退職エントリーならぬ、成仏エントリー

2011年12月に前職が同じだった薩川と立ち上げたオバケ。
もう気がつけば6年。2011年の翌年にはチャッキーこと綿村が参加し、
みんなが知ってる3人編成となりました。

毎年毎年、変わる状況と課題と目標は、僕にとって心地がよく、自分たちの手でかき分けていかないと前に進めない状況は、人によっては苦労するかもしれませんが、それは同時に前に進めば道になることを6年を通じて実感できたと思っています。

そして、先週、今年のOKAZAKI LOOPSを無事大盛況のうちに終え、祭りのお片づけをしながら、「あぁ〜楽しかったなぁ」とLOOPSだけではなく、オバケとして過ごした6年間を振り返って、言葉が溢れたのでした。

松倉は2017年6月20日をもって、株式会社オバケを退職します。7月より新会社を設立し、新たな挑戦を始めます。関係者にはできるだけ会って、お伝えし、タイミング合わずにお会いできなかった人には今日ご連絡をいれました。あまりにバタバタで退職数日前のご連絡。申し訳ない!

プランナーという仕事柄、様々な課題を聞き、リサーチし、打開策を構築、最高の制作勢と共に前に進むということをこれまで繰り返してきました。この6年間において、僕にあった大きな変化はアウトプットのパターンが増えたこと。そして、一つの課題解決ではクリアしきれない、大きな蓄積型の課題が明確になったこと。これにぶち当たったのがちょうど昨年のことでした。

仕事をしていると色々な課題が舞い込みます。探偵事務所かな?と思うほど、大小関わらず全てが固有の問題を抱えていて、それを一つずつほぐし、頭の中で構築し、言語化していく。オバケ時代に関わったお仕事はたくさん評価いただき、嬉しい報告ばかりでした。これまで一つ成し遂げると、それを振り返り、もっとよくできたところや、プロセスでの無駄を再発見し、次の課題に生かすことを繰り返してきましたが、ご相談いただいたお客さんはとても喜んでくれてるし、よかったよかった。と思っていました。

ただ昨年頭あたりから、リサーチを重ね、課題の起点となっているポイントを見つける。ここまでは同じだったのに、その先の根深い要因が見えてくるようになりました。説明が難しいですが、オーダーされていない箇所のほつれが気になる感じ。

ただ、それは何か一つのクリエイションではなく、もっと中長期的に少しずつ改善を積み上げていく行為が必要で、それはワンポイントで制作する第三者の僕にとってはどう返せばいいのか、答えは見えてきているのに今の自分の状態では対応が難しい。でも、そこにもっと携わりたい。そういう葛藤がありました。

それは第三者の人間が伝えて変わるようなことではなく、例えば会社の性格とか、風土、思想におよぶもので、これを内部の人間でもない僕が手をつけていいものか。例えば、自分の人格そのものをあまり知らない人に「もっとこうしたらいいのに」と言われるようなもので、それは家族とか仲間ではない限り、とても不愉快なものかもしれないと思ったのです。

そう思うようになってから、例えばコンペでも毎回アサインされるチームが変わったり、担当者が転職したり、その度に企業も作り手も共有していた課題や知見がリセットされてしまったり、僕が関わったプロジェクトとは別で動いてたものが、「そのコミュニケーションでは足並みがずれるのに…」なんていうことがとても気になるようになってしまいました。

僕のような仕事は、会社の無数にある課題のどれか一つの解決にあたることが多いです。でも例えば、足をひねったりするとそれを支えようと他の場所まで痛くなる。では、先にひねった足を治しましょうとなるが、本質的なところをいうと、実は歩き方が悪かったり、姿勢が少し歪んでいたり、その人の振る舞いが起因してるものごともあると気付くときがあります。一つの課題は他の無数の課題とリンクしていて、本当はそこをたどっていく必要がある。

ひねった足を治療することが、これまでの僕のクリエイションでした。
でも、本当はもっと根本的なところが悪かったのを知っていた。
そして、しばらくするとまた別の場所を怪我してやってくる。
そう思うとなんだかプランナーとしての自分が恥ずかしくなったんです。
何も改善できてない。そう思ったのです。

なので昨年は意図的に現場の仕事を増やしました。
プランナーなのに現場にいる必要はあまりないんですが、そこまで含めてやってみました。知らないことだらけだし、迷惑もかけましたが、そこから見上げる課題はどこが根本かよく見通すことができました。そして、何を変えれば根本が変わるか、体験を通じて学んだ一年でもありました。

