不条理な現実を直視しながら、いつまでも世界を新鮮にまっすぐ見晴らすことの解説

高橋祥子
10 min readNov 28, 2018

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最近思ったことで、一見「矛盾」している2つの行為を、意志を持って同時に行うことができる人は強い、というものがあります。

起業をした頃に難しいなと思ったことの一つが、例えば「現実を受け入れる」ことと「夢をまっすぐ見る」ことのように矛盾する2つのことを同時に行う必要があるということでした。多くの人は厳しい現実に晒されると夢を持てなくなったり、逆に夢ばかり見て現実が見えなくなったりしてしまうことがあります。

しかし起業家の場合は、しっかりと現実も直視しなければ会社は潰れますし、同時に理想も掲げなければ未来に対して強い推進力が保てなくなってしまいます。

この「同時矛盾的行動」に関心を持つようになったのは起業をしてしばらく経った頃で、全く自分の得になるわけでもなく他人の邪魔をするために邪魔をするような人からの嫌がらせなど様々な矢面に当てられて、人に対しての信頼を手放しかけたことがありました。

そのときに大先輩の経営者から、「人を疑う」と「人を信じる」は両方同時に持てるものだから、頑なにならずに変わらず純粋でいてほしいと言われました。それがきっかけで、人を信頼もしながら健全な猜疑も同時に持つということができるようになり、矛盾することは同時にできるのだと思い始めました。

上記の例だけでなく、会社経営を行うに当たっては、多くの相反することに向き合う必要があります。自分の利益と他者の利益が相反する、短期的利益と長期的利益で取るべき施策が矛盾する、進みたい方向とステークホルダーに求められる方向が相反する、などです。

このように社会は多くの矛盾を保持していますが、それではこのような矛盾は何故生じるのでしょうか。経営を通してさまざまな相反することを経験するうちに、世界の矛盾に対してどう向き合うべきかについて考えるようになりました。

生命は生きるだけでそもそも矛盾を抱えている

原点に立ち返ってそもそもですが、生命自体が生きているだけで多くの矛盾を抱えています

生命は「個体として生き延びて種として繁栄する」ことをミッションとして、その様々な仕組みを持っています。しかしそのミッション自体が矛盾を含んでいます。

例えば、個体として生き延びるために必要なのは「利己」的思考なのに対し、種の繁栄のために必要なのは「利他」的思考です。また、細胞にとっての死が個体の生を生み、我々一人ひとりの個体がいずれは死ぬことが種全体の繁栄を生み、生物種の栄枯盛衰が生命を存続させる、というように利害が一致しないように見えます。

ここで、例えば「細胞が死んで入れ替わった方が体を健康に保つことができる」という風に、メカニズムを客観視すると誰もが同意するにも関わらず、「我々人が死んで入れ替わった方が人類を健康に保つことができる」と、自分が一員になって主観的になった瞬間、「一人の命と多くの人の命はどちらに価値があるのか?」というような矛盾的な問いを抱えたりします。

ここから考えられることは、本当は矛盾はどこにも存在せず、どこに「主観的な思考の系」を作るかという思考枠が複数存在するだけだということです。

「現実を受け入れる」と「夢をまっすぐ見る」を同時に行う

それでは冒頭の話に戻って、「現実を受け入れる」と「夢を描く」を同時に行うことの解説をしたいと思います。

「現実を受け入れる」という思考が由来する事象の時間軸は、現在を含む現在以前の「過去」に起こってきたものです。当然ながら現実的な思考は現実に起こったことがベースになっているからです。

逆に、「理想を追い求める」というのは思考の時間軸が、現在を含まない未来にあります。現時点で現実に存在するなら理想ではないからです。

つまり現在・過去に起こった事業の影響をより受けると現実的な思考となり、未来に起こりうる事象の影響をより受けると、理想ベースの思考となります。

ここで、「現実を見ること」と「夢を見ること」が矛盾しうるのは、人は限られた思考枠の中では左を見ながら右を見る、というのがなかなか難しいからです。

さらには、主観が付加されると、その主観の対象とする思考枠と自分の結合が強くなってしまい、両方の思考枠で見ることができなくなってしまいます

例えば、前述の「一人の命と多くの人の命どちらが大事か?」という問いに対して、ほとんどの人は主観が入らない限りは多くの人の命を選択するでしょうが、その一人の命がもし自分の子供やとても大事な人であれば、他の思考枠で捉えることができず、答えは変わってきます。

それと同じで、例えば現在・過去の事象から「とても辛い思い」をした、などの主観が付加されると、より過去の思考枠との結合が強くなって未来の思考枠が薄れてしまい、結果的には「現実で辛い思いをすると夢を描けなくなる」という現象が起こります。

そのため「とても辛い思いをした」となると、本当はそれ以外の思考枠があるにも関わらず「現実とは残酷なものである」という視点に捉われがちになります。逆に過去「とても良い思いをした」という大人が、過去の成功体験ばかりを語るのはありがちで、それ以外のその他の思考枠で未来を考えることができなくなってしまっていることに気づいていません。

