20代の頃に想定していた通りの未来に現在が近づいてきた

Tetsuya Morimoto
12 min readFeb 23, 2019

--

御岳山のロックガーデン

2004年に情報系の大学を卒業して、学んだことの流れで IT 業界に就職した。就職活動の面接でなんとなくうろ覚えだけど、こんなことを言っていたと思う。

会社にお仕事がくるのではなく、自分という個人にお仕事がくるようなソフトウェアエンジニアになりたいです。

当時はソフトウェアエンジニアではなくSEと言っていたかもしれない。私は個人志向が強かったので大企業よりもベンチャー志向の強い中小企業に惹かれてそのまま中小規模の SIer に就職した。

2000年代の中小企業の SIer の仕事はたしかに辛かったが、いまとなっては詰め込みで働けて、それなりの理不尽に耐えたことで、いまの世の中はとても生きやすくなった。世の理不尽を肯定するつもりは全くないが、誰もが人生の中で手強い理不尽に直面してそれを克服する時期が一様にあるのではないかと私は思う。必ずしも理不尽と闘う必要はなく一時的に逃げてもいい。最も大事なことは生き残ること。生き残った後で理不尽とどう向き合うかを自分なりの答えを出せばよい。ただし、理不尽を避けてばかりだとじり貧になっていく。

SIer, Linux Distributor, パッケージベンダ、Web サービスといくつかの企業を転々としながらキャリアを考えてきた。生涯プログラマーでやっていこうと決心したのは20代後半で、私のプログラマーとしてのキャリアはたかだか10年程度しかない。プログラマーは実務経験がある程度はものを言う世界なので長くプログラミングをやればやるほど低レイヤのことや抽象概念の重要性がわかってきて、その理解度に応じてスキルも向上する傾向がある。もちろん技術体系や新しいことをちゃんと定期的に勉強していれば、という前提はある。しかし、これはどんな職業でもだいたい同じではないかとも思う。

若い頃になんとなく思っていた未来

就職活動をしていた頃や働き始めて2–3年の頃、2000年代、以下のようなことを考えていた。

  • 終身雇用は終わる
  • 大企業はだんだん先細りしていく
  • インターネットを介してリモートワークで働けるようになる
  • オープンソースを使った仕事がしたい
  • 生活に必要なお金は企業からもらい、主な仕事はオープンソースソフトウェアを開発したい
  • 普通の人がなれる普通のキャリアモデルを目指す

先日、同僚と話していてこんなことを聞いた。

よく若い人からメンターがいないと言われる

そう!私もそうだった。私は基本人見知りするので直接的にはメンターと呼べる人はいないし、そういう師事を仰ぐこともなかった。実は心の中にはたくさんいる。しかし、いくつかの企業を転々としてそこで会った上司や同僚、そしてインターネットの隙間からみえるロックスターたちの言動や行動を見聞きし、それぞれ部分的に取り入れながら暗中模索していまのキャリアに至った。

メンターがいなくてもなんとかなる、本稿はそんな若い人たちへのメッセージにもなると考えている。

終身雇用は終わる

予想に反して私の周りや見聞きする範囲内ではなかなか終わらない。IT 業界ですらまだこの先10年ぐらいはもちそうな雰囲気があるように個人的には思う。日本の法律には解雇規制があるのでこの制度の規制緩和をしない限りは大きな変化は起こらないのではないかとも思う。

大学の同級生の半分ぐらいは新卒入社した会社で生涯働くようにみえる。大企業でずっと働いていてこの年齢で転職するというのはちょっと私には考えられないから勝手にそう推測している。

IT 業界の中の、さらに新しめの方の Web 業界ですらスキル不足の社員を解雇するといったことは表向きにはみられない。私も歳をとってみて初めて実感するようになってきたが、40–50代で解雇されるというのはそれ自体が恐怖だと思う。

