Takahiro Ozawa
22 min readApr 4, 2019

突然のくも膜下出血から4年、 180度転換した価値観

「私は人生にどのような意味を残せるのか。」

ー 伊藤 賢俊ー

左:伊藤 賢俊さん 右:インタビュアー 佐藤

第2回目のインタビューは、伊藤賢俊(まさとし)さんです。

ファストエイドの活動でいつもお世話になり、CPRトレーニングボトルの講習会や渋谷 ナース酒場(*1)とファストエイドの合同イベントにも参加してくださっている伊藤さんですが、4年前にくも膜下出血で緊急入院をし、その後2ヶ月で職場復帰をされています。 闘病の中で伊藤さんが感じてきた死に対する恐怖、家族にも打ち明けられなかった苦しみ、回復の過程で徐々に見えてきた希望や喜びなど、多くの方に知っていただきたいエピソードの数々をお話し頂きました。 どうぞご一読ください。

今回インタビューに答えていただくサバイバー 、伊藤賢俊(まさとし)さん

1965年三重県津市生まれ。88年慶應義塾大学経済学部卒業、同年日本電信電話㈱入社。97年同社グローバル事業立ち上げに参画した後、データセンター等新たなIT事業の開拓に 従事。現在は、エヌ・ティ・ティビズリンク株式会社にて、自然・社会環境と共利共生する日本ならではの『共感経営』確立に挑戦中。

1.突然のくも膜下出血

1)~直帰してはいけない~ 運命を分けた「違和感」

— 本日はよろしくお願いします。「伊藤さんがくも膜下出血をされた」ということは予め 伺ってるんですが、それ以外の情報はまだ何も知らない状態です。当時どのような状況 で、どういうことがあったのかを詳しく教えて頂けますか。

ちょうど2015年の1月28日だったと思うんですけど。高輪プリンスで行われたパーティー 中に「パキッ」となっちゃったんです。 たまたま私が結婚したホテルでした。

— 思い出の場所ですね

ええ。くも膜下って「バットで殴られたような・・・」って言うと思うんですけど、そう ではなくて。立食パーティーでお酒を飲んでたら、突然、延髄のところで「ブチンッ!!」って音がして切れたんです。

— 音が聞こえたんですね。

直後、「ゾワゾワ・・・!」って足元から血が逆流してくる感じがして、体が固まって動 かなくなりました。 「なんだろう、これは。」って思ってるうちに耳鳴りがして周りの音が聞こえなくなっ て、今度は目の前がセピア色みたいに・・・

—視界がぼやけたような感じですか。

ええ。痛いと言うより「これは変だな。」という違和感を感じました。でも動けなくて。

— 痛みじゃなくて、違和感なんですね。

話してた相手の方も「どうしたのかな?」って固まったんですけど、私が固まってるので どっか行っちゃったんですよ。

— 周りにいた方からの声掛けは無かったんですか?

たぶん、大丈夫な風を装っていたんです。 まあ、でも、精一杯だったから・・・わかんないですね。

— その後も会場にいらっしゃったのですか?

とにかく座りたいなと思い、心配されないようにトイレに行ったんです。今思うと危な かったんですけど。 そこで少し休んで、やはり帰ろうと思いました。 足を引きずってホテルのタクシー運転手の方に「練馬の自宅までお願いします。」っ て・・・言った直後に、腹の底から「違う!」って感じたんです。

— 何か勘が働いたという感じですか?

はい、「そうじゃないだろ!」っていう感じで違和感が。行き先を変え、病院の夜間受付に入ってソファに座った後・・・もう1回「プチンッ!」って切れたんです。 痛くてソファに倒れこみました。声をかけられても目が開けられませんでした。 そのうち先生が2,3人走ってくる音が聞こえてきて、少し状況を話した後は、もう記憶がないですね。

— そこまで何とか保っていたという感じなんですね。

そうですね。次に気がついたときは、「よいしょ!」って声が聞こえて、何かに乗せられたような感じがしました。

そこで咳き込もうとしたら・・・咳が出ないんですよ。全身麻酔かけられてるから。でも 意識戻っちゃっていたので、「死ぬ・・・!」とか思いました(笑)。

— 自分がしたいと思ってる行動がとれないって怖いですよね。

はい。感覚としては3秒くらい。実際は0コンマ何秒のことなんでしょうけどね。

— 実際は短かったとしても、そういうひとつひとつがやっぱり印象に残っているものなんですね。

—パーティーで「プチン」と切れる以前に、予兆のようなものはあったんですか?

