データアクセスコストの最小化 — 俺的インターネット的

最近人と話していたり、記事を読んでいると「インターネット的な考え方」と「非インターネット的な考え方」に遭遇する事がある。「インターネットっぽい」という表現も近いものがある。

ただ、「インターネット的」という単語は明確に定義された単語ではない。気になってググってみたが、糸井さんの著書ぐらいしかひっかからない。

「インターネット的」というからには、根本はインターネットの原理から生まれた価値観に違いないだろう。更にその言葉にはインターネットの原理から派生・応用された技術の特徴も価値観の1つとして介在し得る表現である。

僕らの生活にこれほど融け込んでしまったインターネットだからこそ、改めてその価値を自分なりに言語化しておきたい。そしてそこから、基本的な「インターネット的」価値観と自分的「インターネット的」価値観を明確にしたい。(実際もっと本を読んで原理原則を理解したほうがよさそう)

データアクセスコストの最小化

インターネットはデータへのアクセスコストを最小化してくれている。インターネット上のデータと対になるデータを比較すると、金銭的にも、時間的にも、物理的にも、インターネット上のデータがそれらコスト群を最小化してくれている事が理解できると思う。

TCP/IPによって相互に接続したネットワークの存在が、目的となるxbitのデータに容易にアクセス可能な世界を作ってくれている。表面上は1:1の直接流通のように見えるが、実際は非常に複雑な間接流通によってそのデータに僕たちはアクセス可能となっている。

しかし、そのデータ量は年々増加し、僕らの一生を十分に喰い尽くす程になっている。いや、それはインターネット黎明期からそうであっただろう。だからこそ、Yahooのようなポータルサイトが発達し、Googleのような検索エンジンが発達し、それらの機能は今でも需要有り余る状態となっている。インターネットの基本特性である、データアクセスコストの最小化をインターネット上でより最小化・最適化したテクノロジーやツールは今も重宝され、これからも重宝される。これらのテクノロジー・ツールは基本的にアクセスが容易であるため、多くの人が集まる傾向にある。最終的にインターネット上では、人とデータの間に1つの大きなベネフィット(それはテクノロジーかもしれないし、マーケットプレイスかもしれないし、メディアかもしれないし、コミュニティかもしれない)が介在する事によって成立する。どんなデータのやり取りも最終的にはそうなるだろう。人とデータが自律的に出会う事はほとんどないはずである。

とすると、現状のインターネットで複数のベネフィットによってデータが流通している市場は変更可能性が大幅にあると予想できる。例えば買取市場は、買い手と売り手の間に大きなベネフィットとなるマーケットプレイスが確立すれば消滅し得る市場だと、僕は思う。

インターネットには、データアクセスのコストを大幅に引き下げる特性があると言える。インターネットは僕らの金銭コスト、時間コスト、物理コストをはじめ、多くのコスト群を削減してくれた。しかし、インターネットが存在すればそれらはすべて最小化される物ではなく、インターネットにアドオンをする形でより最小化されていく。そして、そのアドオンは最適化に成功した上位1人がすべてを得る。

徹底的に、コストは0に近ければ近いほど、価値があり、それは物理世界よりも圧倒的な価値基準となる。そしてそのコストを大幅に引き下げた上位1人にのみ、多くの人が集まり、大きなリターンを得る事ができる。

そして、インターネットが教えてくれた事で何よりも大事な事は「金銭コストは0になりうる」という事だと僕は思う。

まとめ

  1. 金銭コストは低ければ低いほど良い。そしてそれは0になりうる
  2. 時間コストは低ければ低いほど良い。それは0にはならずとも、0.x秒以下に削減は可能でなる
  3. 物理コストは低ければ低いほど良い。動作の少ない物であればあるほど、価値がある
  4. それらのコスト削減の組み合わせが、その他のコストを大幅に引き下げる事に繋がる
  5. インターネットだけではそれらのコストを引き下げる事ができない。これらの特性を理解し、特定の領域に最適化できた上位1人が、多くの人に支持され、大きなリターンを得る