祈りの場、観光

マドリッドの市庁舎に、大きく「REFUGEES WELCOME」というフラッグが掲げられていた。この市庁舎は中心部に位置し、建物内にもcentre cnentreという文化施設を併設しているため、多くの人から目につく。私が見た日も、カンディンスキーの企画展のため、行列ができていた。左派が主力を握るマドリッドのプレゼンテーションにも見えるが、raise awarenessの力もある、と感じた。ちなみにスペインはヨーロッパの中で、ドイツ、フランスに注いで3番目の数の難民の受け入れを表明している。スペインで難民の話になると、「厄介だ」というよりも「気の毒に」という扱いをされるらしい。

旅先では、様々な宗教施設が観光名所として多くの人を集めていた。人々は写真をとったり、祈ったり、説明を読む。おみやげ物屋では、絵葉書からロザリオが販売されている。このような消費要素も付随的にあるものの、基本的には「語り継がれるもの」としての性格が強い。情報消費に偏りがちな現代だからこそ、改めて求めている人がいるようにも思える。

話を本題に。そもそも旅行自体が、聖地巡礼から始まったものだが、今では異なる宗教の信者も観光で訪れる。このような観光としての宗教施設は、お互いの理解を深めるきっかけになるのだろうか。

個人的には、敬意を持つきっかけにはなると思う。何百年前からもある空間で、何百年前と共通した方法で、人々が祈る。そういった空間から感じたのは、単純に宗教が多くの人々の生活や心の支えになり、国家や文化の形成に寄与した、ということだ。ジョン・レノンは、天国のない世界を想像してごらん、と歌っていたけれど、やはり宗教が果たす役割は大きい。

昨年末、アメリカではポリティカル・コレクトネスのもと、メリークリスマス発言を控えた企業が例年以上に増えたという。一方で、宗教施設は特別な対策を行わない。パリでテロが起こった際も、ルーヴル美術館は閉鎖されたが、教会は祈りの場所として開かれていた。何百年も継承されてきた聖なる場としての強い骨格がある。

やりきれない問題が残る2015年末のスペインでは、イスラム教徒らしき観光客をあまり見かけなかった。彼らがそういった格好をしていないだけかもしれない。お互いの理解が深まり、人々が生まれた境遇に関わらず、堂々と生きられるような世の中になることを願う。

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