気がつけば結構この気ままなブログをフォローしてくださっている方が多く。Mediumからnoteに最近書いてることが多いのでご連絡。

どっちがいいとか特にないのだけど、英語読めない松倉としては、Medium TOPがほとんど海外の記事で、もっと他の人の言葉も読みたいなというくらいでnoteにプラットフォームを最近は移しています。

どこかに記事を貯める欲望がまったくないので様々な場所に日記が散らばっていますが、ご了承くだされ。

おやすみ!と元気よく布団に行った息子が3分も経たずにシクシク泣いてリビングに戻ってきた。今日作ったプログラムでうまくいかなかったところが悲しかったらしい。小学二年生である。そして、今日彼は生まれて初めて自分でゲームを作った。

スクラッチというパズルのように指示系統を組み合わせて、アニメーションやミニゲームを作れるものだ。僕も触ったが、なかなか難しい。コードは指示に従って動く。その指示が誤ると間違ったまま律儀にコードは誤りを繰り返し続ける。

息子が作ったゲームをやってみた。シンプルなモグラ叩きゲームだが、まさかこの年齢でこういうものが作れるなんて、父としても同じ男としても、尊敬する。何か物作りに一生懸命な人を尊敬する性分だが、息子に対しても同じように作り手としての尊敬を感じた。

今日、たくさん褒めたけど、今度、男二人の時にめっちゃ褒めてあげよう。母さんや、妹の前で喜びまくるの恥ずかしいよな、男ってそういうこんがらがった見栄がある。わかるぞー父ちゃんもそうだった。

でも、なんか君が寝て、一人で今日のことを思い返した時に、プログラムでうまくいかないところを悔しくて泣くのを我慢して、結局我慢できなくて悔しがる君が誇らしいと思った。出来上がったものは十分にゲームだったし、まさかこんな凄いものを作れるなんて思ってなかった父ちゃんは、君を甘く見ていて少し恥ずかしいとすら思った。

それでも、君は悔しがり涙を流す。何度も何度も繰り返して、うまくいかないところを直していく。するとまた新しいうまくいかない壁にぶち当たる。歯を食いしばって、その壁を超えていく。それが作ることの本質だ。僕らがやるゲームも、楽しく読む漫画も、美味しく食べるご飯も、全てがそのシンプルなことの繰り返しだ。

まさかこんな早くにとは思うけど、君は作り手の門出に立ったのだ。
すでに次の壁にもぶち当たっている。はじめたら、はじまりなんだと痛感するよ。息子の挑戦に鼓舞されながら、僕もどんどん進んでいかないと。

こっそり二人でパフェでも食って乾杯しようぜ。

目の前でバスを逃し、諦めてブラブラと歩き出した。京都のバスは予定通りにはこない。考え事でもして、ゆっくり家の方角へ。秋か冬かもわからない間の季節に、カラカラと冷たい風が落ち葉を転がす。

大学があちらこちらにある京都は、多くの学生が住み、基本は自転車で移動し、夜は鴨川でたそがれるか高瀬川に嘔吐する。喫茶店で静かに本を読み、コーヒーの味を覚える。ぶらり歩いた街並みにぽっかり時間がとまったような寺社仏閣と出会い、考え事に身を委ねる。古本屋で手にしたクタクタの本を物色し、レンタルビデオ屋で片っ端から映画をみる。

気がつけば朝を迎えて眠りについて、目をさますと夕暮れ時、友達がゴロゴロ転がり込んで適当に突っ込んだ食材で鍋をつつく。他愛もない、なんの意味もないような時間にキャッキャと笑う。

34歳を迎えてもなお、この町に住むとかつての僕が町を歩いている気がする。あの頃の自分も住んでいて、おじさんになった自分も住んでいる。そんな気がする町である。

そんなことを考えて、タバコを加えてブラブラ歩く。道の角を曲がったところで、おそらく京都への進学が決まり、一人暮らしを始めるであろう、まだ初々しさを残す男の子と、父親・母親が肩を並べて歩いている。この辺りだとすると君は京大か。頭が良さそうで少し反抗期が抜けきらない顔をしていた。

母親は、心配そうにあれやこれやを息子に教えている。顔は真剣。でも息子はわかったからという表情。肩慣らしに少し早めに入居して入学を迎えるのだろうか。18,19歳くらいの親と子の気持ちが入れ違ってしまう感じ。自分にはあったのかなぁ。

