LOVE (NOT)FOR SALE

Naoki Yoshioka
3 min readJun 9, 2018

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トークンエコノミーがもてはやされています。
それ、わかるんだけど、自分はどうにも懐疑的であることをまず告白しておきます。

あちこちでコミュニティがっ!信頼経済がっ!小さな経済圏がっ!とまことしやかに語られています。資本主義経済の行き詰まり(のようにみえる)と、ブラック企業による搾取、老害の蔓延、イノベーションがまるでおこらないシン・ゴジラのラストように硬直した経済構造、どこからどうきっても、悲観的になってしまう日本の現状ですがこの現実認識については異論はありません。そういう状況のなか、現実のレイヤーを乗り越える新しいレイヤーとしての経済が自分たちでつくれる!となると誰もがコミットしたくなるのはよくわかります。現実社会を変えるのは難しいというよりも無理で非効率。だったら、もっとフェアな社会をテクノロジー使って擬似的につくろうぜ、その疑似世界を現実社会と交代させるくらい盛況にしようぜ、というようなマインドだと思います。実にわかりやすいです。

インターネットが出てきたときは、自分たちの中から出てきたという意識はないけれど、ブロックチェーンについては、これこそが僕らにフィットしたイデオロギー(あえていいました)だと歓迎することは自然ですし、実際にすごい可能性のある技術なんだろうなと思います。

でも僕が懐疑的なただひとつの理由は、信頼をトークンという形に変えて、現実世界と違うレイヤーを僕らのこれからの現実にしようという傲慢さです。どこが傲慢なのかというと、信頼を別の形に置き換えることで、信頼を推し量ろうとするところです。

単純に言うと見える化の弊害について、あまりにもブラインドで無邪気すぎるんじゃないかという批判です。テストの得点や卒業大学で、その人の価値が決まるだなんて、それこそ昭和の価値観でしかないと思うんですよね。まして、成績とかならまだしも、信頼というものを数値化しようとしてるわけだからアナーキーです。このアナーキーさが彼らの自尊心を酔わせているのはよくわかるんですけどね。

今、こういうポストするのは勇気いります。理解できないアホなおっさんはすっこんでろ、て一喝されそうですし、今はそういうことですぐに分断ができてしまう世の中です。熟議や相手のことを深く知ろうというモチベーションはなかなか起きません。

でも、、やはり思うんです。学校の成績表なんてクソだと思ってる人に限って、なぜ短絡的にそういうことに萌えるのかが謎です。信頼を数値化して有効なのは、社会を分断して独裁性を維持したい中国だったり(実際そういう動きありますし)、そういう世界なんじゃないですかね。

愛はお金で買えないていう言い回しがありますが、行く末は、愛もそのうち数値化されて市場にでまわったりするんですかね。。

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