思い返せばあったんです。年末に飲み会で飲んでたら、「ゾワゾワ上がってくる感覚」っ ていうのがね、2回くらい。それだけで、あとはあんまり無いですね。・・・って話してる と、それだけでドキドキしちゃうんですよね。

2)手術の合間に見た不思議な夢

手術中には不思議な夢を見ました。 パーティーで、白い布を着た男の人たちと一緒に、ワインと熟成肉を楽しんでいたんです。そんな楽しい光景と、自分が銀板の上に寝てる光景が交互に出るんですよ。交互に。

で、急に「伊藤さん!」って後ろから聞こえてきました。 「うるさいなぁ~。」と手で払っても、しつこく呼ばれるので、「なんだよ!」って振り 向いたら、主治医の先生が呼んでいました。枕元で。麻酔を覚ますために。

— その光景は、両方夢のような感じなんですか?

そうです。うまく説明できないんですけど。実は2年くらい経った後にテレビを見てて、 「最後の晩餐」の光景に似ていたことに気づきました。ゾッとしました。「ワインと熟成 肉」の風景はどっかの店だったんですけど、退院した後行った都営浅草線の高輪台にそっ くりな店が角にあったんですよ。

—行かれたことは・・・

ないです。でも、そっくりなんです。門構えも、ワインも・・・。

—不思議な体験ですね・・・。

まぁ~、夢なんだと思うけど・・・。 手術後、本当に目が覚めたら、妻がベッドの横で僕の手を握って「良かった」と言って泣 いていましたね。 後から聞いた話だと集中治療室に入れられていて、1晩か2晩手術できなかったみたいで す。

—それはどうしてだったんですか?

動脈瘤の破れた場所が特定できなかったんですよ。 実際の手術自体は2,3時間でトラブルも特に無かったみたいです。

3)くも膜下出血の手術

— 手術についても教えて頂けますか?

右脚の付け根のところからカテーテルを刺して・・・って聞きましたけどね。「プチッ」という音は首の真後ろから聞こえたんだけど、患部は左目の奥。コイルが入っ てます。開頭手術ではなかったですね。 退院間近の検査で、「卒業試験ね。」って言われてコイルが正確にはまってるかどうかを 見るときは一番辛かったです。麻酔は右脚の付け根だけで、造影剤を入れられて。もう、辛かった。(笑)

— どんな感覚なんですか?上ってきてる感じがするんですか?

うんうん。ゾワゾワーって。しかも熱くなるんですよ。

4)「社会復帰は諦めて下さい。」

— 奥様は診断結果をご存知だったんですか?

そうですね、夜9時に医師から家に電話がかかってきたらしく、病院に駆けつけてくれまし た。そのとき、は主治医から「社会復帰は諦めて下さい。」って言われてえらくショック を受けたと聞きました。

— そうですよね・・・。

うん。「社会復帰は諦めて下さい。」ですからね。しかし、妻の頭に真っ先に頭に浮かん だのはなぜか、「頭洗わなきゃいけないんだ。」っていうことらしいですけど。

— ご主人の頭を「私が洗ってあげなきゃいけないんだ。」と。出血もひどかったのです か?

出血の程度は聞いてないんですけど、後で先生からもらった調書に、「2~3mmの瘤の破 裂」って書いてありました。

—奥様は勿論ショックだったと思うのですが、伊藤さんご自身は今回の診断や出来事につ いてどんな風に思いましたか?

あの直後は・・・まぁ、正直言うと、「大変だった」とはあまり思わなかったですね。

2.復帰までの道のり

1)「死」への恐怖

1ヶ月の自宅療養のために家に帰って2週間経った頃、精神的に重くなりました。「水頭症(*2)」という、くも膜下出血の後の症状や、浅野ゆう子さんの当時付き合ってた 彼氏が、「(くも膜下出血の)再発で死んだ」ことを知り、びびってしまったんです。

— どなたから聞いたんですか?

