「分からないと先に進めない子供」と「情報浴」

私も結城浩さんに同意。 Tweet のリンク先の記事(まぁ「記事」としておくけど)は最初から違和感があったけど,「何故かが分からないと先に進めない子供」も「役立つことが分からないと先に進めない子供」も「分からないと先に進めない子供」である点で同じ,ということだと思う。

昔,「学問バトン」を渡されて少し書いた

もしある分野にのめり込みたいのなら, 「入門書」など買わないことである。 それよりも自分には荷が重そうな本を1冊ドカンと買う。 そしてその本を理解するために苦労しまくるのである。 そのほうが絶対に面白い!

私のように頭が悪くて「分からない」ことが常態である人間にとっては,「分からない」ことは全く苦にならない。そういう人が「分からない」ことに遭遇した時に「分からない」ことをスルーしてしまうのか,それを「理解するプロセス」を楽しむことができるのか,が結構分かれ道になる気がする。

そうではない子が,例えばリンク先のような「分からないと先に進めない子供」になるのかもしれない。

大学時代のある教官は,「問題」について考えるために常に情報を浴び続けなさい,とアドバイスしてくれた。彼(仮に彼としておくが)はそれを「情報浴」と呼んでいた。以来私は,(仕事も含めて)興味ある分野について「情報浴」を怠らないようにしている。

大事なことは「分からない」ことに興味を持ち続けることである。「分からない」ことをスルーするよりも「分からないと先に進めない」ほうが百倍も素敵なことだし,それこそが「人が人たる」ことを示す identity だと私は思う。

その上で,「先に進めない」のは不経済なので,先に進むための戦略を考えるといいと思う。たとえば(上の tweet で結城浩さんが言われているように)「分からない」ことに印をつけて保留しておく,などである。これも一種の GTD(Getting Things Done)かな。

「問い」に対する「答え」を提供しようとする(そして知ってる「答え」の量で学力を判断する)のは日本の学校教育のもっとも悪い部分である。学校は「答え」を教えてはいけないのだ。それは自分で掴み取るべきこと。教師の役目は「問い」(または「問い」の立て方)を与えること,そして困っている子には,「答え」ではなく,開けるべき「扉」を指し示してくれるとありがたいかもしれない。