自己紹介

はじめまして、はまがみ整骨院院長の浜上 正です。

昭和58年12月27日生まれの1児の父です。

自分がこの仕事を始めたきっかけや、意気込みを語ろうと思います。

少し長いですが、お付き合いください。

この仕事を始めたきっかけ

もともと体を鍛えることに興味がありました。

きっかけは、高校生のときの保健体育のレポートで、超回復(体力が向上する仕組みのこと)の仕組みや運動の上達についてレポート作成したのが人体の仕組みに興味を持つきっかけだったと思います。

あまり真面目にレポートを作ったつもりではなかったのですが、なぜか先生から高評価だった記憶があります。

その頃は空手道場に通っていたりしたので、体を鍛えることにはとても興味がありましたが、これを仕事にしようとは全く考えていませんでした。

高校卒業後

大阪でのプー太郎時代

高校卒業後した後、就職も進学もせず1年間フリーターをしました。

就職も進学もできなかったわけでは無く、はじめからする気が無くて(やる気があってもできてない可能性あり)なんとなく都会にいきたいというだけで、大阪で鍼灸師をしていた兄の家に転がり込みます。

1年間はさまざまなアルバイトを経験しました。

でもこのまま遊んでたらダメだ!という事で兄から柔道整復師の養成学校の進学をすすめられました。

その当時、養成学校の入学はなかなか狭き門で(数年後には誰でも入れるようになる)あまりやる気のない私は当然落ちます。

不合格の通知書に「今年できたスポーツトレーナー学科だったら入れてあげてもいいよ、トレーナー科出た後柔整科編入させてあげるし」的なことが書いてあり、

「そういえば俺、体鍛えるのとか好きやしえぇじゃないか?」

「遊んどってもしゃーないし、ここでええか!」と

それぐらいの気持ちで入学します。(バイト生活がしんどかったという理由もあり)

