成長するということ

Shin Takeuchi
8 min readApr 25, 2016

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2016年4月1日、沢山の大切な新卒社員が入社してくれました。彼ら、彼女たちのこれからの成長と結果に対して大きな期待を寄せるとともに、ご両親から大切なご子息、ご令嬢をお預かりしたという大きな責任を果たすべく、心新たに覚悟を持つ瞬間でもあります。

僕個人はいくつかの会社の経営者という立場もあり、自分が進んできたようなキツイ道を課すようなメッセージングも出来ないし、そもそも他人から課されたからといって本人のためになるとも思えません。しかしながら、人はいつまでも成長できる生き物だと思う反面、社会人として最初のルーチンが染み込むまでのこの時間こそが、最も大切な時間のひとつでもあると思っています。そして、激しい成長を望む若者も沢山いると思っていて、彼ら彼女たちに、自分の経験と、今自分を形作るために必要だったものだと思うものを少しだけ伝えられたらと思い、ここに書くことにしました。あくまでも一般論では無いと思うし、自己の考察であり、誰に対しても、これらの言葉を強要したいわけでも無い旨、ご理解いただきたいと思います。

最初の24時間のルーチンを大切に

当たり前ですが、人には平等に1日24時間が与えられています。驚くことに我々は必ずその24時間を消費しています。仕事をしていようが、遊んでいようが、ボーっとしていようが24時間は消費するのです。

もし今日、何か新しいことをはじめようと思ったとき、最初にすることは「何かをやめること」です。時間が空いていると思うことは厳禁です。今の24時間のルーチンには、ボーっとしている時間も、大好きなゲームをする時間も大切な時間の消費であり、その時間は例えば他の時間で貯めたストレスを発散していたりと、日々生きて行く中で大切な時間として存在しています。なので、これらを勉強や成長のための時間に充てた時、日々貯めていたストレスを発散できなくなるかもしれません。そうするとメンタルに支障が出たり、そこからさらに体へも悪い反応が出る可能性もあります。何かを辞めて、何かをはじめるということは一度バランスが取れなくなる期間があるかもしれないことをまず知ることが大切です。

メンタルはストレスを受けながら、それを自分自身内省してゆっくりと鍛えられるものだと思いますが、単位時間あたりの過度なストレスは精神を崩壊させます。このため、ゆっくりと時間の過ごし方を変えていくことがベターです。一部極端にした方が良いタイプの人もいますがそれは後述しますし、マイノリティなタイプ(自分自身を含め)だと思うので、一般論するのはやめたいと思います。

さて、社会人になると毎日何が起こるのかな?と緊張している方が多いかと思います。日々新しい仕事ばかりで心は何が来てもある程度受け止めようとしている最中は比較的チャンスです。この期間は1年間程度、ゆるやかにフェードアウトするように消えていきます。2年目になり、後輩ができて、自分のやってきたことを教える立場になっていくと、人によってはほぼ緊張状態は無くなり、慣れのようなものが生まれる方も多いのではないでしょうか。

この期間、特に仕事以外の時間の過ごし方に1週間に1時間でも、仕事に活きるような自学を行う時間をルーチンとして取ることに成功しているか、はたまたルーチンとしては取れていないか、この差はそれから仕事をしている期間、ずっと影響し続けます。金利が0%の貯金と、金利が1%の貯金の違いというと大げさかもしれませんが、業務以外の知識や経験を手にいれる時間と捉えると、0と1ほどの差は確実にあります。

24時間、もしくは1週間のプライベートな時間のルーチンはなんとなくできてくる方が多いです。例えば「金曜日は飲みに行く」というのもひとつのルーチンです。それ自体が悪い、悪くないについて議論するつもりはありませんが、僕は1週間の中の2–3時間が必ずロックアップされているのは非常に勿体無いと思ってしまうので、ルーチンには入っていませんし、金曜日だから飲みに行きたいということも思いつかないようになっています。