私も含め、ほとんどの社員は自分が解雇されると思っていない。転職先があるかどうかの前に、企業から解雇という戦力外通告をうけて自分の中で納得できるか、家族に伝えられるか、そういうことを考えると誰もが他者の解雇通告をしたくないし、同僚で解雇される人もあまりみたくないというのは心情的に理解できる。

しかし、いまは早期退職であっても、いずれは解雇になっていくだろう。

大企業はだんだん先細りしていく

IT 業界においては間違いない。この先、大企業の役割はインフラのような、変化よりも堅牢さや安定性が求められるところを守っていくような存在になるのではないか。先細りどころか、過去に働いた SIer の親会社も大企業 (社員数千人、グループあわせて数万人) であったが、数年前に倒産した。

変化の早い IT 業界において経営判断のミスがもたらす経営への影響力は非常に大きいことを物語っている。というのは、世の中や IT 技術の変化に対して人間の変化が圧倒的に遅くてついていけない。

例えば、経営者が「これからは AI だ、機械学習を学べ、数学を学べ」と言ったところで、現在の業務をこなしつつ現場の人間が学習してビジネスとして収益をあげていくのは数年単位での時間がかかる。大企業の場合はそのための組織づくり、制度づくり、ビジネスづくりを数百人・数千人といった人員規模で行うので試行錯誤も含めてさらに時間がかかる。

ここで経営判断が間違っていたときに方向転換しにくいのが大企業の課題だ。変化の途中で現場ではこれはちょっとおかしいんじゃないか、違うんじゃないかという予感は働く。

しかし、そういう現場感を上位の意思決定者は理解できなかったり、理解しようとさえしないことがある。自身の保身を考えれば、判断の誤りを認めない傾向にあるのはある意味仕方ない。すると、判断は間違ってないという前提での、小手先の対応で誤魔化したり、曖昧な言動で責任の所在をうやむやにしがちになる。そうやって求心力が徐々に低下していく。そして優秀な社員ほど、早めに見切りをつけて転職する。

もし結果的に大きく間違ってしまったとき、求心力が低下した上位の意思決定者とそれを見抜けない相対的に気づきやスキルの低い社員が残り、あとは責任のなすりつけあいとなり、さらに組織が劣化していく。変化の早い業界ほど中興の祖が現れる前に企業が倒れてしまうように思う。

インターネットを介してリモートワークで働けるようになる

もう説明の必要がないぐらいには普及してきたように思える。少なくとも2000年代に緊急対応以外で通常業務でリモートワークしている人を周りではみかけなかった。物理的に離れた場所に住む人の採用、人生のライフステージの変化による働き方など、リモートワークは重要な勤務形態の1つになってきている。

私も親の介護があるため、リモートワークを使う機会が増え、今後も積極的に活用して働き方の1つとして取り組もうと考えている。リモートワークは法律などで保護されて社会制度として義務付けられていくともっとよいと思う。

その一方でプロダクト開発においては「雑談ができるチーム」が最も生産性が高いと個人的に考えている。雑談ができるレベルの信頼関係を築くには同じ場所で一緒に仕事をするというプラクティスが未だに強力にみえる。言わば、現時点のリモートワークシステムには技術的に課題がある。オフィスにいるのと同じレベルで雑談できるリモートワークシステムはコスト的にまだ厳しいように思う。

オープンソースを使った仕事がしたい

いまの若い人たちからみると、何を言っているんだと不思議に思うかもしれない。しかし、2000年代の SIer でオープンソースを積極的にビジネスに活用している企業は限定的だったように思う。当時の私の転職理由の1つだった。私が新卒入社した SIer でもオープンソースを使いたいと提案したが、当時の課長にこんなことを言われた。

そういう新しい技術は IBM のような企業がやった成功事例をみてからうちが始めるので数年先の話だよ

私はオープンソースの価値観にも共感していたので当時すぐにやりたかった。Web 業界は比較的、最初からオープンソースを活用していたイメージはあるが、SIer やエンタープライズ分野での活用は外資の大企業が積極的に採用した結果としていまに至っていると思う。

