メディアとコミュニティ

こうのたけし
Think about next media.
3 min readMar 16, 2015

メディア論をする際、人によって「メディア」や「コミュニティ」などの言葉の定義が曖昧だったりズレてたりするのでむずかしいよね。

ぼくは「メディア」はサイトや雑誌をつくっただけでは「メディア」になりえないと思ってて、そこに乗っかる「コンテンツ」の一貫性があり(テーマの共通性があり一定間隔で更新される)、そのコンテンツを肴に「コミュニケーション」が行なわれ(コンテンツは会話の肴にすぎない)、コミュニケーションが活発になり参加者が増えることで「コミュニティ」が形成される
そこでようやくほんとうの意味での「メディア」になれると考えている。

じっさいの立ち居振る舞いとしては、自分も会話に参加していくこともあるだろうし、あくまでも会話の肴を提供する側にとどまってニマニマと眺めるのもあるとは思うけど、「メディア=コンテンツ」を否定する必要なんてなくて、そこからいかに広げていくか(コミュニケーションを育み、コミュニティを形成するか)を考えていけるかって話でとらえている。

前に読んだある専門家の記事では
「紙や電波ではコミュニケーションがとれなかったというのはある。あるいは、日本人全員を相手にしてたのだからコミュニティもへったくれもないだろう、とも言える。」
とあったけど、そんなことはなくて、読者投稿欄をはじめコミュニケーションは存在していた。「ジャンプ放送局」なんて600万人規模の一大コミュニティだったし、ラジオなんてのはコミュニティがなければ継続しようがないもの。

ネットとの連携も昔からあって、たとえば1995年とか1996年当時において、『ダ・ヴィンチ』などの雑誌はNIFTY-Serve上にBBSを開設して
読者とのコミュニケーションを図っていた。

メディア論をとくにネットとの対比で語る人の多くは、テレビやラジオや出版(新聞、雑誌)が古くて遅れているという論を展開しがちだけど、べつにそういう話でもないんだよね。
ネット企業でもぜんぜんコミュニティを築けてないところはあるし。
また、コミュニティがなきゃダメって話でもないし(ここ大事)。

読者と運営者、あるいは読者間で会話(コミュニケーション)がなきゃいけないのかっていうと、そういうことでもない。
「会いにいけるアイドル」もいれば「紅白すら出ないミュージシャン」もいていいし、大事なのは「支持を得ているか」であって、その支持のカタチはコミュニティ形成だけじゃない。
会員モデル(サブスクリプションモデル)は、べつにコミュニティがなくても成立するし、コミュニティがなくても広告以外の収益化は可能だから。

ただこれも「コミュニティ」の定義次第な話で、
「お金を払ってくれるような支持者がいるなら、それはもう立派なコミュニティ」
といえばそういう話でしかない。

まあそんなこんなでメディア論ってそもそも会話が成立しにくいんだよねえ。
だから直接会って、言葉の意味とか定義を確認しながら議論していかないとなかなかむずかしい。

でもこういう話は大好きで、できるだけオンライン・オフライン問わずにいろんな人とじっくり話をしたい。

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こうのたけし
Think about next media.

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