失敗の活かし方

Tetsuya Morimoto
8 min readDec 27, 2015

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

有名な言葉なので聞いたことがある人は多いと思う。きっと頭の良い人は書を読んでたくさん学んで失敗を未然に防ぐのだと想像する。昔は私もそうあろうと、というかそうありたいと憧れていたけれど、最近はもう諦めてしまった。

そのため、本稿は経験から学ぶことを受け入れた人が書いたものだ。

失敗の仕方

人間なので必ず失敗をする。

失敗そのものは防ぎようがないけれど、失敗の仕方は予防線を張れるかもしれない。やや抽象的な表現だけど、昔働いていた職場で上司から聞いた言葉が私の失敗に対する心構えの原点になっている。

自転車で車道と歩道の間を走行しているとき、どう転んでも車道側に倒れないこと。それが失敗の仕方。

私の場合、未知のことに取り組むとき、基本は楽観的になんとなくうまくいけばいいなと話しつつ、あまり言わないが最悪の場合も頭の中では考えていたりする。

例えば、勤めている会社を辞めてフリーランスになるとき。辞めて次のお仕事がないというリスクがある。私なら地元に帰って農業をしようとか考えたりする。ここではそれが現実的かどうかは問わない。

大事なのは最悪の場合に陥ったときに八方塞がりのような状態を作らないことだと私は考えている。言わば、いまの現実やその状況に対して能動的に行動できない状況を避けたいというのがある。

なぜそれが大事かと言われると、明確な答えはないが、自分の判断で行動できない状況というのはかなり危険な状態だと直感的に思っている。さらにものごとがうまくいかないときの心理状態で良い考えが出るとも思っていない。

そのため、私にとって車道側に倒れないための第一の予防線は、最悪の場合にとる行動を決めておく、もしくは考えておくというのがある。

第二の予防線として失敗したときに失うものを考える。

  • 自信
  • お金
  • 時間
  • 信頼
  • いのち

ぱっと思いつくものをあげてみた。下の方にいくほど失ってはならない。日本で普通に生活していて「いのち」を失う状況は少ないと思うのでこれは除外する (ここでは交通事故などは考えない) 。そのため、失敗で失ってはならないものは、これらのうち信頼のみだと私は考えている。

逆に言えば、失敗をしたときに信頼を失うようなものは最善の注意を払って失敗しないように努める必要がある。例えば、あまり面識のない人とメールでやり取りするとき、失敗してはいけないことは相手の名前を間違えることだ。

なぜ名前を間違えてはいけないかというと、注意すれば誰でも防げることで相手にとって失礼な行為であるということが一般論として共有されているからだ。例えば、署名から名前をコピペすれば変換ミスによる失敗を防げるし、送る前に再確認することで失敗する確率は下げられる。それらを怠ることそのものがその人の信頼を下げることにつながる。

一般論としてコストをかければ失敗する確率は減る。そうは言ってもたくさんやることがあっていちいちコストをかけられない。何にコストをかけ、何にかけないか、その判断基準の1つとして失うものを意識すると分かりやすい。

失敗のパターン

日々たくさん失敗しているので自分の失敗パターンを考えてみる。ぱっと思いつく失敗を以下に分類してみた。

  • 不注意による失敗
  • 準備不足による失敗
  • スキル不足による失敗
  • 無知による失敗
  • 感情による失敗

冒頭に書いたようにもう失敗の防止を諦めてしまった私は自分の失敗に寛容になってきた。自分にとって良い失敗か悪い失敗かを考えながら書いてみる。

不注意による失敗

これは毎日のようにある。どうも私はあることに集中していると、他のことが全く疎かになる。いわゆる視野が狭いという状況で周りが見えていないことで起こす失敗が多い。

例えば、深夜に物音を立てずに静かに移動しようとしているとき、ふと郵便物に気づき、その内容に気を取られて傘立てを倒してしまうみたいな失敗をたくさんする。

これとあれを一緒にやるとこんな失敗をしたとか、こういうことを考えているときにああいう行動をするとこんな失敗をしたとか、そのときの状況だけ反省してなるべく覚えておくように意識している。

