離陸のデザイン 着陸のデザイン

Naoki Yoshioka
3 min readFeb 9, 2016

世の中や社会の営みを飛行機に例えると、今までは離陸と着陸には多くは投資されておらず、飛行中のことのみにフォーカスが集中してきたように思えます。イノベーション、スタートアップ、経済成長、はたらきかた、くらしかた、どのようなアプローチや立場でも、その多くはほとんどは社会に出て起ること、つまり飛行中のことばかりです。飛行中以外のことに今後はよりフォーカスや投資が促されるべきであり、この先成熟社会が進めば進むほど、そういう空気が出てくるものと予想しています。

飛行中以外の離陸の部分は社会に出る前のこと、つまり教育です。社会人になり、大人になってからも毎日勉強することはたくさんありますが、その勉強はあくまで勉強であって教育とは違うと思います。教育についての領域の多くはほぼ女性に委ねている部分が今でも多く、つまり男性にとっての社会とは飛行中のことでしかないことが大半です。教育というとても深淵なフィールドに対して多くの大人がとるアプローチは21世紀になっても「いい学校」に入れることに集中していて、その中身についてまじめに考えることは少ないと思います。いい学校に入れるという時点で飛行中のことしか頭に無いということがよくわかります。もっと多様で様々なアプローチがあるべきですが、待機児童、いじめ、そういう表面に浮き上がる問題についての対処療法、それもかなり腰砕けなものが多く、斬新で革新的なもの、または本質的で普遍的なものへの探求はなされているとは思えません。また着陸の部分、これはつまり高齢化問題と死の問題です。自分や親が直面してからはじめて起る様々な問題。その多くが古いまま何も更新されていない状態。また死についても様々なアプローチはまだまだ世の中にデザインとして現出してはいないような気がします。

多くの石油が中東に偏在するように、人間が生み出す多くのリソースは飛行中に偏在しています。今は宇宙産業がこれから盛んになるような気配がありますが、それは新しいマーケットとしてはフロンティアでしょうが、これももちろん飛行中の話でしかありません。

僕はモノを売るため、美しく見えるためにだけデザインを行使するのは偏っている、という問題意識から、自ら独立してソーシャル界隈のデザインを9年近くずっとやっています。そしてこの離陸と着陸についてはまさにその領域に重なるのですが、最近死のデザインという言葉がちらほら聞かれるようになった気もしており、感受性のある人たちはやはりそういう方向にチューニングし始めたなあ、とよりいっそう感じるこのごろです。最後に少し宣伝ぽくなりますが、僕のデザインはこういうことしてます。ここで書いたような離陸と着陸時のデザインについて今すごく興味が在ります。このジャンルで相談があるかたは、ぜひ一緒に考えていきたいです。

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