ネット見ちゃうんですよ。もちろん調書にも書いてあったんですけど、ネットで詳しく見 ちゃうじゃないですか。

— 確かに、良くない情報を全部自分に重ねちゃいます。

それから「どう死に至るか」も気になって。

「死」っていう字がどんどんクローズアップされちゃって。いろんな本を読んでいるうちに気持ちが乱れてしまいました。

— 外部の情報をいろいろ取り入れたことによって・・・

「死生観」みたいなことよく言うじゃないですか。

情報を取り入れては考えて。凄い緊張した状態になって寝られなくなっちゃって。

— そうですよね・・・。集めた情報や、不安な気持ちをご家族には話されましたか?

してないです。心配させると思って。

家族には言えないで、自分で閉じこもっちゃった。

思わず心療内科に行きました。ちゃんと対処してくれて、それで乗り切ったんですけどね。

「あっという間に人生終わっちゃうんだ。」っていう恐怖感と、「明日から1日1日やっていけるのか。」っていう心配が交錯するんですよ。それがとても辛かったですね。

心療内科の先生に言っても、よくわからなかったんでしょうね、にこにこ笑ってくれていたけど・・・。

2)リハビリと、なかなか消えない感触

— 病院にはどのくらいの間いらしたんですか?

1ヶ月間ですね。集中治療室にたしか1週間弱くらいいて、それから普通の病棟に。

— リハビリはどういったことをするんですか?

筋肉が弱ってるので、家や病院で足を動かしました。まずは病棟の廊下を歩くことから始めて。退院後は1日1回500mくらい歩いて、徐々に「次は600m」みたいに距離を伸ばしていきました。

職場復帰に向けて駅まで歩いてみたり。あとは足の体操を朝晩毎日やっていましたね。不思議なことに私リハビリが上手くて(笑)。

投薬が無いんですよね、「何も飲まなくていいよ」って。

— 血圧のコントロールも無いんですか?

無い。血をサラサラにする薬は退院して1週間くらい飲んでたんですけど、他は何もなかったです。

— リハビリのみで回復まで至ったんですね。退院したての時はどういう状態だったんですか?

退院したての時は、ふわふわ浮いてる感じなんですよ。主治医には「問題ないから。」って何度も言われたんですけど、宙を歩いている感じがするんです。

面白いんですよ、ふわふわ感あるのに別によろめかないんですよ。よろめかないのに、ふわふわしてて。その状態が2年くらい続きました。

— 結構長いですね。

職場復帰しても続きました。誰に言ってもわかってくれないです。医師に言っても「いや~、それは気にしすぎでしょ。」で終わり。

— 患者さんによくあることというわけでもないんですかね。

くも膜下の患者さんと会話してないのでわからないですけどね。

— 今回のインタビューが記事として出ることで、他のくも膜下出血を経験された方から「私もあった」、「今回はこういうパターンだった」みたいに反応して頂けるんじゃないかなと考えています。「実は今の症状ってこういうことになる前段階のやつに似てるな」と思って頂けるとか。

今後も病気や怪我の厳しい状況から復帰された方のお話を取り上げていきたいなと考えています。

いいですよね、励みになりますよね!

3)生命力に感涙

あとはね、リハビリで外を歩くと、沿道にある花のつぼみとか、花とかにやたら目が行くんですよ。生命力とかに。

— 心疾患で倒れられて蘇生された人が「鮮やかに見えるようになった」というコメントはネットで見たことがあります。

鮮やかでしたね。キラキラしていて・・・綺麗でした。

花がね、もんのすごい綺麗なんですよ。すごい可愛くて。ボロボロ泣いてんですよ。1人で。っていうのはありましたね・・・。今は薄れちゃったかな?(笑)

— 無意識だけどそういう変化があったんですね。

3.くも膜下出血から自分に訪れた変化

1)「毎日一生懸命生きよう。」

— 他に乗り越えるのに大変だったエピソードというとどんなことがありますか?