愚痴は上司に言おう

社会は思ったよりも理不尽です。理不尽なことしか無いと思っても過言ではありません。人類が進化したのも「欲」を持っているからだと思いますし、欲とはどこまでいっても醜いものが多くあります。欲を完全に制御できる人は大人でもほとんどいません。成長している人でも人生即ちこのために勉強の毎日を過ごしていることでしょう。僕もその一人です。

欲に振り回される人が、人の上に立つこともしばしばあります。社会人を数年経験した人であれば、ルールに基づかず、その時の欲やストレス、怒りなどから理不尽な要求を受けたことは何度とあるでしょう。その際、一度自分に対して自己の振る舞いや考え方を振り返るのはとても良い作業のひとつだと思いますが、それでも納得がいかないことは愚痴になることが多いと思います。

納得できないことを愚痴ることは仕方が無いことです。どんな人でもやってしまうことなので、愚痴るな、というのはやや横暴だと思います。しかし、同僚や部下に愚痴っても正直あまり良いことは無いように思います。組織はほとんどの場合、ある程度トップダウンで色々なものが決まっていきます。大きな会社になればなるほど、理不尽なものは組織を腐敗させる要因となり得るため、秩序立てていくよう組織全体として改善するモチベーションはありますが、その課題をキャッチアップできなければ改善されることもありません。

このため、直属でも斜め上でも、できる限り上へ上へエスカレーションできると改善される可能性はゼロでは無くなります。ただ、上司のスタイルや組織構造、またエスカレーションする課題の質や量によっても、反応は変わって来ますので、どうしようも無いものを相談するという体でエスカレーションすることと、理不尽を受け止める力も社会の中でも必要になってくるので、ある程度は受け止めて内省することも必要とは思います。

目の前にあるものを好きになる

好きこそものの上手なれ、という言葉がありますが、ある意味これは最強だと思います。概ね強い経営者やスタープレーヤーはこの力を持っていると思います。

アランの幸福論の中に「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。」という言葉がありますが、あらゆることを悲観から楽観へと考え方を変えるには、沢山のどん底とも言える経験が必要になるものですが、こと「好き」というエネルギーはそれらを超越するパワーを持っています。

僕は何事においても、知れば知るほど好きなる、という言葉を大切にしています。知らない、できないは嫌いになる一番の要因です。知る、できるようになってみる、そしたら好きになるんじゃ無いか?という仮説で、まずできるまで一所懸命やってみる、そこに多くの時間を費やしてみる、そうすると案外好きになれるものは多くあります。

ただ、それでもどうしても向かないものはあります。僕も学生時代、どうしても歴史が覚えられなくて苦労しました。今では歴史的な土地に行ってみたり、背景を聞いたりすると歴史って面白いな、って思えるようになりましたが、過去のそれぞれのタイミングではどうしようも無いことがあります。その時は潔く引くということも選択肢の一つですが、それでも十分な時間は試して、悔いの無い状況までやってみるのも大切です。ここもバランスが難しいですね。願わくば、上司がしっかりとタイミングを見極めてくれると良いのですが、そうでない場合はタイミングを見て、自分自身向いていないように思うことを相談してみると良いかと思います。

色々と書きましたが、好きになるとそれしか見えなくなって、24時間のほとんどの時間がその事柄に染まってしまうこともあります。これは極端な状態ですが、こういう人は強いです。周りからは稀有な目で見られることもありますが、一定年齢に達した時に突き抜けている人は得てしてこういうタイプの方が多いと思います。

どの程度の成長を求めて生きていくか、どういうルーチンを築くか、好きになる力がどの程度高まっているか、そういうものが最初の1年でも培えるものだと思いますので、高成長を狙う方々はぜひ参考にしてみてください。ただし、メンタルとフィジカルの両方とも限界があります。そして少しずつでしか限界を引き上げていくことはできないので、くれぐれも無理をしない範囲で少しだけ負荷をかけるということも心がけてください。

これを読み、実践した方といつか一緒に同じ目線で仕事をする機会があるかもしれないと思うと、僕はとてもワクワクします。その日を楽しみに、僕自身、今日も新しいインプットができるよう、ひとつひとつ頑張ってまいりたいと思います。

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