常に先手が勝つ

Tetsuya Morimoto
9 min readOct 5, 2019

Web 業界のキャリアモデルを考えるシリーズの記事。普通の Web エンジニアが生き残るための、普遍性のあるキャリアモデルを考える。この背景に興味がある方は以下の記事も読んでみてください。

本稿は Web とは全く関係ない。標題からふと思いついたことを書き綴ったものだが、Web 業界のような変化の早い業界での考え方として役に立つかもしれない。

導入としての言葉

ややこしい引用説明から入るが、文豪ストレイドッグス という漫画がある。実在した文豪が登場人物として描かれ、その世界における森鴎外の口癖として「常に先手が勝つ」という言葉が出てくる。歴史上に実在した森鴎外がそんなことを言っていたのか、森鴎外の著作にそういった表現が出てくるのかどうかは知らない。知っている人がいたら教えてほしい。

私も将棋では先手を好む方なのでなんとなくこの言葉が好きでずっと記憶の中に残っていたのをふと思い出した。将棋の話ではなくとも、洋の東西を問わず、時代や分野を問わず速く行動することに価値を見出す言葉はいくつもあると思う。

兵は拙速を尊ぶ

Done is better than perfect

立派な武器がないと戦えないと思っているうちは負けることはないけど勝つこともない

最後の言葉は、私が新人の頃に Java プログラミングの講師だった荒木さんが研修の仕上げの試験前に言っていた言葉だ。荒木さんは元気にしているだろうか。

何はともあれ、私は先手を取るのが好きなのだ。良いか悪いか、得か損か、賢いか愚かかに関わらず、ただ好きなのだ。

なぜ先手を取るのが好きなのかというと、自分の行動や生活が後手にまわっているときの、ストレスの大きさ、そういった状況でものごとのうまくいかなかった経験から、先手を取っている状況に身を置くのが自分の幸せ感を高めるのによいと私が認識しているからだ。

後手にまわる状況

本稿でいうところの先手というのは、世の中の時間軸上における早さではない。例えば、あるサービスがリリースされて初日から使い始めましたとか、あるプログラミング言語が公開されて 0.1 の頃から使ってますとか、そういうことではない。

先手を説明するためにその逆の意味である、後手がどのような状況であるかを説明した方がわかりやすいかもしれない。例えば、次のような状況が長く続く、もしくは断続的に続くような状態を後手と私は認識している。

  • やらなければならないと認識していてやらなかった
  • 課題があると認識していて放置していた
  • なにかに挑戦したいと思っていたのに挑戦しなかった
  • クレーマーの対応に必要以上に時間を割いてしまった
  • なんとなくだらだらしていた

能力にも認知にも限界があるのですべてのものごとに対して先手を取ることはできない。そのため、自分が認識したものごとに優先順位をつけ、優先度の高いものから行動していくことになる。

このとき、優先順位が高いにも関わらずずっと放置されているものがあるとか、たくさんの認識したものに行動を起こせずに放置してしまっている状況であるとか、そういった状況を後手にまわる状況と私は定義している。

このように後手にまわっていない状況であれば先手を取っていると言える。あまり厳密ではなく普遍性のあるものではなく、どちらかと言うと、私がそう思っているかどうか、もっと言うと私の精神的なストレスになっているかどうかという主観的な判断でしかない。

そのため、他人から私をみて後手にまわっているとみえる状況においても、私からみて先手をとっている思っている状況もありえる。

自分を知る

先手を取るには自分を知っている必要がある。なぜならば、状況が先手なのか後手なのかを判断しているのはまさに自分自身だからだ。

余談だが、最近は若い人を指導する立場で見守る機会が増えてきて、他人をみていてこの人は先手を取るな、この人は後手にまわるなと、なんとなく自分の頭の中で思い描いてしまうときがある。先にも述べたが、ここでいう先手・後手というのはあくまで私の中にある判断基準なので現実の、その人の行動の是非を問うものではない。

そして、私がみていて後手にまわる傾向にある人の特徴としてこれらがある。

  • わからないと言えない
  • 納期に間に合わないと言えない
  • 質問をしない
  • 状況を文章で表現できない
  • 量が足りていない

私自身、若い頃はできていなかったのでこんなことを書くのは老害の一歩手前かもしれない。なので若い人ができていなかったとしても、それを非難することはしない。時間を与えてできるようになるまでやってもらうようにしている。

