528Hzの音叉

言語化して伝わるときもあれば伝わらないときもある。伝わるときは聴いたことがあるときで伝わらないときは聴いたことがないときである。つまり経験の有無である。記憶や体験をしないと私たちは認識することができない。花やハーブの香りや正座をしたときのあの痺れ具合は体感しなければ伝わることも共感もない。ちなみに528Hzの音は最近耳にしたというだけで例えとしてはスキマスイッチの奏といった歌でもかまわない。

仏典や聖書といったものというのは言語を超えて理解しなければ意味を成さないものだと感じる。密教で使われる曼荼羅とかまさにそうであろう。

現代で貴重なものというのは言語化、データ化されていないものなのだろう。社会が情報で溢れているのは外の世界に私たちが「拡大」を求めたからなのかもしれない。

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