間にキャップがかかる中、仕事の効率化が求められるという状況もあるのだろう。(でも過去色々な企業で働いて来た経験上、80:20の法則でいうと、本当に価値が出ている仕事って2−3割だと思う。仕事のための仕事を無くしたら、かなり生産性は高まると思う。)

僕個人にとっての生産性はと問われると似たように思えるが少し違う。「やりたいことがいっぱいあって」、それを「限られた時間の中で出来るようになる」時に、生産性が高いという定義がしっくりくる。

分子:やりたいことの質的な達成率/分母:かけた時間

しかし、ここで疑問が出てくる。

そもそも、この生産性はなぜ上げないといけないのか?

今のところ、可処分時間をはるかにオーバーした仕事が来ていて、平日は1時間を捻出することにも至難の技。きっと、この流れはしばらくは変わらなさそう。そう思った時に、生産性が高い状態を維持していることが、自分にとって嬉しいかというと、それはもちろん嬉しいんだけど、それだけじゃないよな、と思ってしまう。

生産性という概念が、結局のところ、工場生産性のように人間が機械と対抗して働き続けるというようなメンタルモデルの元に語られている気がする。

工場労働の場合は、工場の固定費がかなりの投資に登ったこともあり、その初期コストを回収するために、オペレーションコストを改善するという意味で生産性のトラッキングはとても重要な要素であった。

では、クリエイティブワーカーにとっての生産性は同じような構造で語るべきなのか?

機械と同じように飽きずに同じテーマをやり続けることは至難の技だ。一旦ある仕事で生産性を高めたとしても、人間は飽きるのだ。実際は、ある程度の生産性を確保しながら、そのプロセスを楽しめたり、そこでの感情を味わえるような余白があるものの方に精神的な満足度が高まるまずだ。

実際は、以下のような図式の方が自分にはしっくり来る。

自由=最低限出さないといけないアウトプットーアウトプットを出すまでのプロセス/かけた時間

ここには、
問い1:最低限出さないといけないアウトプットはどの程度のものか?

問い2:アウトプットを出すまでのプロセスをどれだけ効果的なものにするか?

問い3:アウトプットを作成するために必要な時間をいかに効率的に使うか

問い4:そもそも、自由や余白を持った時にそれを、どのように使って、自分の日々を味わい深いものにするか?

これは、企業という視点だと、最低限のアウトプットを高めて価値を上げていきたい、というものになるし、一方、それは個人で働く人からすると、余白を奪うということになる。

個人と、組織の価値を両立する唯一の解が、この余白の使い道と、アウトプットの質を高めることを両立させることを考えれば、どちらにもWin-Winになる。

そう考えていくと、生産性の議論って、結局は個人と組織のアウトプットのすり合わせをどうするかということになるし、逆に目的をしっかり擦り合せることが出来れば、そんなに複雑な問題ではないということなのかもしれない。

デザインでやって来ている仕事は、最低限出さないといけないアウトプットを共創し、プロトタイプを作ることでアウトプットを具体化するスピードをあげることをやっているので、生産性向上という意味でいうとかなり効果があるように思う。クリエイティブワーカー時代の知的生産術とも言えるとも思う。

そう言いながら、やっぱりしっくりこないのが、それがあくまで手段でしかなくて、何のために生産性高めたいんですか?

って質問に対する解がない生産性改革ってやっぱり違和感があるのだ。

僕らは働き続ける機械ではない。いや、そうなりたくないと思うのは僕だけ?

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Kunitake Saso

Founder of biotope. CEO. Strategic Designer. Researcher on creativity. Author of "The Non-Designer Guide to Design ". https://amzn.to/2MIs9sW