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Sometimes I wish I could be a surgeon, an attorney or someone of importance. Someone with high caliber.

And I wish I could have flawless skin, a much taller and bigger build, a good eyesight for material things and in life. But these things don’t just come to me naturally.

Whatever I’ve earned so far, I earned with quite an effort and a great deal of time. And yet, that still doesn’t make me a surgeon or an attorney or someone with impeccable skin and body.

I get acne every month. I’m short — like really, substantially short. I’m gay. I’m capable of speaking in 3 languages, but if you ask me whether I can be a writer in any of them, I might hesitate. …


「食之無味,棄之可惜」という中国語のことわざがあります。それは、「味は無くて美味しくないけれど、捨てるのも勿体無い」ことを意味します。勿論、「食べる」ことだけに限った諺ではなく、人生ありとあらゆるものに当てはめられます。

30近くになると、買うもの、毎日使用するもの、仕事、友人、付き合いなど全てにおいて、どんどん「捨てる」回数が増えてきました。どういう事かというと、20代の頃と違って、我慢したくない気持ちがより強くなっていき、更には我慢する時間も無いことを知っているからです。痛いほど、時間はお金でもあると、30歳になると分かっているからです。

20代であれば、美味しくないところであっても、「安さ」や「近さ」で妥協していました。しかし、今は少し足を延ばしてでも美味しい・満足にいく所を選びたがります。それは例えどうでも良い平日の1人の食事でもそうです。

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友人だってそうです。今までなんとなく付き合っていた友達にも、お互い良き交流ができない場合は少しずつ距離を置き始めています。”You are the average of the 5 people you spend the most time with”て言葉もありますね。(訳: あなたが最も長く時を共にする5人の人間の平均が、”あなた” という存在だ。) この言葉は真実を照らしてくれていると思います。ネガティブな友人が周りにいても、決して「ネガティブな友人ばかりを持っている」ことではなく、「自分自身がネガティブ」なんじゃないかと考えなければなりません。

味が無ければ、味があるところに移ればいい。そう単純に考えればいいと思います。

10年友情が続いたからだとか、これは昔の誰かから貰ったものだからとか気にしなくていい。ただ、今この瞬間どう思っているのか、それだけを考えればいい。勿論、結婚など、リーガル・メンタルオブリゲーションを持つものは、安易に捨てるのは良くないと思いますが、やはり最後は気持ちなのです。

気持ちひとつで我々はこの世界に存在し、最後に死ぬ時も、結局この「心」だけを持っていけないのです。身体もオリンピック選手の様に鍛えても数十年でも経てば、錆が付いてきます。

「勿体無い」という気持ちは、要するに貪欲な気持ちの表れで、ゆくゆくは自分自身もそれに蝕まれます。だから、改めて考えなければいけません。「勿体無い」という名目の元時間の代償を払うのか、はたまた、今から切り捨てていくのか。どんな場合においても、私は後者を選びます。


本をめくれば、歴史の中には尊い目的のために命を捧げ、犠牲にした人が山ほどいたことが分かります。Simon Sinekという著名な作家は、「大事な質問は『なぜ』なのだ」と言っています。それは、「なんで今自分はこのことをしているのか?」から始まり、自分の人生のミッション、ひいては会社のミッションまで繰り広げていき、問い続けることを意味します。

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誰しも「ミッションの為に命を燃やしたい」と思うはずです。中には、平々凡々と人生を送りたいと思う方もいるかもしれません。ただ、その平々凡々の中であっても、必ず炎やパッションはあるはずです。私はミッションを探す為に20代の多くを悩む日々に費やしてきました。悩んだ挙句、結論を得られたかというと、そうでもありません。寧ろ、悩めば悩むほど、ループに陥り、益々分からなくなります。それを英語でtunnel vision (トンネルに入るかのように視界が極端に狭まる例え)と言います。例えば、運命の相手に出会いたいと思い、条件ありきで探すととてつもなく苦労します。一方、条件を捨て、視界を広げていくと、恋の芽は案外すぐに見つかったりします。

ミッションもそんなものかもしれませんね。私はLGBTQのためにスポーツイベントを主催するNGOに所属しています。娯楽を主旨としたスポーツイベントが主ですが、その規模は国内のものから、二国間のもの、国際的なオリンピックに似たものまであります。これにいまは時間を費やし、「燃やしている」わけですが、20代の中でも今が一番楽しく人生を活きている気がします。この10年間、私は「自分のミッション/パッションを探す」ことに夢中で、それに焦りさえ感じ、いつしか「パッション」という言葉に嫌悪感を抱くようになりました。ただ、パッションというのは、何か一つものがある訳ではなく、あくまで「精一杯その瞬間を生きる」ことなのだと思います。

神様に敬虔に祈る姿、自分の人権を守るために戦う姿、自分の国を守るために立ち上がる勇気ある姿。これらは全て傍から見れば「パッションあるなぁ」と思われますが、本人は一所懸命に生きているなだけです。勿論、「だけです」と表現していますが、それは大変立派なことです。

歴史に残っているような人物はパッション探しなんかではなく、その一瞬一瞬を捉え、自分に出来ることを精一杯やってきた人たちだと思います。無名のまま歴史の中から葬られた人もそれ以上にもっと多いでしょう。ただ、精一杯生きた後には、果実を掴めなくても、少なくとも後悔という現実に向き合わなくて済みます。80歳の時に、「あー、あの人と結婚すれば良かった」、「あの人に告白すれば良かった」、「あの時、会社を辞めれば良かった」、「起業をしてみれば良かった」と思わないように、私は今精一杯生きようとしています。

私の父もそうだったと思います。パッションなんかではなく、お金を稼ぐためにもがき、「不動産業」に辿り着き、それがいつしか「パッション」や「ミッション」になっていったのです。

パッションを探すことから始めるのか、「今を生きる」ところから始めるのか。

歴史を掘り下げれば、答えは明確です。

About

Soggy

Mix of Japan & Taiwan. Freelance writer & marketer. I write about mental clarity and culture. For collaboration, please contact: sogennegos@gmail.com

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