現実から目を逸らさない

Subaru Matsukura
3 min readFeb 15, 2017

ふいに、あなたは山を登らないといけない。絶対に。そうなったとき、険しい山道を見上げて、ため息をこぼすだろう。誰だってそうだ。

自分をマネジメントするシステムや、優れたツールがあったとしても、結局、自分次第で全てが変わる。良くも悪くも、あなた次第なのだ。

どんなノウハウやテクノロジーでも、使い手である人間が誠実でなければ、それらの知識や技術は無用の長物である。

怠惰は人間だからしょうがない。

たとえば、家のキッチンにたくさんの汚れた食器があったり、洗濯カゴが山のように膨れているとする。せっかくの休みなのにゆっくりしていたい。僕もあなただって同じことを思うはずだ。それは人間そのものに備わった怠惰さなのだと思う。

目の前の苦労は見て見ぬふりをしたい。苦労は避けたいのが人間の本能だ。子供の頃も、掃除当番なのにもかかわらず、掃除している風に手を抜くスキルだけ高めた自負がある。決して自慢できない。

特に仕事となると、日常の些細な苦労とは比にならない(大人がよってたかって向き合わないと倒せない)苦労がある。これどうすんだ?というものがゴロゴロとデスクの周りに転がっている。目の前にあるすぐできるタスクを片付けていくが、周りに転がるタスクを見て見ぬふりをする。

面倒の栄養は忘却

見て見ぬ振りを決め込んだタスクを本当に忘却したあなたは、ふと影を感じる。振り返るとほったからしのゴロゴロしていたタスクが身の丈を超えるものに成長している。こいつらは、日々放置されるごとに大きくなる。それを見て重い腰とため息を合図に向き合い始める。最初はあんなに小さかったのに。

ほとんどの肩を落とすほどの面倒な物事は、最初はとても小さい面倒だったりする。ただよくよく見るとその面倒は「どう行動すべきか」が見えていないだけで、細かく砕いて一つ一つ向き合っていけば、自分が思っていた以上に些細なことである。

毎日、小さな面倒(皿洗いや洗濯)を避けずに向き合えば、大したことはないたった5分で終わることだ。仕事もそれと同じである。

細かく砕いて、行動を規定する

もしあなたの目の前に大きな山があり、それを登らなければいけないのであれば、その山道をできる限り小さく、どう行動するかまでを丁寧に定義することで安全な道が見えてくる。

そして、たいていの面倒だと思う物事は、やりだすとイメージしてた面倒くささの半分くらいだったりする。人は本質的に面倒を避ける。本能が無意識のそうさせるのだから、強目のバイアスがかかっている。

そう思うと今手元に無数の面倒が転がっていようと、一つ一つ丁寧に消化していくことが、そもそも山登りをせずに済む最善の方法である。

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Subaru Matsukura

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