父親はニコニコ笑って先陣切って歩いている。僕もそうだったが父親はいつの頃からか、男の先輩にもなる。自分の息子が一人暮らしを始める。なんかそれは少し誇らしく試される感覚なのかもしれない。そして、かつて父親にもあった時間を想像して、嬉しいのかもしれない。

同じ速度で目の前を進む家族を見て、かつての自分と出会ったような気がした。そして、こういう時間が未来の自分にもあるのだろうと想像した。

その家族はバス停で別れた。最後まで母親は心配そうに何かを話し、父親は無言のまま。バスが来て、父親が息子の方にぎゅっと力を入れて、がんばれよ!と笑った。そして、息子の頭を小さい頃もそうしていたようにくしゃくしゃに撫でバスに消えていった。

引き返す息子は、面倒臭そうに、でも少し嬉しそうな表情で町に消えていった。これから君もそういう時間を過ごすのだ。自炊して母親の愛情を知るのだ。誰もいない、何もない狭い部屋で家族を思い出すのだろう。愛情はいつも少し遅れてやって来る。一方的に注がれた愛情の意味を一人になってやっと知る。

僕を家まで運んでくれるバスもちょうど来たけど、
少し考えて乗るのをやめた。
その日はそのまま夕暮れを歩いて帰った。

猫がとぐろを巻いて眠っている。台風が急に寒さを連れて来て、足元で眠る猫に足を絡めて暖をとる。暖かいパジャマを着込んで、黙々とタイピングする。今日は打ち合わせがない。久しぶりに1日作業できる。

依頼されるアイデアをぼんやり考え、少し煮詰まったので銀行の手続きに向かう。寒いことをうっかり忘れて薄着で出てしまった。最寄りの銀行で記帳を済ませ、喫茶店で昼食をとる。

出入金を確認しながら、やけに店内が暑いことに気づく。急に冷えたものだから急いで暖房をつけたのか、設定温度がやや高い。そういえば、うちの猫たちもここ1週間で一気に毛を伸ばした。野生はすごい。自分でコントロールできる服(毛)を備えているのだ。

ぼうっと出された水の水滴を眺める。暑い店内のせいで、あれだけ寒いと思っていたはずなのに、すごい美味しそうに見える。ぐいっと飲み干してひえひえの水を飲み干す。

創業から慌ただしい数ヶ月を過ごし、やっと少しだけ平常運転。志向の隙間をクロールして、あれやりたい、これやりたいを大海原に見つける。
生きてくためには…とオーダーしたピザパンを頬張り、「お金」と「遊び」と「退屈」が必要なんだなともぐもぐする。

家族と平和に楽しく健康に生きてくために必要なお金。
自分がもってるスキルやイメージを具現化していく遊び。
なんか面白いことないかなぁと模索する退屈。

仕事で忙しいってのはよく聞くけど、「遊びで忙しい」の方がなんかいいな。いつも退屈していて退屈しのぎに何か面白いこと考えて、それが遊びになって、その遊びが仕事になれば一番幸せだな。そんなことを気づけば空っぽになったピザパンの皿をみて結論に至る。ピザパンうまい。

そんな考え事をしていると小学生の幼馴染の女の子とコンビニで肉まんを食った冬の日を思い出した。セーコーマートで買った肉まんをホカホカの煙が立ち込める暑くてハフハフしながら雪道を歩いて帰った。

その子はいつもピザまんで、なんでいっつもピザまんなのか聞くと、なんでいっつも肉まんなの?と聞き返された。たしかに、他にも色々種類はあった。なぜ自分がいつも普通の肉まんなのか答えがなかった。それうまいの?と聞くと一口分けてくれた。それはとびきりうまかった。

うまいな…これ。そうでしょ。と自分が作ってもいないのに自慢げに喜ぶ顔を思い出した。なんてことない思い出を懐かしんで、34歳の僕にとってのピザまんはどこにあるのだろうかとぼんやり考えて歩いて帰った。