生活に必要なお金は企業からもらい、主な仕事はオープンソースソフトウェアを開発したい

まだ私はそこまで至っていない。企業内でクローズドソースの、プロプライエタリな開発をしている。しかし、オープンソースのフレームワークやツールを使ってみつけた不具合などは積極的にコントリビュートするようにしているし、自分が作ったツールで社外秘に触れないものはなるべく公開するようにしている。

社内にはオープンソースのコミッターも多く、オープンソースソフトウェアのコントリビュート活動を業務として認められて活動している同僚もいる。もう少しで手が届く範囲ではあるが、まだ実力不足なので精進していきたい。

普通の人がなれる普通のキャリアモデルを目指す

Plone Symposium Tokyo 2015 というイベントのパネルディスカッションに参加したときにこんなエピソードを聞いた。そのパネラーの1人が過去にオープンソースのカンファレンスに参加したときの話をしてくれた。

オープンソースのコミュニティイベントにいくと自分のロックスターに気軽に会えて質問したり話を聞けたりするのが楽しかった。その原体験からコミュニティ活動をするようになった。

ロックスターとはうまい表現だと共感するので本稿で引用する。誰もがロックスターにはなれない。ロックスターに憧れてもほとんどの人は普通の人にしかなれない。

私のような普通の人が目指すのはロックスターに憧憬の念を抱きつつ、特別な能力がなくても誰でもできるレベルの仕事をしながら誰でもなれるキャリアを目指すことだ。Web 業界の大半はコンテンツサービスという特性上、目立つことそのものが競争優位になりやすいせいか、Web 業界のロックスターは目立ちやすい。

Web 業界は比較的新しい業界であるために普通の人のキャリアモデルがない。Wikipedia によると Web が発明されたのは1989年らしい。仮にこの当時から Web 開発に関わっている人がいたとしても30年程度しか経っていない。つまり歴史がないからどういうキャリアに普遍性があるか、誰にもわからない。

いまのところ、私はプログラマーとして働いている。プログラマーという職業もプログラミングそのものも好きなので全く不満はない。しかし、このまま次の10年、20年と生活していけるかはまだわからない。

自身の感性や想いを受け入れながら選ぶ

前説では20代の頃になんとなく想像していた未来がいくつかは当たっていて、まだ外れていることやわからないことも書いた。

私は田舎の長男という出自だ。就職する頃からいずれは地元、もしくは地元近くの地方都市に帰ってきて親の面倒をみなければならないと考えていた。地元の同級生だと大学を卒業してすぐに地元へ帰って就職した人が半分ぐらいはいる。

私の場合は大阪で3年、東京で11年働いた後、前年からまた関西へ帰ってきて親の介護 (というほど現状では労力が必要なものではない) もしている。親の介護は起こらないに越したことはない。しかし、それが起こったときに重要なキーワードが私にとってはこれらだった。

  • リモートワーク
  • インターネット
  • オープンソースソフトウェア

最悪の状況になった場合、田舎でプログラマーのお仕事をするにはリモートワークしかないし、企業に依らないスキルや知識を再利用するのにオープンソースソフトウェアは都合がよかった。

前節で書いたことは私の課せられた制約とは全く関係なく、いまのような世の中になっていたとは思う。しかし、そういう未来のために準備してキャリアをその方向へ寄せてきた自身の判断の結果でもある。

そして、いま親の介護が必要な状況になっても問題なくお仕事も生活もできている。

時代の流れで世の中は変わっていくのに対して人間はゆっくりとしか付いていけない。いま振り返ってみてわかったことは、当たり前の話だが、自身が思い描いていた未来になったときの人生の幸福度は高いということだ。成り行きでそうなったのではなく、自ら選んできたという自信のようなものが幸福度につながっている。

この自信のようなものを使って IT 業界もしくは Web 業界の普通のキャリアモデルについて、私が実践していること、経験談や失敗談も含めて今後も継続的に整理していきたい。

--

--