2ヶ月で会社に復帰できたのですが、ちょっとでも感情の起伏があると凄い脈拍が上がるんですよね。それを克服するのは大変でした。

飲んで良いと言われていましたが、例えば飲み会でちょっとお酒を口にするともう脈が上がっちゃって。動揺して何度も途中で帰りました(笑)。トラウマでしょうね。

— 出血が起きた時に飲んでいたからということもあるんでしょうか。

だと思います。無意識のうちに。同じようなシチュエーションで脈が上がっていました。

あとは・・・丸4年経ちましたけどいまだに少しあるのは「死ぬんじゃないか。」って感覚を覚えます。逆に死ぬことから逆算して生きるようになったので、毎日一生懸命生きようって思えています。

ただ、やっぱり2年くらいは死に対する恐怖が凄いんで、もう怖いです。突然来るんですよ。「またなったら・・・。」って。電車の中とかね。

今は克服したつもりなんですけど、その怖さを克服するのが大変でした。話してると顔が赤くなります。

よく、「死に目に会った人が、その途端人生観が変わる」とか聞きますけど、僕はそんなことはなくて。僕の場合は徐々に徐々に・・・。

— 回復の過程で、そのように感じてこられたんですね。

2)「人生が私に期待している」

— 恐怖に打ち勝つには時間もかかりますし、精神的にも大変だと思います。一番苦しい時期を乗り越えるのにあたって、どう気持ちの整理をつけられたんですか?

うまく答えられないですけど、「死んで全部無くなる」っていうのが怖いんですよね、「(くも膜下出血を)やっちゃったとき」を思い起こすとそこに自分がプレーバックしちゃって、「そのときに終わってたらどうなってたんだろう。」って思うと凄く怖いんですね。

「死んでも続くよね。」って、いろんな本を読んで、なんとなく自分なりに悟ったっていう感じなんです。そうすると楽になったというか。

ある時、「死ぬのが怖いんなら何年生きればいいんですか?」って自分に聞いたんですよ。そうすると、「限りない」し、そんなに何年も生きたくないんですよ、別に。

となると、「限られた中で最善のことをやらなきゃいけない。」と思いました。

後もう一個は・・・「死んだんだ。」って考えるようにしたんです。これからは貰った「ボーナスタイム」だって思ったら、 一日一日や一時一時は、「付け加えていくもの」だと。

自分の命がこのくらいだとしたら、「今ここまで来たから、あと死ぬまでこのくらい。」って言うんじゃなくて。もう、一回死んだので。一個一個こう・・・積み重なっていくので。と

考えると、今死んでも別に良いんですよ。「良くないけど、良い。」・・・という考え方に段々なってきてます。

なぜこういう考え方になったかというと、ある日、歩いていたら、「歩く」のも、丁寧に1歩1歩、「楽しみながら歩こう。」とする自分に気づいたんです。すると凄い嬉しくなってきちゃって。

— 噛み締めるような感じですよね。考え方にも大きな変化はあったのでしょうか?

「人生はどんな意味があるのか」ではなく、「私は人生にどのような意味を残せるのか」

という考え方に180度転換しました。
これが最大の変革でした。

厭世的(えんせいてき*3)な意味ではなく、人生そのものには意味はなく、人生や運命に期待してもしょうがないと思いました。

そうではなく、「人生が私に期待している」んだと。そうわかった瞬間、目の前がパーっと光り輝きました。

3)「当時の自分」へ「まだ知らないあなた」へ メッセージを贈るとしたら

— くも膜下出血を起こした頃のご自身や、伊藤さんのような経験がなく、「いつ死ぬか」ということについてまだ自分事として考えたことが無い人に、伝えたいことはありますか?

やっぱり・・・「無理しちゃダメ。」ですね(笑)。

ただ仕事とか、自分のやりたいこととか、かける価値のあるものに関しては無理をしても命かけて突っ込んで行ってもいいと思うんです。

まあ、息抜きは必要ですけど。息抜きでストレスがかかることはないので。

無駄な時間の使い方で残業するとか、健康を害するものは良くない。私はそれを30代のときから40代半ばまで凄くやっちゃったんですね。「あのツケだな」と思っています。

そういう余分なことを止めて、意味のある息抜きとか休暇とかに使えば、また自分のやりたいことにパワーを投資できるので。

そういう意味で、ファストエイドさんとか、他にも付き合いが広まったベンチャーの社長さんとかを見て自分のスタイルがかなり変わりましたね。「自分で興してる」ので。・・・と話してるとこう、またちょっと熱くなってきちゃいますね(笑)。

4)ファストエイドとの関わりについて

— ファストエイドとの関わりについて伺いたいと思います。NTTビズリンクさんにはいつもお世話になりまして誠にありがとうございます。

こちらこそお世話になっております。

— 実際に先ほどまでお話し頂いたようなご経験があった上でファストエイドの活動にも協力いただいているということで、経験が活動に影響しているところはありますか?