Nue incになって早々にクリエイティブパートナーを探しているという相談を受けて、東京まで会いにいった。英語塾のキャタル。
http://catal.jp/

教室に入ると夏休みで子供達が笑ったり真剣だったり、抜け感のある良い教室だなぁと思いながら、スタッフの顔を眺めているとなんかみんな大学生のような活力を感じた。

働くってとても疲れるし大変なことなんだけど、ここではそういうことも含めて前向きな空気が流れている。子供と触れてるからだろうか。嘘っけのない社風を感じる。

代表交えて色々話し込むと、なんだかここ面白いぞと僕の興味が育っていった。英語できないし、勉強苦手な松倉が「これ…俺の子供の時にほしかった」って言っちゃう感じの英語の学びの場がそこにはあったのです。

お金儲けだけの仕事は不幸になる。松倉が。
できることなら、僕が関わることで今まで見えなかった会社の魅力や新しい追い風が吹くような関わりが生まれる関係性を仕事としたい。そう思ってNue incがあり、想っているとそういうパートナーと出会えた。

今の日本の英語教育のことを真剣に考え、教育メソッドを丁寧に教わる。なるほどな、という腑に落ちる情報がたくさんあった。なにより、それを語る代表のまなざしが日本の子供達みんなに向いていることがよかった。あぁ、この人のイメージを具現化したい、そう思えた。

まずは全体のコミュニケーションとデザインを調査する。
語られた想いとの乖離に気づく。他社も比較した。どこも教育カリキュラムをしっかり伝えること/その教育を通じて、どこどこに進学した実績を並べ連ねていた。

足りないのは、血の通った温もりだ。

塾は子供が選ぶのではなく親が選ぶ。
親は果たしてメソッドや実績だけで塾を決めるだろうか。
その前のモチベーションが必ずあるはずだ。

自分に置き換えて考えた時に「子を思う親」のイメージが浮かんだ。
メソッドや実績(もちろん大事だけど)の前に親と子の関係がある。
その親心的な親の心の声からはじめよう。

ずらずらと50コピーくらい考え、そこから5つくらいに絞り、
これ選ばれたら嬉しいなぁと(ただ最初にプッシュはせず)相談してみた。そしたら、このコピーで決まった。心通うなぁと確信したのでした。

「私より、高い可能性を」
「僕より、広い世界を」

この月・火と岡山の西粟倉村に滞在していた。西粟倉の名前は知っている人は知っているレベルに田舎なのに全国的知名度がある町。村民1500人の静かな村で見たことないチームが出来上がっている。

廃校になった小学校に帽子屋さんや酒屋さん、障害者雇用を進めるNPO、体育館ではうなぎの養殖、そして職員室ではエーゼロという会社が静かな農村で都心のオフィスかな?というくらいの密度と慌ただしさ。まだコーポレートサイトもしっかり整っていない組織に20名以上が集まり、なんだそのビジネス!?と詳しく聞かざるを得ないローカルでの新しいサイクルを生み出そうとしている。

最近、仕事の半分が「アート関連」のものになっている。自分からそうしたのではなく、気がつけば半分がアートに関わる仕事や相談なのだ。まもなくリリースできるものもある。新しい相談もある。そのうち半分以上がアートのお仕事になる可能性がある。

芸大で先生をしているが、別の芸術のことを教えているわけではなく、いかにして稼ぐか、とか、死なずに作り続けるか、どう発想するか、などなど、こうやったら芸術は生乱せる!なんてことは教えてない。学びは飲み屋にあると言い切ってクビになるかもしれないギリギリのところにいるレベルだ。

実際に芸大にいながら、周りの学生が黙々と作品を生み出しているのを見て、すごいなぁと逆に尊敬の眼差しで眺めている。大先生たちのグゥの音もでない真っ当な批評を全身で受けて、倒れて、起き上がって、筆を握る。これを彼ら彼女らは4年間ぶっ通しで続けているのだ。

最近、若手アーティスト(卒業したばっかりも院生も)会うことが多かった。出会ったアーティストは、みな優秀だ。アーティストとしての評価はこれから上がって行くのが見て取れた。僕が優秀というのは、人として整っているという意味だ。

まず、みんなプレゼンテーションが素晴らしく上手い。
芸術は難しい!と思いがちな人も多いかと思うが、聞いてると彼らは何が根元で、どのアプローチで、これらを生み出したかをとてもわかりやすく説明してくれる。あ、欲しい。と聞いていて思ってしまうほど。だからこの作品が出来上がった、というところまでの文脈をしっかり持っている。

