万葉集❖備忘録❖

❖香久山は 畝傍をををしと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし
古も しかにあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき
〈香久山は畝傍山が愛しいといって、耳成山と争った。神代の時代からこんなふうであるらしい。昔もそうだからこそ、今の世でも妻を争うらしい。〉
この歌は三山の性別をめぐっては、二説ある。一つは、男山の香久山が女山の畝傍を「をしー愛し=かわいい」または「惜し=失うのが惜しい」と思い、男山の耳成と争ったというもの。もう一つは、女山の香久山が男山の畝傍を「ををしー雄々しい=男らしい」と思い女山の耳成と争ったとするものである。原文は「雄男志」とあり「雄々しい」のようだが、現実には一人の女を争うほうが自然であろう。

❖海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやくありこそ
〈大海原に大きくはためく雲に、燃えるような入り日の射すのを見た今夜は、月も澄み切って明るく照り輝いて欲しい。〉
「旗雲」は旗のように大空をよこぎって大きくはためく雲。神代を思わせる雄渾な調べ。
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
黄葉(もみじ)は紅葉のこと。万葉集ではこう書くことが多い。
偲ふは賞美する、思い慕う、懐かしむ意味で、奈良時代は「しのぶ」と濁らない。
平安時代以降、「忍ぶ=じっとこらえる、つつみ隠す」と混同されるようになる。
「春山の万花の艶=色とりどりの花が咲き乱れるあでやかさ」
春の神→佐保姫
「秋山の千葉の彩=さまざまに錦織りなす紅葉の美しさ」
秋の神→竜田姫

嚆矢→物事のはじめ
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — —

❖三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
〈なつかしい大和の国の三輪山をそのように隠すのか。せめて雲にだけでも思いやりがあってほしい、振り返り振り返り見たい山なのに、そのように雲が隠してよいものか〉

❖采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
〈采女の華やかな祖でをひるがえしていた明日香の風も、都が遷り遠くなったので、今はただ空しく吹いている〉

❖川の上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は
〈川のほとりのつらつら椿をつらつらと、いくら見ても見飽きない、巨勢の春のは。〉

つらつら椿は椿の並木とも、椿の花や葉が連なっているようすともいう。

「椿」という漢字は国字=日本で作られた漢字で、春の木と書く。
このことからもわかるように、椿は春に先駆けて花をつけ、春の到来を告げる聖なる木とされる。椿の生える山は椿山と呼んで神を祭る。
また、正月の卯杖=邪気を払う呪具も椿で作られたという。

— — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
「おかみ」は蛇体で水を司る神。
古代、雪はめでたいもの、豊年のしるしでもあった。

豪放磊落 度量が大きく、些細なことにこだわらない。
誣告 わざと事実を偽って告げること。
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — —

❖あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに
〈山のしずくが落ちてくる所であなたを待って、私はずっと立ち続けていて、濡れてしまった、山のしずくに。〉

❖我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
〈私を待ってあなたが濡れてしまわれたという、その山のしずくになって
あなたに寄り添っていたかったのに。〉

「ならましものを」は「もしも〜だったらよかったのに」と事実に反することを仮に想像する意。

❖うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背と我れ見む

❖百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
「雲隠る」は死を意味する。大津の魂は鳥の姿になって、独りあてどなく遠い雲の彼方へ飛んで行くだろう。そして、明日も変わらず、鴨は磐余の池に鳴くだろう。

— — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
「うつせみ」はこの世。
「世間を背きしえぬ」は人間は必ず死ぬという無情の定めを逃れられないこと。
「領巾」は女性が肩に垂らす布。魔除けなどの呪力を持つという。別れの時などに振った。
「天領巾隠り」はそれに隠れることで亡くなったことを美しく暗示する。
「鳥じもの」鳥のように。「男じもの」男のように。
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
❖淡路の 野島の崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹き返す
〈淡路の野島の崎の浜風に、妻が結んでくれた着物の紐を風が吹き返すのにまかせて、立っている。〉

人麻呂は淡路島の北に立って、故郷大和の妻を遥か思いやっている。
潮風に想いを託して。

「結ぶ」魂の一部を結び込める祈りの行為だった。
ときに妻が、旅立つ夫の着物の紐を結ぶのは、自分の魂を半分結び込め夫を守るという呪術的な習俗だった。

— — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
「相聞」は、漢籍の書簡にでてくる語で、もと、相手の安否を問い、消息を述べ合う意。私的な心情を述べていることから、恋歌の意味に転じた。
「相聞」という部立は「古今集」以降の勅撰集では「恋」となる。
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — —

❖振り放さけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも
〈空を振り仰いで三日月を見ると、ただ一度逢ったきりのあの人の、美しい眉が思い出される。〉
「三日月」は「初月」とも「若月」とも書く。「眉引き」は黛で眉を描くこと。また、眉そのもの。三日月を眉に譬えるのは漢詩にはよく見られる表現で、三日月を眉月ともいう。