こんなグータラで不純な動機を持った私に学費を出してくれた兄に心の底から感謝します。

スポーツトレーナー養成校時代

現実とのギャップに逃走寸前

トレーナーには大きく分けると2種類あり、選手の体調や怪我の管理をするメディカル系のトレーナーと、体力を強化するストレングス系のトレーナーに分類されます。

当時、私はそんな区別も知りませんでした。

私の入学した学校にはインターンという制度がありました。

インターン制度とは実際のトレーナーの現場へ実習へ行くことです。

柔道整復師科への編入を希望していた私は、当然のようにメディカル系の現場に行かされました。

そこは、社会人のアメリカンフットボールチームで、選手の体調管理などが主な仕事でした。

しかし、私が興味があったのは、体を鍛えることで、メディカル系の現場は正直苦痛でしかありませんでした。

しかも、平日はフィットネスクラブでバイト、週末はアメフトチームへ帯同(チームについてトレーナー活動すること)の日々。

やる気もない、休みもない。

嫌になった私は「俺ギタリストになりたい!!」とトレーナーの道を逃げ出しそうになりましたが、親父に怒られなんとか踏みとどまりました。

高校卒業時に、就職も進学もしない私に怒ったりしませんでしたが、嫌になったから逃げ出す行為は許せなかったようです。

常識なんて糞食らえ、でも筋は通す、そんな父に感謝します。

ただ、アメフトトレーナーでテーピングを巻きまくったお陰で、テーピングに関してかなり上達しました。

おそらくそこらへんの整骨院の先生の4倍はいいテーピングが巻けます。たぶん…

柔道整復師科養成校時代

治療家としての基礎が出来た時期

トレーナー学科をなんとか卒業し、編入試験を経て柔整科に入学します。

この頃にはストレングス系のトレーナーで食っていくことは困難と判断していました。

なぜかというと、ストレングス系のトレーナーは自分を売り込んでいく能力が必要で、自分をアピールする能力が私には無いと判断したからです。

ちなみに、柔道整復師とは、いわゆる「骨つぎ」の先生の事です。お医者さん以外に、骨折や捻挫を治療できるのは柔整師だけです。

そして、

入学してすぐ、整骨院で働くようになりました。

私が働いていたのは、毎日100人以上の患者さんが来院するマンモス整骨院でした。

1年もすると職場の先輩方が辞めていき、いつの間にか後輩を指導する立場になっていました。

マッサージの仕方は教わりましたが、人を治す治療の仕方を教わった記憶はありません。

でも後輩にはしっかり教えなければ!という使命感があり、必死で勉強しました。

この後輩の育成をしていた時期が一番治療家としての基礎ができた気がします。

午後8時半の業務終了後から、終電の12時頃までほぼ毎日後輩の指導をしていました。

当然のように後輩を指導している間は給料は発生しません…

当時、見習い柔整師などは、とても低い扱いでした。私よりも前の世代はさらに奴隷のような扱いだったそうです。

でも、人に教えるながら、自分の成長を感じていたので苦痛ではありませんでしたし、指導後にはしょっちゅうお酒を飲みに行ってたので楽しかったように思います。

国家試験直前

柔整師は国家資格なので、国家試験がります。

当時同級生は220人ぐらいましたが、勉強嫌いな私は、ひどい時で成績が180位ぐらいまで落ちました。

何度か先生にも呼び出されました。

国試に落ちそうな奴は、学校の評判に関わるので、受けさせもらえません。

さすがにそれはまずいので、少し勉強するようになりました。

本格的に勉強するようになったのは国試の2週間前ぐらいです。

毎日10時間ぐらい勉強して、なんとか国試を受かります。

ちなみに自慢ですけど、学年5位の成績でした。

この経験があって「俺ってやれば出来る子なんや」と思いましたが、国立大学を受験する子を持つ親には、そんなん10時間ぐらいふつうやでと言われ、凹みました。

はまがみ整骨院開業

そして平成20年に立野町で整骨院を開業しました。

開業当時からなぜかわりと順調に患者さんも集まりました。

でも、当時のどうしても納得できない事がありました。

それは健康保険制度でした。

整骨院では、ケガであれば健康保険が使えるのですが、どっからどこまでが保険適応の範囲で、どこからが自費の区切りが曖昧でした。

しかも、例えば足の捻挫にテーピングを巻いて処置したとします。そうすると保険で請求できる額よりも、テーピング代の方が高くなってしまいます。

それぐらい保険の療養費は安く、保険制度を真面目に守っていれば、食っていけません。

食っていけないので巷の整骨院などは、肩こりを首の捻挫と診断して保険請求していたりします。

そのような事をしている柔整師にも言い分があって

「国家資格を持った俺様が捻挫やと言ったら捻挫じゃい‼︎」という理屈です。

法に触れてないのでグレーゾーンだそうです。

ですが、私には限りなく黒に見えました。

そこら辺、詳しくは「整骨院 不正請求」と検索してみてください。

ということで私は自費専門の整骨院に方針変更しました。

保険が使えないため、患者さんには負担をかけますが、悪いことばかりではなく、一人一人に適切で手厚い治療ができるようになりました。

世の中の整骨院は、ケガや体の不調を整える、身近な医療施設として素晴らしい施設だと思います。

しかし保険制度から見ると、悪でしかありません。

あなたや国民が積み上げた健康保険料を食い散らかしているようにしか思いえません。

そういう意味で保険を使わない施術は、後ろめたさも無く治療に集中出来る、自費治療院としての今を誇らしく思っています。

今後の目標

今後の課題は目標は、

「通院してもらう事で、生涯を健康に豊かになってもらうための治療とトレーニングを指導する整骨院になる」ことが目標です。

その場その場で痛みがなければいい治療ではなく、10年20年先に体によい影響を与える治療を目指してます。

一度諦めかけた、トレーニング分野の指導もやっていきたいと考えてています。

治療系のスキルがあるからこそ、指導できるトレーニングもあるのでは無いかと思います。

いずれ豊岡からプロのアスリートを輩出できるように、地域に貢献していきたいと考えています。

一人一人の症状としっかり向き合い、みんなから応援される治療家を目指して行きます。

おまけ

趣味

ブラジリアン柔術にハマっています。

もともと空手や格闘技は続けているのですが、約2年前より大阪の柔術のインストラクターの方がうちのサークルに顔を出してくれるようになり、現在は柔術に専念しています。

ブラジリアン柔術とは、寝技が中心の柔道みたいなもので、練習のほとんどのが競技形式のスパーリングです。

他の格闘技よりは、強くなるために頭を使うので、お医者さん弁護士などインテリな人の趣味として人気があるようです。

大人が打ち込めるスポーツとして非常に魅力があります。

いずれ豊岡で柔術の道場を併設したトレーニングジムなんかを作れたらいいな〜と漠然と計画してます。

2016、8、26

はまがみ整骨院 院長 浜上 正

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