それと同時に自分の価値をしっかり把握している。
何をすると自分を高めれて、何をしたら自分を下げるか。それがしっかり個々にある。作風もそうだし、コンセプトもそうだけど、存在としてアーティストは作品と一対なのだと、映し鏡なのだと思った。

卒業してまもないアーティストがなぜこんなに出来上がっているのか。
不思議でならなかった。色々考えたけど、大学での教育が良いのとすぐにマーケットvs自分という状況に置かれるからかもしれないと思った。

5年前まで、広告代理店の仕事が多かったが、年々、直接取引が増え、マーケットvs自分の戦いがいかに大切かがわかり始めてる松倉が、10近く年の離れた若者を見て勉強になっている。どれだけ大きなチャンスでも、それが作品自体を良く見せることができなければ気持ちいいほどパシッと断る。しっかり長期的な視点を持って、創作活動に向き合っている証拠だ。

そして、作品を買うという行為も少しイメージが変わった。
たくさんのアーティストの作品を見てると、なんか言葉にできないがとてもいいなこれ。というのがある。無名であればあるほど、価格は安い。自分の中の「なんかいいな」で購入した作品のお金はアーティストの次の作品を生み出すガソリンになる。そして、またいい作品をつくる。この繰り返しがアーティストの価値をあげ、生み出した作品の価値をあげていく。

なんかいいなで買った金額のゼロがいくつか増えていて、ほらやっぱりいでしょうとなるのだろう。自分の好きな作品を手に入れると同時に作家を応援することでもあり、新たな「なんかめっちゃいいぞこれ」を生み出す。このサイクルがお金として流れている。

世の中には様々なクリエイションがあるが、価値がそこで成長して行く創作物というのはアート作品だけかもしれない。不思議な生き物をみているようにアートを眺める機会が増えた。この子達は育って行くんだと。

市民運動会のあいま、息子と暇を持て余し周辺を散歩する。
7月に創業してからあっという間に3ヶ月がたっている。その間、毎日家で仕事をしているので「いってらっしゃい!」「おかえり!」と毎日見守ることになる。

毎日子供たちを見ていると少しずつ成長してるのが見て取れる。一緒にいる時間が長いので怒る時も笑う時も自然と増える。怒られると反省し、でも子供なので一度では覚えられない。それが少しずつ理解され、習慣となり、良くなっていく。

朝ごはん、晩御飯、お風呂に、おやすみ、を一緒に過ごす。普通に働いていたらこうも行かないだろうなぁと思いながら食卓を囲む。自分で会社をやることは雇われることに比べ、リスクは何倍にもなる。それをもってしても、これでよかったんだなぁと最近は良く思う。

目の前で子供が育っていく背中は、大人の背筋をスッと伸ばす。教えたり叱ったりするのが親なので、この子たちに恥ずかしい背中を見せたくない。何が正しくて、何が間違っているのか。何が大切で、どれを選ぶか。この短い子供の時間をともに過ごせることは、親として幸せなんだろう。

髪ボサボサで、サンダル履いて、家の周りウロウロしてる僕は、一見ニートかなと思われているだろう。まぁ、でもそれでも子供たちの澄んだ瞳で父の頑張りを見届けてくれてさえいればいいかなと思う。

家で仕事をしてるとプライベートと仕事がわからなくなりませんか?とお客さんに言われる。もともと四六時中考えてる仕事なので新卒時代からそういった垣根自体はあまりない。でも、朝飯、晩飯、風呂、おやすみだけは、全てシャットアウトしている。

それが自然なことなのに、不思議と日本人だからなのか、仕事とプライベートの棲み分けに悩む人が多いみたいだ。なんのために生きてるのか?それが明確であれば、オフィスにいようが自宅にいようが変わりはない。そもそも仕事に可及的速やかな対応が必要な状況は、予期できる。自分に関係のない事象で巻き起こるトラブルはしょうがないが、メールがこようが着信があろうが、家族と食事の時間は一切でない。

なぜなら、この家族との幸せな時間のために仕事をしているのであって、たいして緊急でもない要件に応えるために家族と過ごしてるわけではない。もし後者なのであれば結婚すら選択肢にないだろう。

