芸術との距離

マドリッド初日、ソフィア王妃芸術センターへ向かう。ゲルニカを含めた常設展、コブラの企画展に興味があった。アトーチャ駅を出てすぐ、それらしきものが目に入った。古い建物に、無駄なく増設されたガラスのエレベーターコア、エレベーターに沿って書かれた施設名称。地図上で主要駅であるアトーチャ駅から近いことは知っていたものの、開けた空の下で、すぐに視界に入って、その近さを肌で感じた。

さらにソフィア王妃芸術センターの空間がすばらしかった。特に新館のエントランスと屋上は、ダイナミックで、風通しと光の入り方も絶妙だった。マドリッドでは空中階や、斜め使いの設計をよく見かけた。斜めデザインは原宿の東急プラザや台湾の誠品書店でも見かけたが、安っぽくて個人的にあまり好きではなかった。しかしマドリッドで見たものは、力強くて、斜め疑念は解消された。規模や角度、素材が格段に良かった。

話を元に戻す。今回言いたいのは、斜めに関することではなく、都市におけるトップレベルの芸術との距離感だ。主要駅を出てすぐに素晴らしい美術館があることは、都市のプライドを示している。また、市民が芸術へ気軽にアクセスできる環境も提供している。

ハンブルクでも中央駅のすぐ横に巨大な美術館があって衝撃を受けた。ベルリンは中央駅から徒歩10分内で現代美術館があった。(※ただしベルリンはもっとミュージアムが集結したエリアがあるし、セントラルと中央駅がずれている)フランクフルトでも中央駅から現代美術館は10分程度だった。マンハッタンではMOMAがど真ん中、ロンドンのTATE MODERNは主要駅から少し歩くが、十分街中にある。パリのポンピドゥーも、主要駅からは離れているが、十分セントラルにあった。(そもそもパリは主要駅が街の中心部から少し離れている。) ただしマドリッドのソフィア&アトーチャ駅に勝る距離感を、私はまだ知らない。

一方で東京は、主要駅には文化施設ではなく、商業施設に囲まれている。ヨーロッパの都市と違って、近代に鉄道が起点となって形成された面が大きいから、鉄道会社が利益を得られて、さらに中間層の日常的な娯楽である商業が増えたのだろう。また、日本では文化に対する予算が割かれないため、土地代の高い駅前では難しいのだろう。

しかし現代は消費者は成熟し、人々は以前ほどモノを買わなくなった。それなのに短期的な利益をベースに、メディアと一体になって消費という刺激を与え続けるのは、ナンセンスだと思う。もっと長期的な豊かさを育てるような場が、都市の中心部にあってもよいのではないか。(そういう意味で森美術館は素晴らしい、22時までやっているし)

ただし鉄道会社は、稼がなくてはいけない。文化をマネタイズする方法を生み出すか、国や市民が協力するか、あるいは「稼ぐ」アプローチを考え直すことが必要なのかもしれない。課題だ。