それはやっぱりありますね。一緒にやらせて頂いていて、自分の経験は影響にはなっていますね。

私はたまたま運良く後遺症はないですけど、残っていらっしゃる方は、その後不自由な生活をされることもありますよね。

一命を取り留めたというのはもちろん凄く良いんですけど、そういう方のために環境を作りたい。だから、うちは障がい者採用も一生懸命取り組んでいるんですが、難しい部分も多いです。

でも、大井(エヌ・ティ・ティビズリンク社長)もそうなんですけど「絶対やるぞ。」とまた動いています。

ファストエイドさんともお付き合いして、社会課題の解決っていうのは凄く大事だと思います。自分の経験がきっかけにはなっています。

— 会社のミッションやビジョンと、社会貢献活動についての関係性についてはどう思いますか?

会社のビジョンは「Empathy&Smart(共感&スマート)」です。ITをツールとして使って、皆さんと思いを「共感」して良い会社を創って、日本を良くしていきたいです。会社的には大げさになってしまうので「日本を良くしていこう」とは書いていないですけど。本当はそういうつもりでやっています。

大井は「日本式経営を確立したい」という目を向けています。日本式でない経営というのは何かというと、上から社長、部長、課長、係長、社員という、縦経営。日本式は横なんです。昔からある日本の良いところで、「阿吽の呼吸」とか「コミュニティでの助け合い」と言うような「共感」を、会社を動かすエンジンにしていこうと考えています。

「Empathy&Smart」で日本を良くしていくという点で関連していると思います。

— なるほど。ところで、心肺蘇生の普及や啓発活動で色々ご一緒させて頂いていますが、社員の皆さんが仲良いなと感じます。

わりとね、仲良いいんですよ。皆地味だけど(笑)。ふふ。

フランクに話せるカルチャーというのは1年半前から一生懸命つくっています。

特に大井の人間性もあると思うんですけど、皆で一生懸命やっているという感じですね。

— 最初にお付き合いさせて頂いたきっかけも、大井社長が登壇していたイベントに玄正(FastAid代表理事/Coaido代表取締役)が参加させて頂いたことなんですよね。

そうなんですよね。

実は今、僕と大井が言っているのは、CPRトレーニングボトル講習でもいいし、実際の救命に役に立てるようなITのソリューションを何とか発展させてつくろうよってことなんですよね。

— 社会貢献活動や技術開発に関して1番に会員企業として手を挙げて頂いて、ファストエイドとしても、そういった技術部門もご一緒できることを嬉しく思っております。

今まで無かった繋がりをこうして築けるのはやっぱり「共感」を通して社会が広がって行くということですよね。

エヌ・ティ・ティビズリンク様にはCPRトレーニングボトルの講習を真っ先に受講頂き、AEDエリアコールに関しても、民間として初めて設置して頂きました。

うちの会社の中の話なんですけど、1年間の企業としての活動として、NTTグループの監査役に対する説明があるんですね。

その中で、ファストエイドさんとのコラボやAEDエリアコールに関しても言いました。「企業として初だ。」って。

— 実際にCPRトレーニングボトルでの心肺蘇生の講習を受けられたことに関しては、どういう風にお感じになられましたか?

実際に受けさせて頂くと・・・正直に言って自信がつく安心感はあります。「なんでこうなのか。」とか「本当はこうなんです。」とか、理論を説明して頂けますよね。僕も自信がつきましたし、皆さんも非常に良かったと好評で。

— そんな中で伊藤さんは実際に人が倒れられたところに出くわされたそうですよね。そのときはどんなお気持ちでしたか?