仕事とは何かと聞かれれば、家族と楽しく過ごすためのものであり、
あわよくば家族と過ごす時間以外で、誰かのためにプラスに働くことで、世の中から正しい評価をされたのならばベストである。

生活を大切に、家族を大切にすることが、何より一番いい仕事を残せる前提条件じゃないかと信じている。

午前中のプレゼンを終え、どこか喫茶店でメールを返そうと練り歩くもどこもかしこも喫煙席がない。これだけ淘汰されると逆に少数派の尊重を!と思ってしまうほど、全席禁煙の喫茶店だらけ。

少し中心地を離れ、ボロボロの喫茶店に入る。全席灰皿が置いてある。時代の忘れ物な空間に疲れた体を預けてタバコを深く吸う。後ろの席では中国人が大きな声で電話している。おばさまたちは世間話しがヒートアップし、若い女性2人はプリンになった金髪を振り乱して出会い系アプリの話題で爆笑している。

騒がしい場末の喫茶店で、薄いアイスコーヒーを飲みながら、溜まったメールを返信する。街中の人の多さにすぐ疲れてしまう僕は、街の外れの明日にでも消えそうで、この街の記憶からも消されそうなこういう場所が一番落ち着く。

こういう場所はどんどんなくなっていくのか。何か特別で、とても写真映えするお洒落な店内で、美味しい食べ物があって、雑誌にも載るような店ばかりになると僕は寂しい。

何も特別じゃなく、壁は時間とともに薄汚れて、椅子のクッションもへなへな、どっかで飲んだことのある味と、これと同じ空間が日本に30個はありそうだなという何の変哲も無い場を愛している。

パッサパサのスポンジケーキを頬張って、マズっいなーと独り言。それでいいのだ、僕らはあらゆるものに意味を求めすぎている。
なんの意味もないことの意味を考える。この無駄な思考の時間すら愛おしい。

Nue incが始まって2ヶ月ちょっと。お金が出たり入ったりがはじまった。

ほとんどの業務がクリエイティブのコンサルや、プランニングのみでコミットする仕事が多いので基本的にワンストップでお金の流れも完結するのがうちのお金のシンプルな動き。

やっと動き出したお金の流れを口座で見ながら、本当お金って社会の血液だなぁと眺めている。僕だけの会社なので役員報酬や事務所家賃、経費、仕事を一緒に戦ってくれる外部クリエイターメンバー、税理士さん、などなどお仕事で集まったお金は、ぶわーっと関係した人たちに行き渡る。

役員報酬は僕ら家族の生活を支えるものだし、外に出ていくお金は全て会社を通じて誰かの生活に通じている。会社って生き物、っていうけれど、それを構成する社会っていうのも巨大な生き物なんだなと口座のお金を見ていて思う。

Nueという会社=生き物が年間どれくらいのお金があれば生き延びれるか。会社は食べ物食べないけど、お金を循環させたり生み出したりしていくことで生存していると考えるとお金って面白い。

でも、これがもっと社員の多い企業だったら…そう考えるとゾッとする。1人の会社なのでそんな難しいことはないシンプルな流れだけど、動く仕事も払うお金も桁が変わってくる。そんなにお金を生み出していないのに食料が多い!とか、めちゃくちゃお金を生んでるのに食料が少ない!なんていうことが起きるんだろうな。

何より、自分の働きがお金に直結してない社会は、不健康だなと思ったりもした。原始人みたいに、自分の食料は自分で確保する。多く確保できたら少ない人に分けてあげる。そんくらいの方が健全なんじゃないか。巨大な組織って難しいんだなぁ。

もし今後、Nueに仲間を増やしていくなら、うちの社員なんかやめて会社作ってもらった方が今後のためかもなぁ。半年くらいは僕の仕事援護してもらって生きてく食料を渡すから、しっかり自分で武器作って食料確保できるような人にならないと、お金の意味がわからないままになってしまうのかもしれない。

僕がお金のことわかってるかはおいておいて。
Nueに流れるお金の小川(足でまたげるほどの小さな川です)を眺めながら思ったのでした。たぶん、眺められる川のキャパってあるんだろうなと思うのでした。

Subaru Matsukura

「アイデア」と「ことば」が仕事な人の雑感ログ

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