diary — 160605(Sun) もくもく会, 日本酒, スール制

午後から街中。

Instagram の熊本タグを眺めていて、自分の知らない場所にコーヒーショップがあるみたいだったので、そこを目指して歩く。新しい店ですぐ見つかった。豆の販売が6割、座って飲むのが4割、といった風情の店構え。今の豆が切れたらここで買ってみたい。

付近をうろうろしているとその近所に酒屋を見つけた。店内はこぎれいで、それほど店内が広くないが壁一杯に焼酎・酒・ワインが並んでいる。日本酒は種類をしぼってあって、どうも緑川が推し筋のもよう。緑川の生酒を買った。

街中で「ロブスター」を観た。独身が社会的な無用物として動物に処理されてしまう(食われるのではなく、手術で本人が希望する動物に変えられる)世界。処理される前、辺境のホテルで45日間、最後の猶予を与えられるので、その間に自分のパートナーを見つけなければならない……というお話。

後半出てくる独身者のグループが、体制が強要するエモーショナルな音楽を拒否し、電子音楽のみしか聴くことを許されていない、かつ、踊るのはめいめいディスクマンをヘッドフォンで聴きながら、というのが、昔はてなにいた(今もいるが……)pha さんなんかの周囲の感じを連想させた。

映画館を出て映画のタイトルを検索すると、同じ上映会を観た人の感想を見つけたりすることがあるが、今日のそれは「ハズレだった」というものだった。ハズレの一言か……プラスに取れば、文字であんまり書くことがない人生というのは幸せさ、と言える。しかし、その方の発言をザッと読むと、30代女性を取り巻く厳しい感じが、レンジでチンした白飯のようなボソボソの文体に乗せられて綴られており、地震大丈夫でしたか、これから大丈夫ですか、と声にならない声を送りたくなる。

まぁ「ハズレだった」だって感想なのだし、上映中爆睡するのだって感想だし、そこには何も思うところはない。懲りずにときどき観に来られるといいですね、と思う。

自分を振り返って、映画や小説を面白がれるようになったのだって、ある時期からに違いないし、なにをするにも時間と経験が必要なのだ。「それ」がいつ来るかはわからないし、私にまだどの段階の「それ」が来ていないのか、わからないが……。

たとえば……ちょっと前からひまびまに『マリみて』を読んでいるのだが、以前読んだときには、話の筋を追おうとして、それほど楽しめなかったのが、今は、関係性とそこから出てくるセリフと謎を存分に楽しめている気がする。

何が自分にとって来ているか来ていないかは、「あたってみる」ほかないのであって、その結果が「ハズレだった」でも、次に行けばいいのであった。

(しかしそもそも、次にあたるべきものを、漠然とでも教えてくれる「先輩」という存在が死んでいることが不幸のはじまりなのだから、すべてがフラットになってしまった今、私や「ハズレだった」彼女のような人達こそ『マリみて』のスール制を導入すべきなのかもしれない……と、これはいままで何度か考えた与太である。)

酒の入ったレジ袋には、店の情報紙が入っていた。マスターは先日フランスにワインの勉強しに行ってきた、とかなんとか。また行ってみよう。

画像は『マリみて』捜査メモと情報紙。どんなものでも、読みながら少し複雑に感じたらメモして整理するべきである。

spot: 木村屋酒店

熊本県熊本市中央区新町2丁目12−31

森からし蓮根店の隣。喫茶店か飲み屋か謎のスペースが併設されているが、そのドアの中には入らなかった。

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