豚の毛1本に日本を想う
豚ロースを切っている時に、白い脂の塊部分から、たくましい黒毛が1本だけ、ピン!と出ていた。
「え”ー」
という気分になり、脂をのけると、3cmぐらい脂に埋まっていて、中々簡単には抜けない。
妙な違和感がありながらも毛を抜いた。
こんな事、日本であったら、大変な事になるぞ!と思う反面、ベトナムでは普通の事だとも思った。
市場で買った肉ならここまで衝撃を受けなかったんだろうけど、高級スーパーでたまたま買った外国産の冷凍肉だったので、油断しており軽くクラッと来た。
ただ、おそらく日本以外では、別に普通なはずだ。騒ぎ立てるほどでもあるまい。豚に毛が生えている事は自然な事でなんらおかしくなく、毛が一本抜き忘れられていたに過ぎない。
ただ、日本では、まさか豚の毛は、ロースの脂身のところからも生えているなんて事は、知り得ないぐらい、ちゃんとそういう毛の処理がされているから、大人になってもこんな生え方してるんだ。と気付かず、愕然とするのである。
日本で、こんなロースが売っていたら、おそらく謝罪ものであろう。
理由は、気持ち悪いからだ。
ただ、よくよく考えてみると、
「だったら食うなよ。脂身から毛が生えている肉を許せないんだろ」
「まさか、豚ロースが工場から、ベルトコンベアで科学的に培養でもされてると思ってるのか?」
「ミス?毛が生えている事のどこがミスだよ?」
という考えもできる。
生きている事を、不潔と思い、無かった事にしたいカルチャーというのが日本にはある。
小学校の時、大便を学校でするのは犯罪行為と見なされ、私刑に値すると僕の時代は思われていた。
学年でも一目置かれ、ランクが高かった奴が、たった一度の排便で失脚した姿を覚えている。
「おい、どうも●●君が、今うんこしてるらしいぞ」
「えー。そんなはずないだろ。●●君だぞ!」
「いや、確かに俺、見たんだよ。トイレに駆け込んでた●●君を。それで、ついていったら、誰もいないけど、一つ大便のところが鍵かかってるんだ。」
という情報がまたたくまに、お昼の休憩時間に広がり、決死隊が組まれ、トイレに向かう。
ドアを強烈にノックする奴が現れる。
「くせー。なんだこの臭いは!」とか言い出す。
最後には、バケツに水を汲んで、上からバンバンとぶっかけられた。
ただ、うんこしてた●●君は、さすがに泣きながら、ずぶ濡れででてきた。
そして、翌日から、いじめていた身分がいじめられる身分へと変わった。
能、茶道、禅、武士道、毛唐・・・つまりは生への嫌悪と生の無いものへのあこがれ。お赤飯なんかも、その変化形であって。
今日も、屠殺場に運ばれた豚が、日本独自のノウハウで、毛の一本がピロンと残らないように、日本独自の技術で処理される。
世界を2つに分けるとしたら、日本と日本以外に分けられる、と大学時代に出会った、(比喩じゃなくて本物のの)貴族のオーストリア人が言っていた事を思い出す。