自分の正義感を信用してはいけない。

正義感とは、非常に厄介なものである。

「正義」とは善いものである。

どうやら、我々人類はそういった無意識な思い込み(unconsious bias)を持ってしまっているようだ。

当然ながら、価値観は人それぞれ異なるものであり、正義はその「異なる価値観」の上に横たわっている。

つまり、「正義は時に対立しうる」ということが、論理的に帰結されてしまうのだ。

正義Aと正義Bが対立した際に争いが生まれるし、その対立の規模が大きくなれば、戦争になる。

また、正義Aと正義Bの関係性がアンバランスな状態な時(正義A>正義B)、振りかざされた正義Aは、あっという間に正義Bを押しつぶしてしまい、正義は暴力となる。

この様子を表現したSEKAI NO OWARIの「天使と悪魔」の歌詞が、胸に刺さる。

「いじめは正義だから 悪をこらしめているんだぞ」
そんな風に子供に教えたのは 僕らなんだよ
大人VS大人の正解・不正解のバトル
TVで子供らに教える「ダレが」間違って」るか」
正義のヒーローは悪党を倒すものだと
子供はTVをみて思う「悪は滅ぼさなきゃね」
もし僕が正しくて君らが間違いなら
僕らは戦う運命にあるの?
僕らはいつも「答」で戦うけど
2つあって初めて「答」なんだよ
悪魔と天使の世界で あちらが正しいとか
こちらが間違ってるとか解らないんだ
「悪魔と天使」 僕らがどちらなのかなんてさ
解るはずもなければ解りたくもない
正義が支配する最悪な世界ではマジョリティーこそが
「正しい」とみんな「間違える」!?
「正義」を生み出した 神様 聞こえていますか
あんなものを生み出したから みんな争うんだよ
戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ
何かを変えるってことは自分自身を変えるということと
ほとんど同じなんだよ
「僕ら」が変わるってことは「世界」を変えるということと
ほとんど同じなんだよ
悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか
あちらが間違ってるとか解らないんだ
「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい
正しさを主張するだけじゃ「答」じゃないんだ
否定を否定するという僕の最大の矛盾は
僕の言葉 全てデタラメだってことになんのかな?

正義感は、時に、いや多くの場合に暴力になる。

正義感を振りかざして、自分の正義に反する他方を糾弾することは、暴力に他ならないということを忘れないこと。

自分の正義感は信用しない方がいいこと。

改めて肝に銘じたいと思った。


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