去年、一番言われた言葉は「その作業、松倉さんがするんですか!?」でした。なんか、34歳にもなると、そういうわれることが増えるみたい。。
でも、家づくりの根本を体験してない人に良い家とは…と語られても、なんか肩透かしというか本質的じゃない。このままあぐらをかいていたら、小難しいことこねくり回すおじさんになってしまう。そう考えると冷や汗がぶわっとでるくらい、怖くなりました。そんな未来は望んでない。

なので思い切って、パートナーの薩川に事務所で二人でいたときに「あのさぁ」と相談しようとしたら、薩川も「あのさぁ」と同じことを考えていたわけです。さすが薩川。

よく松倉がリードしてる会社と思われるオバケですが、薩川・綿村・松倉それぞれが個々の領域で勝負している会社です。僕がメディアに出るのが多いので知らない人も多いですが、経営はすべて薩川ですし、オバケのデザインを引き上げたのは綿村です。二人とも素晴らしいプレイヤーです。僕が葛藤して挑んで成長しようとしてきたように同じ時間を他のメンバーも過ごしています。みんな自分のフィールドを広げているし、深めている。

僕はあまり周りのことを見ずに面白い仕事に没頭できたのも、この二人が「松倉さんすっ転ばないかな?」と心配して見守ってくれていたこともあります。僕が辞めることが少し早く広がってしまい、喧嘩したの?と言われることもあったのですが、バカだなぁそんなこと想像する時間あるなら自分の仕事をしろよ、と思うこともありました。人の心配する暇があれば、自分の武器を研げば良いのに。今もそう思います。そして、仲が悪かったらあんな仲良く泥酔しないです。

もうすでに気付いたときには、自分が持つ課題はオバケの課題とは別のものになっていて、僕にとって、どうしても自分の課題を見てぬふりをしてキャリアを積むことの気持ち悪さを感じてました。なので、プランニングとリサーチに特化した新しい会社を作ろうと思う。そんな考えに薩川も理解し応援してくれています。たった6年の関係性ですが僕のクリエイションの一番の理解者だと思っています。そして、一番迷惑をかけた仲間でもあります。申し訳ない!

それが決まってから、クライアントに伝えきれていなかった想いを正直に伝えることにしました。「ここが課題です。でも、時間がかかります。」第三者の立場だけれど、リサーチとプランニングをしてきた中でどうしても飲み込めなかったこと。1時間の予定の打ち合わせが数時間も続いたり、でもそこでの会話はとても気持ちがよく、よくなろう、よくしていこうという、それ一点に尽きる時間でした。僕が望んでいたものはこれだったと今更ながら気付いたのでした。

そこから驚いたことに企業側が動いてくれました。
端的に言うと「松倉を弊社の仲間にしてください」という感じです。
あんまり意味がわからないかもしれませんが、大きな課題解決に向けて半分社内、半分外部という第三者的な意見を放ちながらも内部のことが会話できるよう各社が動いてくれましたし、今も動いてくれています。

これまで年間多くのクライアントに対して、ワンポイントで無数のアイデアを作ってきました。それと並行してリサーチも重ねいてきました。おそらくその数は年間何百案、盛ってないからなお怖い。笑
それを思いっきり絞ることになります。僕を仲間として歓迎してくれた会社やチームの領域に深いリサーチをかけ、課題の根本を見つけ出し、戦略を進めていく。そんなフローになると思います。やってることは同じなんですが、深度とコミットがずっと深い感じです。

それぞれの企業が抱いている夢があり、困ってる課題があります。それを一緒に達成に向けて前進したり、解決したり、同じ視座で向き合える。これってプランナーの幸せだと思っています。お客さんの課題だったものが、自分の課題になる。なので自然と関われる企業は減りますが、これが正しいんじゃないかと信じています。

こんな想いを伝えてもいないのに、新しい相談がいろいろ舞い込んできています。そのどれもがプロジェクトへの深いコミットを求められ、壮大なゴールや、超難解な課題に含んでいます。そこに向き合い、私を仲間として迎え入れてくれる企業やチームと良くなっていこう。そう思っています。

