Rhetorica#03を超えて──これからについてのメモ

glitched by seshiapple

新刊を校了してから一ヶ月が過ぎた。ついに通販部隊も準備完了。あとはあちこちの書店に置くくらいかな。プロジェクトの区切りが見えてきた。
さて、ちょうど一年ほどかけてつくってきた本が出て、一安心しているかといえば、そうではない。本をつくるプロセスを通じて、次になにをすべきかが明確になってきた。だから、いまはむしろ、新たにやりたいことがワラワラ出てきている。

いままではこういうとき燃え尽き症候群になっていたのに、不思議。そんな感じなのはおそらく、Rhetorica#03はじっくりと熟成させてつくったからだと思う。たとえば半年ほど前──今年の四月時点で、ぼくは次のような日記をつけている。

現実のなかにある虚構のように際立った部分、あるいは反対に、主観にあらわれただけのようでいてひどく現実的な部分。なにか記すとき、それらを取り出して強調し、リアルなものとして位置づけたいように感じる。
以前からそうだった。Rhetorica#01をつくっていたときには、キャラクターの実在感がどこから生じているのか考えていたし、そもそも「レトリカ」という言葉自体、そういう意味の語だと思って使ってきたのだ。
しかし、Rhetorica#01やRhetorica#02においては、このことを「表現」する技法がなかった。だから、この考えの正当性を「主張」するほかなかった。それは悪いことではないが、とにかく不自由だ。

ほかにも次のようなことを書いている。

幻視とめまいの違い。まつもとが言っていた話がなんとなくイメージできるようになってきた。現実に定位しない虚構をムリヤリ現実側に引っ張ってこようとする、手っ取り早くてハードな(クスリのような)「幻視」。それに対して、あくまで身体の反応として虚構のようなものが現れる、迂遠でソフトな「めまい」。FaNは後者だ。

この段階からある程度の解像度で自分(たち)がやりたいことが見えていたから、校了してもハイにならず落ち着いて次の作業を検討できているのだと思う。
自分用のメモだけれど、具体的な次の作業について、いくつか簡単に書いておきたい。

  1. Rhetorica#03で考えた問題「現実と格闘することを通じた、自己解釈の運動あるいは体操あるいはメンテナンス」、「晴れ舞台(ステージ)で現実(リアル)を演じること」に引き続き取り組むこと。
    たとえば、Rhetoricaウェブ上で新刊に載せたようなレビューを掲載すること、SF / ハードボイルド関連の別シリーズをつくること、TRPG関連。
  2. Rhetorica#03で考えた問題の周辺あるいは環境、インフラに位置する問題「なぜ日本の都市において「現実」はこれほど不定形なのか」、「したがって現実との「格闘」を描く表現や実践も難しくなってしまうこと」に取り組むこと。
    たとえば、津和野で立ち上げる下宿屋やRhetoBaseの運営。

本を出すことだけが自分たちの活動のすべてではない。本に描いたような閉じられた問題意識や身内・内輪。それ自体はそのままにしておきながら、同時にこの集団をひらいていく。描いたことと現実との間にもっともっと複雑で豊かな関係をつくるために、次の活動をはやく現実化したい。

One clap, two clap, three clap, forty?

By clapping more or less, you can signal to us which stories really stand out.