前節で書いた信頼を失う類の失敗だけはしないように注意することでそれ以外の不注意には目を瞑っている。そうすることで不注意による失敗に対して落ち込んだりすることはなくなったと思う。

不注意を許容するという情けない話だけど、私はこれを良い失敗として、その失敗する状況を知ることができたと捉えるようにしている。

準備不足による失敗

基本的にはやってはいけない失敗の部類に入るが、他にやらなければならないこととのトレードオフになるのでしばしば起こる。そういう意味ではスケジュール調整の失敗とも言える。

この失敗の特性として信頼を失うことにつながることが多いように思う。時間をかければできるものをかけていないということは、その人が意識的にしろ無意識にしろ、そのタスクの優先順位は相対的に低いという判断を下していると露呈してしまうからだ。

難しいのは単に時間だけの問題であれば、時間を作ることや生産性を上げる工夫するといった対策方法がたくさんある故に安請け合いしてしまいやすい傾向はある。スケジュール的に準備が間に合わないものは最初から引き受けない判断基準をもつことが大事だ。

スキル不足による失敗

この失敗もよくある。ある意味仕方がない。ここでいうスキルとは誰でも学習・練習することでできるようになる汎用的な技能という意味で使っている。

この失敗を補填するには時間をとられることが多い。新しいスキルの学習コストであったり、手作業であったり、復旧作業であったり。同時にこの失敗は学習効率も高い。失敗を通して身につけたスキルは記憶にも定着しやすく実践的なものであることが多い。

迷惑をかける人には申し訳ないが、この失敗も良い失敗だと私は捉えている。誰もが最初はスキルをもっていないので、この失敗をしてしまったときにそれを許容する枠組みであったり、文化もっと言うと社会作りが大事になってくる。人に関して言えば、失敗した後の行動が真摯であるかどうかが大事だと思う。

無知による失敗

とても印象に残っていて、ことあるごとに読み返す 「無知の無知」への 3ステップ という記事がある。

自分が分かってないことを分かってない、 自分の浅慮では到底及ばない領域があることが全く想像できない、 いわば 「井の中の蛙」 状態ですね。

これはすごく怖いことであり、自分で気付くのが難しいことでもある。本稿は経験から学ぶという主旨で書き進めてきたが、この失敗はその経験が仇となって失敗してしまう可能性も示唆している。知識や経験によっては賞味期限があるし、常識の類は時代によって変わる。

第2 のステップは 「分からない」 ということ自体は自覚できているのでまだ救いがあるのですが、 この症状が進むと第3 のステップである 「分かったつもり」 に至ります。 「分からない」 という意識さえあれば何かのきっかけで 「分かろうとする意欲」 が芽生えるかもしれないのですが、 分かっていないこと自体が分からなくなると、 その可能性すら無くなってしまうので末期的です。

この失敗への対策は相談できる人をもつことぐらいしか思いつかない。他人の視点があって初めて気付くようなこともある。この失敗は予防しにくい分、大失敗を招く可能性も高い。ただ失敗したときは謙虚になれるのでそれ相応の見返りもあるかもしれない。

感情による失敗

これは無分別に悪い失敗だと言って反論する人は少ない気がする。人間なので感情的になることはあるし、そういった感情を抱くことそのものから逃れることは難しい。感情的になったとしても自制した態度、論理的な判断を下せるように努力することしかできない。

夜にメールを送らないといったプラクティスもよく聞くし、私も過去にそういう失敗したなぁと思い出す。

自分が感情的になってしまう対象からなるべく離れるのが良いと私は考えている。例えば、価値観があわない人がいてよくけんかしてしまうとしたら、そんな人とは会わない話さないのが一番だと思う。

この失敗は疲弊して得るものも少ないのであとで後悔することが多い気がする。

まとめ

なんとなく思いついたことを書いたので特にオチはない。

ただ、なんとなく大事にしようと思うようになったことがある。失敗しても落ち込まないようにしようと意識的に考えるようになったことだ。それ相応の年齢になって失敗するのは悔しいし、恥ずかしいし、情けない。周りと比較したりされたりすると大抵は辛い。

失敗を避けられない = 経験からしか学べないとしたら、もう失敗そのもので落ち込んでも仕方がない。失敗を反省しても失敗に引きずられないための、そんな自問自答をするようになった。

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