そして、よく言われるのはオバケにいてもできたことじゃない?という質問。そうなんだけど、未来はそうじゃないと思って、思い切って別の会社にしました。これからもしかしたら今年くらいから?クリエイションにまつわる状況は変わりそうな気配があります。個人でもチームでも、何が得意で何が苦手か、私の武器はこれで、自分たちの戦場はここです、そういうものが明確に示せない限り、良いものは作れないし、まず仕事が生まれないと思っています。

なので僕の武器と戦場をそのまま会社にすることで、自身のやるべきことに正しいフォーカスをあてることができるし、自分がやるべきことじゃないことはお願いします!とパートナーに依頼できる。もしこれをオバケでやってしまうと、僕の仕事のアウトプットがバラバラなゆえに本来のオバケの力をぼやけさせる危惧と、そもそもこの挑戦がオバケとしての挑戦ではなく、完全に松倉個人の挑戦だったことが大きいです。

そして、契約体系も案件のスパンも、そこで起きるリスクも、それぞれバラバラであり、今後さらに無数の多種多様な仕事が増えていくことを想定するとどう考えても、別会社でしっかり向き合うべきだと判断しました。今ままで薩川が対応してくれていたことを自分でやらなきゃダメにもなるんですが、(あぁ…怖い)ここが僕の次のステップアップのフェーズだと確信しているので腹をくくって向き合うことに決めました。

新しい会社では単発のプロジェクト契約より、企業との複数年契約が多いです。もう数ヶ月で解決できることは根本解決にいたらないことを痛感しています。(まだ創業してないんだけど。。準備に走り回っています。)
もちろん単発のものもあるのですが、年1回のスパンで展開するプロジェクトばかりです。OKAZAKI LOOPSとかまさにそうですね。どれも大事に育てていくようなものばかり。

これから動く全てのプロジェクトが数年先の未来に向けて僕と契約してくれている。そうなるともはや受発注の関係ではなく、ともに歩む仲間と同じです。これまで一緒に制作する力強いクリエイターたちとチームを作って向き合ってきましたが、次のフェーズではそこにクライアントも一緒にいる状態です。

自分でもこの姿勢がうまくいくのか、わかりません。
商売として未来がわからないことをオバケでやることで何かつまづいたり、うまくいかなかったときに良いスピードで前に進む他のメンバーの足をひっぱりたくない。なので別の会社。どこかに甘えられる場所があると頼ってしまうところもあるので、たった一人のスタートとなります。

忙しくて全然伝えきれていなかったことをまとめたので長文になりましたが、どうだろう振り返るとたった数年だけど、僕も世の中も恐ろしい速度で変わっている。6年前は8割デジタルの仕事で、そのほとんどが広告だった。なのに今はそれが逆転している。広告は1個もないし(別に嫌いじゃない自然と減った)、企業の命運をかけたようなプロジェクトのコンセプトを猫を膝に抱えながら書いている。オバケ創業時、まだ20代後半だったのに気がつけば34歳だ。30歳のころ、いろんな目標が全て達成できて、思想が路頭に迷った。二十歳の頃に掲げた目標が意外と10年もかからず達成できた喜びと、あれ、次なにしたいんだっけ?というアイデンティティの欠落を感じた。

オバケ時代は志あるクライアントから多くを学び、それが少しずつ血肉化していくのを感じた。どのクライアントも信念があり、夢があった。それを見て感じて蓄積されてきたものがこのタイミングで露呈し、この決断なのだと振り返ると思う。本当に多く学ばせていただいた。

やってることは変わらず「デザインの前のデザイン」である。肩書を質問されるときに上手に説明できずにこねくり出た言葉であるが、僕の提供できるものはそこだ。そこは変わらず愚直に、逆にこれ以外のこと求められても何もしてないのでこの1本で進んでいこうと思う。

改めて、来週6月20日をもって株式会社オバケを退職します。
目標は7月上旬にはリサーチとプランニングの専門会社を立ち上げます。

オバケなので成仏なのかな。次の会社のことは別の機会に(登記でき次第!)お伝えできればと思っています。やってること一緒だけど。
退職エントリーならぬ、成仏エントリーでした。

そして、この6年間、
一緒にものづくり・ことづくりを歩んで下さったクリエイターのみんな。
これまで多くの仕事を相談してくれたクライアントのみなさん。
そして、ともに創業から今日にいたるまで、支え続けてくれた、さっつこと薩川。
祭りだ祭りだー!とデスマーチな日々をともに駆け抜けたチャッキーこと綿村。
本当にありがとうございました。
さらなる高みで再会できるよう僕も精進していきます。

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