見えるものしか信じないのは非科学的

理系っぽい人が、「僕は見えるものしか信じませんから」とか言って、

おおー、とかなるわけなんですが。

科学の主戦場はもう100年以上、見えないものに対してばかりなわけです。

科学の女王でしたっけ?数学は、見えないものの権化です。

物理においても、基本的には、予想があり、それを実験で実証するのが普通であり、逆はほとんど無いんじゃないかなと。

なぜなら、リンゴが落ちたのは引力があるからだ。とか、そういう見えるものを切欠にして何かを知るなんて事は、やりつくされておるわけで。今では、重力波というものが存在しないとオカシイだろう。というアイデアがあり、巨額の資金と頭脳と時間を使って、それを実験して確認して「やっぱあったな」という事になるわけで。

なので、基本、見えるとか見えないとかはあまり関係が無いというか、だから何?みたいな感じに思うんですよね。

見えるものだけ信じるのは、むしろ動物的で、野性的なアピールなのかな。とも思えてきます。動物は、実体験と本能だけを信用していると思いますので。

むしろ、文系のお花畑の空想な世界とかのほうが、科学と相性がいいんじゃないかなと思ったり。

数年前、こんな事があった。

旧帝大の生物系の学部出身の若い男と軽いディベートになった時、

僕は、進化論とか絶対正しいとか思ってないから。とこぼした時、彼は噛み付いてきた。

進化論が正しくないとか、そんな事平気で言う人初めて見ました。ちょっとヤバイですね。

カチンと来たので、

じゃあ、君はなんで進化論が正しいとそんなに自信満々に言えるの?

と聞くと、

いや、何言ってるんですか。ダーウィンが論文で言ってるじゃないですか。読んだこと無いんですか?

そんなの読んだことあるわけ無いだろ、と思いながら、

「そもそも、ダーウィンが言ったからって正しいとは限らないだろ」

「いや、ダーウィンが言ってるんですよ。成田さんみたいな人(凡人)とは桁違いの天才ですよ。それに、その後論文も世に認められてるんですよ」

「いや、ダーウィンとか、論文が世に認められたとか、そういう事と、何故、進化論が正しいのか、は関係無いと思うんだけど。質問に答えてないよね」

「え?ダーウィンが書いて、論文が認められてるんだから、正しいでしょ?」

僕は、科学的というのは、常にものごとの道理を模索するプロセス、だと思っていたが、彼は法律や宗教のように科学は権威の積み重ねである、と捉えているようで滑稽に映って嫌な不敵な笑みをこぼした。

すると、10歳も年下のその男は切れて、あろうことか、僕を羽交い締めにして揺すった笑

「やめてください」

と言ってから、10秒ぐらいは体を揺すぶられて、無言で開放された。

ふと思い出した、笑えるエピソード。