閑話休題。話を自身に戻す。

自分を知らないと、自分の力量または許容量以上のことをやろうとしていることを認識できずに判断を誤ったり、無為に時間を過ごすことになりがちだからだ。

本稿を書いている理由の1つも自分を知るためという目的がある。なんか頭の中で引っかかることがある、気になっていることがあるというとき、書くことによって考えが整理され、より自分を知ることにつながるときがある。そして、これがおもしろいところなのだけど、何年か経ってから過去の自分が書いた文章をふと読み直したときに新たな発見をするときがある。人間の記憶や感情がいかに曖昧であるかを実感することになる。

先手を取るために

私が先手を取るためにやっている行動には次のようなものがある。

  • 諦める
  • たくさんの時間を費やしてひたすらやる
  • 尊敬する人たちの真似をする

自身の経験をもとに少し補足する。

諦めるということ

自分の力量または許容量以上のことをやっていることに気付いたとき、とても悔しいことだけど諦めることもする。悔しい分、自身の実力を知る機会になるので次の成長の原動力にもなる。

場合によっては逃げてもいいと私は考えている。ものごとは勝つか負けるかの2値ではなく、逃げるという選択肢ももっておく方が安全な気がする。但し、逃げ続けていると後手後手にまわるのでどうしようもないときの最後の手段といった選択肢にするといいと思う。

諦めるという選択肢をもっていないと無駄な努力を永遠と続けたり、夢や空想のようなことをずっと追い求めたりする懸念がある。もちろん、それ自体が悪いことではなくてバランスの問題でしかないが、そういったバランス感覚を養うためにも諦めるということが選択肢にあることを認識しておくのは重要だと私は考えている。

もしかしたら諦めることによって迷惑をかける人たちもいるかもしれない。これはもう誠心誠意で謝るしかない。うろ覚えで確かではないかもしれないが、人間の心理としてすでに謝っているものごとに対しては怒りにくいという心理が働くようなことがあったと思う。

ミーティングを設け、機先を制して相手に謝ってしまう。この場面でも先手が勝つのだ。過去に私が納期の期日に与えられた仕事が間に合わず、ミーティングが始まるや開口一番で「できていません。すみません。」と謝ったとき、いつもぼろくそに怒る上司がきょとんとしてあまり何も言われなかったことがあった。そのときの上司の怒らなさに私が驚いたぐらいだった。

ひたすらやるということ

理想的には、わからないことはわかるまでやる、納得できるまで調べる。考えてわからないことはひたすらトライアンドエラーをする。自分でわからないときは他人に聞く、教えてもらう。

そしてそれでもダメだったら「諦める」ということも検討する。

量が質を生むという言葉もある。私の周りのすごい人たち、尊敬する人たちは例外なくたくさんの量をこなしているので私にとっては疑いようがない。

ひたすらやることで先手を取ることの利点は他にもある。根性論みたいに聞こえるので普段はあまり言わないが、それができたことで忍耐や自信がつくことが多い。いわゆる成功体験の積み重ねになりやすい。未知のものや不確かさへの不安や恐怖に対する勇気にもつながるし、6ヶ月は挑戦し続けようといったマイルストーンの目安にもなる。

一方で、この理屈は組織や管理職にとって都合がよい。そのため、経営者や上長が自己啓発を促してこういった言葉を発しやすい。本稿で述べるのは他人に言われてやるのではなく、あくまで自分で判断して行動することを指す。そこを混同すると後手にまわってしまう懸念が出てくるので注意した方がよい。

真似をするということ

対象が未知のものや未経験のものだと、何をどうしていいか、わからないという状況もある。そんなときは尊敬する人たちに教えを請うのがよい。なるべく身近な尊敬できる人やスキルの高い人たちの方がよい。

身近な人たちはときに厳しいことも言うかもしれないが、ほとんどのケースで厳しいことは身近な人たちしか言ってくれない。尊敬する人だと厳しい意見にも耳を傾けて施策を受け入れやすい。またスキルの高い人たちだと大事なことを効率的に教えてくれることが多い。

他の状況としては、心身が弱っているときは消極的になり、自分から行動を起こすことに億劫になってしまうときがある。考えるのも面倒とかしんどいといった状況だ。そのようなとき、何も考えずにただ真似るということが迅速な行動を促すことにつながる場合がある。

多くの場合、行動せずに何もしていないよりは、何であれ行動した方がその結果が出て、そこから次の行動につながることが多いと私は考えている。

行動の取っ掛かりをみつけられずに放置してしまうということを私はよくやりがちである。そういうときに他人に相談することできっかけ作りにもなったりする。

まとめ

私は先手という概念をある種の暗示のように用いていて、日々のストレスを減らして自身の幸せ感を高める工夫に使っている。本当に先手かどうか、それは本人がそう思っていれば実態はどうであってもいい。

だから、私にとって、ただ1つの例外もなく「常に先手が勝つ」が正義であり、真実でもあり続けるのでこの言葉が好きなのだ。

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