Shinpei Ohtani
3 min readFeb 29, 2016

データで示す

客観的な評価のためにはデータを数字で示すことが重要だと思う。Amazonでは、データで定量的に示すものと、定性的にビヘイビアで示すもの、大きなところではリーダーシッププリンシパルに基づくか、の2つを評価軸として持っている。これは年間の評価だけではなくて、様々な点でこの評価軸を用いた。その結果として、別々のビジネスラインで、ビジネス状況は異なるようなメンバーでも、企業内での文脈がある程度同一にできていて、これが企業競争力につながっているように思う。個人としても学ぶべきものが多かったし、発見も多かった。

個人としては、データは大きく分けてオリジナルデータを極力そのまま掲載するものと、グラフ化して加工したものでは別々にしたほうがよいと思う。データはどこまで収集しておりどうなっているか、とそのデータをどう見たか、は全く別の話だからだ。正直にいうと、かなりの数のデータは加工されたものだけを提示しているものが多いので、オリジナルデータを見たいことが多い。現実的にどこまでとっており、なぜそこまでしか収集できないのか、そのあたりだ。そのうえで加工したデータを見る。こちらはデータそのものよりも意図やwillをみる。どうしてそうデータを見たのかを考え、意見する。論理や理屈が通れば、そのままGoとしていくのがよい。そこで無駄に感情的なところを入れずに淡々とやっていくのが大事と思う。

しかし、データが完全なことはまずありえない。なので、次に考えることはデータが欠落している前提で状況をみて、リスクテイクしていく点になる。計算されたリスクを取ることは重要な事で、これをしないと基本的になんでもNoという組織の出来上がりで、あとは衰退しかない。小さな失敗と方向修正をすることが特にスピードを出すためには重要。その際に閾値やここを超えたら撤退というラインを引いておく。まず考えるべきところは、what if xxx can do を考えてメリットがあるのであれば、試してみるべきかと思う。基本的には最初はNoの姿勢ではなく、Yesの姿勢で望んだ上でただし条件をつけてトライしてみる。成功している間は継続して、失敗したらそれを振り返る。失敗したときに学習することで次の判断の精度が少し上がる。これを繰り返す。失敗という言葉が良くないかもしれない。発見くらいに考えておくと良いと思うし、発見したんであればそれがなんだったのか共有すべきだろう。

よく勘違いしている人がいるけど、データで示す、というのは「データだけで全部は判断できませんよ、ただしベースはデータで示したうえで残りの不確かな部分は基本Yesの方向で撤退のラインを議論しますよ」、っていう意味。決して「データなんて意味がないのでそれなくても決めますよ」、っていう意味ではない。一番最悪なのは、データも見ない・基本やらないの姿勢で、多くがそうなっているのを見ていると非常に残念な気持ちになる。データは人間の血流みたいなものと思う。