大手企業の内定を辞退してmikanに決めたわけ

Takaoka Kazumasa
4 min readJun 19, 2016

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mikanで3人目のメンバーを本格的に求めている今、CW吉田さんにも相談したところ、自分自身がどうしてmikanに決めたのか、を改めて整理する必要があると考え、1年以上前の決断のことなのですが、まとめます。
就活のスタートから決断に至るまで。

就活を契機にやりたいことを考える

大学の友達たちが始めていたことから、就活を始めて、「将来、自分は本当に何をしたいのか」を考えるようになりました。
人にもたくさん会って、ずっと考えてはいたものの、その答えは出ないまま、就活本番がスタート。
運良く海運業界の最大手からご縁を頂いて、就活を終えました。
選考が無事に終わると、自分のことを振り返る、答えがなかなか出ない考えることはしないようになり、これまでと同じ大学生活を過ごしていました。

元々友達だった宇佐美からの誘い

mikanの代表である宇佐美とは、大学2年次からの友達でした。進振り後の学部で友達として仲良くなり、仲良くなったグループで、飲みに行ったり、旅行に行ったり。3年次には読書をテーマにした学生団体を始めるから一緒にやろうと、誘われて、一緒に学生団体を一から作って活動していました。
6月のmikan創業時に、一緒にやろうと誘ってくれたが、就職するつもりでいたため、インターンとして手伝うだけの形で。mikanのユーザーテストを兼ねた英語合宿をしながら、全国行脚をしました。
10月の内定式が近づいてきて、宇佐美と何度も「ダイアログ」という、対話を繰り返し、誘ってくれましたが、結局決めることはできず。内定先を進路とすることにして、10月末のmikanのリリースを区切りに離れました。
離れてからは、宇佐美とは連絡を取らずに1人で考える時間となりました。

10年後の自分のありたい姿

1人になって、「やりたいこと」は結局分からないまま。そこで、「7つの習慣」の「自分が死ぬ瞬間にどうありたいか。」をより明確にイメージできるように、時間軸を短くして、「10年後にどうありたいか。」について考えました。これまでも考えてきてましたが、これまでは人に話すことを目的に考えている状態でした。

そのときに考えたことは、「自分の人生なのだから、自分の感覚・考えを信じて決断・行動していきたい」ということ。このように考えたのは、改めて自分の過去の経験を振り返ってみると、自らの感覚・考えで決断してきた経験が全く無いと思ったから。

そろばんを習い始めたこと、スポーツ少年団で野球を始めたこと、中学で少し遠い塾に通い始めたこと、高校受験で地元の進学校を受験したこと、東大を目指したこと…
自分の決断という感覚が非常に弱い決断ばかり。友達がやっていたから、両親に勧められたから、世間一般的に良いと言われているみたいだったから。

これまでの連鎖を断ち切ることは、いつできるのだろうか。
もし、10年後に「やりたいこと」が見えたときに、自分は迷いなくそちらを選択できるのだろうか。
今の自分の感覚、自分自身の考えは何なのだろうか。

「自分の10年後のありたい姿により近づけるのは、mikanのほうだろう。」
「宇佐美とやれば、成功できる」「このまま内定先に入ったら、飛び出すタイミングを作り出すことは難しい」

10年後の自分から、「今」を素直に見ることができたときに、決断することができました。

決めた瞬間は、胃もたれとか吐き気みたいな感覚も強かったけど、よい決断であると納得していました。

振り返って感じたこと

11月末というタイミングの辞退で、内定先には多大な迷惑をかけてしまい、採用を考える今になると、余計にその迷惑の大きさを痛感して、申し訳なくなるとともに、辞退を申し入れたときに、真摯に向き合ってくれて、送り出してくれたことはこれから先も感謝しかありません。ありがとうございました。

あとは、当時の自分の感覚・考えを正しかったものできるよう、まだまだ先は長いですが、今日も働きます。

決断したときのことを定期的に思い出せるようにメモ書きしました。
僕の場合は、「何をやるか」よりも、一歩踏み出すことと「誰とやるか」で決めたんだなーと改めて。

mikanはまだまだこれからで、0から作り上げていくところです。ぜひ一緒にやりきれる人、探してます。よろしくお願いします。

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Takaoka Kazumasa

株式会社mikanで共同創業者。今はmikanで開発全般(iOS/Android/Rails)を担当。メンバーを募集しているので、興味ある方はぜひお話しましょう。インターンも募集しています。英単語アプリmikanはこちらから。http://onelink.to/mikan-dl-medium