「やる気スイッチ」なんてない

Subaru Matsukura
3 min readJan 23, 2017

あれ〜ないな〜「やる気スイッチ」が見つからない。とカーペットの下や枕をヒックリ返したり、棚の奥や、本棚の隙間を探してもどこにもそいつは見つからない。

そのスイッチを探してる時には、すでに心中で「やりたくない」と思っている。それをごまかして探しているふりをしている。よくある。とてもよくある。

新しいゲームを買った時、おもちゃを買った時、友達との飲み会がある時、僕たちは心が踊っている。少し早足にもなってるはずだ。この時、「やりたい」という気持ちだけが僕らを満たしている。あわよくば、その気持ちだけで毎日を過ごせたらとすら思う。

少し時間があって、今やっとけば良いのにグダグダしちゃうとき。それはやる気スイッチが入ってない時だと言われる。そんなこと言われてもいつかやらなきゃいけないし、面倒も多いし、その気持ちだけで僕はこたつに深く潜り込む。

ある時、お片づけをしない子供を叱った。おもちゃを出しっぱなしだったからだ。なんかやりたいゲームがあったようで、それを起動している。あとでやるから!と言って、ゲームを始めた。子供を寝かしつけた後、片付ける約束のおもちゃが出っぱなしだった。

あ、これ俺だな。と気づいた。

子供も大人も分別なく、面倒くさいものは面倒くさい。子供の「あとで〜」も僕の「やる気スイッチどこいった?」も同じことである。嫌なことをさけようとY/Nの間を生み出すんだなと思った。

これを読む誰もが、「やる気スイッチ」なんてみたことがないはずだ。極めて冷静に主観を抜けば、「やる」か「やらないか」の二つしかない。それが現実だと諦めれば、「やる」しかないのだ。

ただ、それでも「やりたいくない」と思うものがあるのなら、それが発生してる根元を立つしかない。嫌なタイプの仕事なら断るしかない。家事であるのなら、改善方法を探すしかない。あまりにやりたくないことが多すぎると最終的には生きることが困難な状態になる。そうなった時、初めて自分は怠惰なんだと気づくのかもしれない。

やるべきことをやれ。

あなたや私が探してるスイッチはこの世界にない。あるのは、やるかやらないか。グズグズしてる時間があれば、やりたいことだけの世界を自分で作るしかない。

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Subaru Matsukura

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