フェスティンガーの「認知的不協和」と同じようなものだと思っており、主観と事実の認識に矛盾が出ると、事実の認識を変更してしまうというもの(イソップ物語で、葡萄を食べられなかったキツネが、その葡萄は酸っぱかったはずだという事実認識をすることで自己防衛をするようなもの)です。

前述で「矛盾は存在せず、複数の主観的思考枠の視点が存在するだけ」という記述をしました。では複数の思考枠を認識するためにどうしたらいいかというと、左を見ながら同時に右を見ることは不可能に思えますが、適切な距離を置いて全体を見てしまえば簡単なことになります。

つまり「世界を純粋にまっすぐに見る」とは、「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容することだ」と考えています。

複数の視点を受容できると、たとえ過去から不条理な現実の影響を受けたとしても、それも一つの思考枠だし、他視点で未来からの影響も同じくその一つだよね、とフラットな視点で世界を見渡すことができます。

世界をそのまま見ることができない「偏見」とは何か

「偏見」とは何か、というと、世界をそのままの姿で見ることができなくなってしまうことです。

それはどのような状態かというと、前述の主観によって特定の思考枠との結びつきが強固になり過ぎたために動けなくなった状態のことで、さらにはそれにすら気づくことができなくなっている場合が多いです。

以前ツイートをしましたが、他者に差別的な偏見を持つ人や、事実の把握が正解でない人など、偏見がある人は自分に対しても偏見を持っている人が多いと考えています。

辛い経験をしたから、という過去の出来事が由来となって「人生っていうのはこんなもんだよ」と語る大人も、偏見を持って世界を見ているのと同じで、主観によって過去に焦点をあてた思考枠に捉われてしまい、他の思考枠で世界を見ることができなくなってしまっています。

年齢を重ねるほど過去の時間の方が蓄積していくため、どうしても思考枠に及ぼす過去の影響が大きくなっていきます

マズローが自己実現の欲求を叶える人の条件の一つとして「認識が絶えず新鮮で様々なことに感動する」ことを挙げていますが、これは偏見の概念と逆で、「認識が絶えず新鮮」というのは「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容することだ」と考えています。

矛盾は未来差分の素であり、エネルギーを生む

一方で「あらゆる思考枠を受容する」ということは、一見矛盾を生みやすくなります。例えば利己的視点しか持たない人より、利己/利他的視点両方持つ人の方が矛盾を持ちます。

会社経営を行うにあたっては様々な視点が関与するため相反する物事に多く出くわします。しかし、これは悩ましいことではなく、私は「矛盾エネルギー」というのが存在すると考えています。

何かしらの矛盾に思えることがあるということは、これまで述べてきたとおり複数の異なる思考枠を持っているということです。それは例えば過去の視点と未来の視点を両方持っている、とか、利己的視点も利他的視点も持っている、などの証拠であり、それは以前ブログで書いた「未来差分」を作りやすい状態であると思っています。

たとえば例に挙げた「自分の利益と他者の利益が相反する」という矛盾を抱えているのであれば、自分も他者も幸せにしたいという理想的な未来を脳内では描いており、そこに辿り着ける可能性は既にあるということです。

また、「短期的利益と長期的利益」の矛盾を抱えている時点で、複数の時間軸的視点を持っていい世界を作りたいという未来を脳内に既に描いており、それはその未来に行くべきエネルギーを生み出します

わかりやすい例では、自分には何の力もないが世界を変えたい、というのが大きなエネルギーを生み出すのもそうです。

同じように、残酷な現実を直視しながら、世界を純粋にまっすぐ見渡すことは大きなことを成し遂げるに値する大きな力となります

他人の矛盾を突くことに夢中になったり自分の抱える矛盾に悩んでいる場合ではない、と思います。

様々な「同時矛盾的事象」を経験することで、私たちの身体というのはそれを代謝して未来のエネルギーに変換することができると感じていたので、ブログに書かせていただきました。

私自身も、どんどん蓄積していく過去からの影響の思考枠だけに捉われず、純粋にまっすぐ世界を見渡せる新鮮な人生を進みたいと思っています。

まとめ

・ほとんどの場合、本当は矛盾はどこにも存在せず、どこに「主観的な思考の系」を作るかという思考枠が複数存在するだけ。

・「世界を純粋にまっすぐに見る」とは、あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容すること。

・過去の主観的体験で思考枠が固定されると、偏見になる。

・複数の思考枠を受容することは、未来へのエネルギーを生む。

もっと考え方を知りたい方は・・

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高橋祥子

ジーンクエストというゲノム解析ベンチャーの代表取締役を務める高橋祥子のブログです。京都大学農学部、東京大学大学院農学生命科学専攻応用生命化学科博士号。