❖天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
〈果てしなく広がる天の海に、雲の白波が立ち、その海を月の舟が漕ぎ渡って、星の林に隠れて行くのが見える。〉

❖夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず いねにけらしも
〈いつも夕暮れになると小倉山で鳴く鹿は、今宵は鳴かない、もう寝たらしいな。〉

「夕されば」は夕方になると。「去る」には「その季節や時期がめぐり来る」意がある。
小倉山は奈良県にもあるが、「竹取物語」にも次の歌がある。
❖置く露の 光をだにも 宿さましを 小倉の山にて 何求めけむ
求婚者の一人が持ってきた石鉢が少しも光らないのを見て、かぐや姫が偽物と見破った時の歌である。インドから持ってきたなんてうそばっかり、小暗いという小倉山から持ってきたのでしょう。という意。
京都嵯峨にも小倉山があって、古今集ではもっぱら小暗しと掛け、また、鹿とともに秋の歌として詠まれた。そして小倉山は歌枕として定着していく。歌枕とは固有のイメージをもつ地名のこと。

夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の 声のうちにや 秋は暮るらむ
「夕月夜」は「小倉山」の枕詞。9月末日に詠んだ歌で、陰暦ではこの日までを秋とするから、「秋暮る」とは秋が終わること。

❖沫雪の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほるゆかも
〈水泡のようにふわふわと柔らかな雪が、はらはら降り敷いてはふと消え、またはらはらと一面に降り敷いて、都での暮らしがしきりと想われる。〉

春先に、梅の花びらのようにひらひらと舞い落ちる、「ほどろほどろ」はそのさま。春の雪は積もると見えて、はかなく消えていく。奈良の都を遠く離れた九州の地で、老いて妻を喪い、降りしきる雪を一人眺める旅との胸にはどんな想いが去来したのだろうか。
梅の枝に降る雪を花と見立てるのは漢詩に多い風物。

❖君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも
〈あなたが行く長い長い道を、たぐりよせたたんで、焼き尽くしてしまう天の火が欲しい。〉
罪を得て、長い長い道をたどり遠くに行かなければならない男を、なんとしても行かせたくない思いが、道をたぐりよせたたみあげるという凄まじいイメージを呼び起こす。
この道さえなければと、雷よ、落ちよ、焼き尽くせと願う。今女の目には燃え盛る炎が映っている。

❖春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも
〈春の野に、カスミがたなびいていてなんとなくもの悲しい、この夕暮れの淡い光の中にうぐいすが鳴いて。〉
「うら悲し」という気分には、とくに具体的な原因があるわけではない。霞がたなびく春の野の、夕暮れの淡い光、どこかで鳴くうぐいすの声。とらえどころのない悲しみ、春の愁いとでもいうべきもの憂さ、やりせなさである。

❖我がやどの い笹群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも
〈私の家の、清らかな笹の、その群がる竹に吹く風の、音がかすかに聞こえるこの夕べよ。〉
やがて長い春の日もすっかり暮れ果て、淡い光も消えた。家の中で独り聞く、あるかなきかの、笹の葉のそよぐ音。そのかそけき音をとらえようと、心はさらに研ぎ澄まされていく。

— — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — 
「万葉集」の素朴で力強い歌風は「益荒男振り(=ますらおぶり、男性敵でおおらかな歌い方)」と呼ばれる。私達の胸に直接訴えかけてくるこの力こそ「歌」そのものがもつエネルギーであろう。
 — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — — —

❖枕詞❖

あかねさす 茜さす→日・紫
あきづしま 秋津島→大和
あしひきの 足引きの→山・峰
あづさゆみ 梓弓→引く・貼る
あまさがる 天離る→ひま
あらたまの 新玉・荒玉の→年・春
あをによし 青丹よし→奈良
いそのかみ 石の上→古る・降る
いはばしる 石走る→滝・垂水
からごろも 唐衣→着る・裾
くさまくら 草枕→旅
さざなみの 細波→志賀
しきしまの 敷島の→大和
しきたへの 敷妙の→衣・床・枕
しろたへの 白妙の→衣・袖・紐
そらみつ 空見つ→大和
たまきはる 玉極る→命・世
たまのをの 玉の緒の→絶ゆ・流し
たまぼこの 玉ぼこの→道・里
たらちねの 垂乳根→母・親
ちはやぶる 千早振る→神・宇治
とぶとりの 飛ぶ鳥の→明日香
とりがなく 鶏が鳴く→東
ぬばたまの 射干玉・烏玉→夜・闇・黒
はるがすみ 春霞→立つ・春日
ひさかたの 久方の→空・天・ひかり
ももしきの 百磯白・百敷の→大宮
やくもたつ 八雲立つ→出雲

Like what you read? Give Sotsuhiko a round of applause.

From a quick cheer to a standing ovation, clap to show how much you enjoyed this story.