価値とはなにか?

「価値とはなんだろう」と考える事が多い。

端的にいえば、「何がすごくて、何がすごくないか」。その“尺度”をどうとると、自分の中で腑に落ちるかということを自問自答してきたが、自分なりの答えが出た気がしたのでまとめてみる。重要なのは、隠れている価値をも見極め、フェアな俎上であらゆる物事の真贋・その価値を判断できるかという点だ。翻せば、そうした視点をもって自分が何に対して価値を感じてきたか、というものに向き合った結果が以下となる。それを整理し言葉に表現してみようと思う。


価値=「再現性」

「希少価値」という言葉も近いが、「再現性」という表現がより実を捉えていると思ったので、こう定義する。言い換えれば、「自分がそれを再現して、“ゼロ”から創ろうと思った時に可能であるか?」「可能だとしたときに、どれほどの時間がかかるのか?」ということだ。要するに、目の前にある対象の価値を量るために、「自分が創るとしたらどうするか?」という“想像力”を噛ませることで、その価値を実感しやすいということだ。

いくつか例を挙げる。

わかりやすいのが「生命」だ。生命を再現することは可能だろうか、それを壊したとして寸分違わず元通りにすることは可能だろうか。仮に組成を用意することはできても、その有機的繋がりや複雑な代謝システムまでの再現は当然不可能だ。殊に人間に関していえば、その人格や育て上げてきた環境をも含めればなおさら不可能だ。いうまでもないが、かけがえのないものだ。

他にも、数千年続く歴史伝統やヴィンテージ物、鍛錬の成果である匠の超絶技巧など、それを再現しようとすれば、単純に考えてもう一度同じ年月を重ねる必要がある。そこには“価値”が存在する。ここまでいかなくても身近な家具雑貨や自転車・自動車のような道具でさえ、これを知識も何もない状態からうまく作るとしたらどうするか、という想像をすることで、今一度その価値を再認するだろう。

情報もそうだ。一次情報であればその場にいなければ得られない情報であり、二次以降の情報でさえも、それをキュレーションするためのリサーチ時間と構造化の思考・整理された表現まで含めると、その時間を省略し手にすることのできる“情報”には価値がある。

(やや話が逸れるが、「時間資本主義」という考え方、および著書がある。前職時代に読んで僕は勝手に名著だと思っているのだが、この著書によればこれからの時代の人のニーズおよびサービスは以下の2つに二分される。「時間効率化(時短などで時間を節約する)」と、「時間快適化(過ごす時間を豊かにする)」だ。僕もこれには大いに納得している。)

永続性と、一瞬性

上記のような価値の捉え方がある一方で、「そのとき、その場所でしか経験できない」という意味で“かけがえのない”価値、というものも存在するように思う。

例えるなら、出会いや即興のジャズセッション、ローカルにしかない地場の風土文化などだ。その瞬間にしか得ることができない“感覚”を与えてくれるもの、いわば「一期一会」の概念を感じさせるもの。“縁”や“邂逅”といった類のものに対しても、僕は非常に価値を感じてきた。なぜなら、これらはその次の瞬間には消えてなくなってしまい、“再現”できないものだからだ。これらは、永続とは異なる「いま」を感じさせるものである。

ただ、そうして振り返ると、自らが深く価値を感じるものには矛盾した二側面があることに気付いた。いわば、前者の「永続性」と後者の「一瞬性」とでもいえるような2つの側面だ。そして気付いた、“両方”必要なのだと。


イメージでいうと、こんな感じだ。

価値=永続性/一瞬性

まず、その対象の持つ「永続性」の要素が、無限または極大となるとき、価値は最大化する。一方で、その対象が同時に持つ「一瞬性」の要素が、限りなくゼロに近いか極小となるとき、さらに価値は無限に近づく。

どちらかだけでも満たせば、かなり僕は価値を感じる。(少なくとも永続性や普遍性を持たないものに対して、僕は全く興味を持てなかった。)では、もしこの二側面を“両方”満たすものが存在した場合、その価値はどれほどのものなのだろうか?

僕にとって、それを両方満たすもの、それが「日本酒」だ。

色々と改めて考えて、そう気づいてしまった。なぜ僕が日本酒というものに、人生の本懐を抱くに至ったか。それは、かねてから重要と考えていたテーマ性がすべて日本酒の中に埋め込まれているからだ。前述の価値式のようなものに当てはめて考えると、日本酒にはこのような考え方ができる。

日本酒の価値=永続性(食、生命、伝統技能、農、発酵、…)/一瞬性(出会い、コミュニケーション、酔、五感、地域性、…)

別に日本酒だけがこれを満たすわけでない。「生命」と「伝統技能」の永続性を、「飲み」という一瞬の場に表現するのが“酒”ならば、永続的な世界の光を切り取って、一瞬をとじこめた作品として表現するのが、例えば“写真”という世界なのだろうと思う。ひとつ言えるのは、人を魅了してやまない“価値あるもの”と思えるものには必ずこの2つの側面があるのではないか?ということだ。

相対的価値と、価値伝達

整理すると、永続性は「時間軸の価値」、一瞬性は「空間軸の価値」ということができるだろう。

つまり、前者は“積み上げてきた時間の長さ”の価値であり、後者は同じ時間のなかで“その場でしか経験できない価値”ということだ。これによって、価値は絶対的なものでなく、人それぞれ異なる相対的なものになる。

「時間軸の価値」でいうと、例えば鍛錬や勉強を積み上げてきた人にとって、その分野の問題はその経験がない人に比べてはるかに「再現」しやすい。その差は主に“時間”に依存している。だから、医学知識がない人は病院にいくし、法律知識がない人は弁護士に相談する。鍛錬や勉強を行う代わりに、その対価となる金銭を払うことでその“時間”を買う。

「空間軸の価値」でいうと、貿易における比較優位などの考え方がまさにそうだ。ある地域で価値あるものとされるモノ・体験でも、別の地域にいけば簡単に手に入る。また、どんなに出会うのが困難な人でも、その周辺にいる人にとっては身近な存在だ。その差は主に“空間”的な隔たりに依存している。その差が価値となって、人は対価を払う。

だから、一般に価値あるものとされているものは、各人の到達点や居場所に応じた相対的価値を社会で平均したものに過ぎない。この前提に立ってできることは、大きく2つ。「自ら価値を創造し高めること」と「価値を伝達すること」だ。そして、その際にきっと重要になるのが、「何に価値(永続性/一瞬性)があり、どこにその差分が存在するのか」という視点だ。


すでにAIやロボットの隆盛によって世界的に盛り上がっている議論ではあるが、「再現性」という軸を通してみると、これからの「価値」は必ず「人」に収束していくだろうと思っている。それは「芸術、Art」であったり「感性、Sense」という領域だ。(つまり、「永続性」を持つ領域は、AIやロボットによる代替で今後よりシビアに選抜されていき、「一瞬性」を持つ領域は、ICTによってより生身のライブ感を伴うものに限定されていく。)

酒でいえば、数字やデータだけで真に旨い酒はできないと考えている。それらから引き出される洞察・知見によって、“人間”が生命の力を借りて価値を生み出すものが酒だ。「機能的価値」に依らない、「意味的価値」によって酒という“体験”は決まってくるように思う。そして、それを創り出せるよう、多くの方々のコミュニケーションの「和」を生み出せるよう邁進していきたい。

2016/6/5

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