place

この頃、何かにつけ居場所という言葉をよく耳にするようになった。

世の中が右肩上がりでどんどん成長し、後ろを振り向く余裕すらない高度成長期には見向きもされなかった言葉ではなかったか?

高齢化が進み、経済成長が横ばいの時期が長く続いたことも影響しているのであろうが、やはり、個人、お1人様というものが非常に重視されるようになったこともその要因であることは間違いないであろう。

以前は、日本人といえば団体行動が当たり前で、どこに行くにも群れで行動していたので、孤独感を感じる暇もなかったのではないか。

一人になりたいと思っても、なかなか難しい時代だったのかもしれないが、一方、定年退職された方たちは、企業戦士としてずっと働いてきたわけで、いきなり同僚や部下との付き合いがなくなり、自分の居場所がないことに相当苦しんだのではなかろうか。

退職した人にとっては、高度成長期も今も孤独ということに対する気持ちは、大きく変わりはしない。しかしながら、社会のなかでの居場所というものがないということが、こんなにも不安な気持ちにさせ、生きがいをなくしてしまう程深刻な影響を与えるものなんだということが分かってきた現代の方が、きっと過ごしやすいのではないかとさえ思える。

ドラッカーの凄さを、今更ながら感じてしまう。

ピーター・ドラッカーは、この居場所というものが、人にとってどれほど大切なものか、ずっと以前から見抜いており、それがビジネスの世界でも、家庭の中でも、住んでいる地域においても同じであることを説いている。

何をやっても、常に自分の居場所を確保している人には不安は少ない。

また、傍から見て、はつらつとして見える。

一方、どこにいていいかわからないひとは、目はうつろか、きょろきょろして定まらないで、不安な表情が体全体からにじみ出ている。

新しい交流の場に潜り込んで、なんとか受け入れられた人は、また元の明るさを取り戻し、自信も一緒に取り戻すことになるわけで、その時初めて、居場所の重要性に気が付くことになる。

病気になったり、認知症になっても同じ!

ことは、高齢者だけにとどまらない。癌などで、医者から見放された人や認知症を発症し、会社をやめたり、普通の生活が難しくなった人にもいえる。

彼らにも、ここが自分の帰るところだという居場所があれば、こころ穏やかに余生を過ごすことができ、精神的にも安定するようだ。

「社会福祉とは何か」を考えたとき、それは、居場所づくりに他ならないと言えなくもない。

お金をいくら出して施設を作っても、自分の居場所を確保できないのでは、楽しくない。多分、入居者が暴れる原因もそこにあるのではないかという気がする。