自由研究の代行サービスってどう思います?

出典:ぱくたそ©sushi-paku

僕は代行賛成派です。

理由はシンプル。

明らかにニーズがあるのと、自由研究自体が誰のためにやってるの感が強いから。

やらなきゃいけない嫌なもの

なら、貴重な時間をさいてやる必要はまったくないと思います。

なぜ誰もやりたくないことをやらせるのかはすごく不思議です。

なので代行サービスを使っている方はある意味知見が広いように思います。

貴重な時間をつまらないことに使わせたくない。

この気持ちは過保護でも何でもなく、とても合理的です。


もちろん自分の興味のあること、好きなことを深掘りしている子どもたちはいますし、そういったものは素晴らしいはず…。

当然、「どうでもいい」と思っている人が適当に出したもののできは大したことがないはずですし、そんなものを見たところで大人も子どもつまらない。

誰得、なんですね。

だから、ユーザー側である親や子どもはお金を払って適当な人に適当なものを作っていただく。

そうすれば少なくとも時間やストレスというコストを払わなくて済むようになる。

こういったビジネスモデルが成り立つわけです。


じゃあ、自分だったら代行を買うか。

答えはNO。

なんでやねん、と突っ込まれそうですが…

まず買いませんね。笑

僕は自由研究は代行サービス云々よりも、やりたくないならやらなくていいと思う派です。

やらないで怒られるとか、成績に響くとか、そういったことに理不尽さを覚えるなら学校にさえいかなくたっていいと思う。

これは反社会的とかそういうことではなく、素直に価値観の違う組織にいることがその人にとってプラスになるとは思えないからです。


「夏休みは自由研究をやることが必須」という固定概念。これ自体が思考停止です。

ここに日本の教育、日本の社会の残念なところがあります。

  • 毎年みんなやってるんだからやる。
  • そういうものだからやる。
  • 自由研究だからやる。(?)

こういった「理由はわからないけどやるもの」というステレオタイプは本当にもったいない。

自由研究なんだからやるのも自由なはず。

こんな単純なことに誰も声を上げない。

慣習、という二文字にずっと踊らされている。

だから代行サービスなんかができるんです。僕も息子も絶対使いません。


「やらない」という選択肢を子どもたちに与える

断捨離、ミニマリストという価値観が流行っています。

教育ももう少しシンプルでいいと思いうんです。

当人が「やんなくて良くない?」と判断したならやらなくていい。

これはデスクーリング(Deschooling)の第一歩です。

『じゃあ、やらなくていいよ』

この一言は子どもたちを大きく成長させるものだとすら思います。

子どもたちにやらないという選択肢を与えることで、むしろ「何をすべきかがはっきりする」。

これは事実としてあるでしょう。

何もしなくて良くなったとき、何をしよう?と考えます。

情報過多の時代に生きる私達に足りていない力、能動力、がここで初めて顔をだすんですね。

いままでは、「これをやりなさい」で来ていた。

でも、これからは「これをしよう」になるわけです。

そのときに着手したものが、おそらく自由研究のテーマにふさわしいものであり、それは誰かに見せるためではなく、純粋な知識欲や興味から生まれたものになるでしょう。

『やらない』を作ることは難しいですが、やる価値はあります。


人生はずっと夏休み。

とくにホームスクールをしているとそんな気がします。

僕らはずっと自由研究に熱中しています。しかもいくつも並行して。

まだまだ周りからは不思議に映るかもしれませんが、冷静に見てみてほしいんですよね。

どっちが自然で、どっちが不自然か。