内心凄くドキドキでしたけど、割と自分でも冷静に対応できましたね。倒れた知人は心肺停止してはいませんでしたけど、介助している途中にもし止まっても「できる。」って思っていました。

やっぱりね、講習受けると違うんですよね。

先週も夢見ましたしね。心肺停止で倒れられた方を助けた夢。その中でも結構冷静でしたよ(笑)。

— 大井社長もこの前、人が倒れられた場面に出くわしたそうですよね。第1回目の講習をこちらでやらせて頂いたときに、大井社長が先頭を切って1番前列で受けて頂いて、とても素晴らしいなと思いました。

そうですね。山手線を降りたら人が集まっていて、ご年配の方が倒れていたそうです。もうそこには経験者の方がいて対応が始まろうとしていたらしいですが、でも、「行けるぞ。」とは思っていたらしいですね。

— 私たちも、講習をやる意義を身にしみて感じました。

最後に、ご自身の体験からの思いを一言で表すとしたら何でしょうか。

そうですね・・・「一時一時、大事に生きていきましょう。」でしょうか。

自分の人生なので自分でコントロールするというか、操縦桿を握らないとだめだと思うんです。「自分で」歩いているから、歩くのだって嬉しかったんですよね。

与えられた命を使って、「自分で」人生を切り開いていきたいっていう思いです。

— インタビューを通して

インタビューの途中で何度か「脈が上がっちゃってね。」と首や頬を押さえ、「今でも死ぬんじゃないかと思う。」と打ち明けながらも、「自分のやりたいこととか、かける価値のあるものに関しては無理をしても命かけて突っ込んで行ってもいいと思うんです。」と語る伊藤さんの力強さは特に印象的でした。自分にとって譲れないものがあるなら、あえて無理をしても取り組んでいくのが人生だと、教えて頂いた気がしました。

「やるべきもの」として社会課題解決に取り組んでいるファストエイドを間近に見せて頂いているインターンとしても共感するお話でしたが、一個人の大学生としても、残り2年の学生生活で何をしたいか、将来どのように社会に働きかけていきたいかについて自問自答をする大きなきっかけとなりました。ひとつひとつの課題に主体的に取り組み、人生にどのような意味を残したいか、私も時間をかけて考えていきたいです。

ご挨拶

Coaido株式会社 2018年度インターンの佐藤です。初回と今回の2回にわたってインビューを担当し、普段なかなか公にされないサバイバーの方のリアルな声をMediumを通して発信させて頂きました。他にもイベントのブース展示、CPRトレーニングボトル講習のサポート、広報報・PRを務め、大学では体験できない多くの社会勉強をさせて頂きました。ご指導頂いた皆様にこの場を借りて厚く感謝申し上げます。

次回以降は、2019年度インターンの川崎が務めます。どうぞご期待ください。

インタビュアー 佐藤 理玖(さとう りく)

1993年生まれ。東京都出身。明治薬科大学薬学部薬学科5年在籍。所属の数理科学研究室・地域医療学研究室ではスマートドラッグの認知・普及に関する全国調査を実施。現在Coaido株式会社インターン生としてPR・広報を担当中。

<用語解説>

(*1)渋谷ナース酒場

ふるまい酒を飲み、美味しいご飯を食べながら、健康についてまじめに考える、看護師コミュニティ『看護師ーず』と東京カルチャーカルチャーがタッグを組んで企画した史上初の看護師エンタメコミュニティイベント。2017年秋、2018年夏、2019年新年に開催され、朝日新聞、日経新聞など多数のメディアに取り上げられた話題のイベント。

引用:https://munesada.com/2018/07/07/blog-12690

(*2)水頭症

何らかの原因によって髄液の循環・吸収障害が起こり,その結果,脳室の異常拡大が生じたもので,小児,成人を問わずに発生し得る病態。

水頭症を起こす原因として、大きく①髄液の生産過剰②髄液の吸収障害③髄液循環路の閉鎖があり、くも膜下出血は②髄液の吸収障害に当たる。

引用:https://square.umin.ac.jp/neuroinf/medical/601.html

(*3)厭世的(えんせいてき)

世の中や人生を悲観し、生きることをきらうさま

Takahiro Ozawa

救急救命士として10年間消防署で勤務、その後救急救命士の専門学校教員を8年しておりました。その後教育ICTの楽しさ、奥の深さから現場に使える最先端技術を追求。気づけば救命アプリCoaido119の開発メンバーから取締役COOに。昨年12月に立ち上げた非営利型一般社団法人ファストエイド(FastAid)では共同代表理事。