ネイティブアドの議論以前の話など

こうのたけし
3 min readMay 2, 2016

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「民放がNHKと異なりタダで見られるのはCMのおかげだからCMを容認する」なんて人はほぼいないわけで、基本的に広告というものはネットにかぎらず歓迎されていない。
一方、メディア側は「タダ」で提供することが競争上避けられなくなっていて、そのために広告収入は不可欠になっている。
雑誌はタダじゃないぞという指摘もあるとは思うけど、広告が入らなかったら雑誌はいまの価格で売れないことは自明だよね。

まず大前提としてメディアの原価構造なんてことに関心を持つ視聴者・読者は少数派で、ゆえに広告が必要悪だとしても、そう認識されていないという事実がある。

ただしネットの場合は広告位置(≒バナー位置)がわかりやすかったこともあり無視しやすいためにそれほど大きな問題にはならなかった。
画面上のバナー広告など広告的なものを「見えてるけど見ない(見てない)」ことを指して「バナー・ブラインドネス」なんて呼ぶけど、これはメディア側にとっては深刻だけど「広告が多いからこのサイトを見ない」とはならなかったのは不幸中の幸いともいえる。
(CPMはどんどん下がるので、それを補うために広告スペースが増えるけどね)

ネットにおいて広告は嫌われものでありながらどうにかユーザーと共存できていたのに、昨今スマホ閲覧が一般化したために、通信料の節約を理由に「広告を消したい」という声が大きくなってきたのはたぶん予想外。
(もちろん画面を専有して強制的に見せるタイプの広告はネットでも激しく嫌悪されてきた)

そうしてアドブロックが技術的にもそれなりのレベルで実現可能になり、ユーザーの「見ないんじゃなく、最初から表示したくない(それによって通信料を抑えたい)」という要望が顕在化すると、メディアとしてはバナー的な広告はもう未来がないと認めざるをえない。

スマホの影響はデザイン面でも起きていて、ようするにサイドバーやフッタでの広告枠が事実上消滅したので、いままでのように広告を配置しようとすると、メインエリアに置かざるをえないというのもあるよね。
シングルカラムレイアウトで、無限スクロールのサイトをつくろうとすると広告が置ける場所なんてコンテンツの間しかないわけで。

これはなにも広告にかぎった話ではないのだけど、スマホの普及(ウェブ閲覧のスマホシフト)が根本的な構造変化を求めているというのは興味深い。

つづく、かもしれない。
書いてないのは

  • 広告はほんとうにジャマなのか、ネイティブアドだけがまぎらわしいのか
  • むしろネイティブアドって従来の広告がスパム化していることを真摯に受け止めた人たちがはじめたんじゃないのか
  • それを都合よく解釈して新たなスパムツールにしたのはべつの連中じゃないのか
  • とはいえそんなのはユーザーの知ったこっちゃないから、けっきょく業界に自浄作用がないのが問題なんじゃないの

などなど。

新語をつくってごまかしてる感があるのは否めないけど、広告主にとっても、メディアにとっても機能しない広告に意味はないので、新しい拡声器としての広告は必要だよね。
それは(現状の反省からはじまってる以上)ユーザーにとって「それなりに歓迎されるもの」になってると思う。

広告の再定義。広告の再発明。

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こうのたけし

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