5年前に共同創業したEdTechスタートアップを退職しました

5年前に共同創業した、株式会社マナボというEdTech(Education x Technology)のスタートアップを今春に退職しました。

同時に結婚し、それを機に芽生えた問題意識に取り組むべく、共働き家庭の子育てを応援する事業を始めようとしています。現在はフローレンスという保育のNPOで1年間だけ働きながら勉強中です。

諸々の経緯や背景などをまとめました。10,000字近い長文になってしまいましたが、お世話になっている方々への近況報告も兼ねて。


株式会社マナボとは

2012年に創業し「スマホ家庭教師manabo」というアプリを提供しています。小中高生が勉強していてわからない問題があるとき、どんな科目・問題でも簡単に、すぐに教えてもらえる質問対応サービスです。

生徒向けパンフレット

生徒が写真を撮って質問すると、東大や医学部などに通う学生講師に通知が来ます。7割以上の質問で3分以内に、教えられる講師が立候補。過去評価をもとに生徒が講師を選ぶと、1:1の指導を開始します。

音声通話、ホワイトボード、画像共有、チャットなどを使った双方向のやりとりで、まるで隣同士に座っているかのような指導を受けられるのが特徴です。

サービス紹介動画(約1分)

これまでに5万人以上の生徒、3,000人以上の講師、進研ゼミ・栄光navio・Z会など30以上の事業者が利用し、生徒満足度は5段階で平均4.85。6億円以上の資金を調達し急成長を目指すスタートアップです。

六本木オフィスにて

子ども時代

僕は小学校から大学まで慶應義塾の内部進学で育ちました。どこぞの御曹子というわけではないですが、暖かく教育熱心な家庭に生まれ、特段の苦労なく大きくなりました。

他人と違うことをしたがる自分をスポイルすることなく、素直にまっすぐに育ててくれた両親と周囲の人々には、感謝してもしきれません。本当に恵まれた、幸せな子供時代だったと思います。

11才下の弟と。幸せに育ったあまり、太ももが尋常でなくムチムチに。

人生を変えたひと夏

僕にとっての転換点は10年前、高校3年生の夏。受験なしで大学に進める利点を活かして参加した、20カ国以上からの参加者と一緒に環境教育や国際理解教育を受ける、カナダでの3週間のサマーキャンプです。

そこで話されている英語は半分もわかりませんでした。しかしあまりモノを考えずに育ってきた自分にはその環境自体がとても刺激的で、価値観を大きく揺さぶられたひと夏となりました。

運河と山に囲まれた自然豊かな場所でした

中でも毎日のように繰り返された “What have you done to change the world today?” という問いが印象的でした。恵まれて育った参加者達に「ノブレスオブリージュの精神を持て」と言いたかったんでしょう。

僕は小中高と野球が好きで続けてきたものの、大学では何か別のことをしようと考えていました。我ながら単純だなと思いますが「世の中を変えるようなことをやってみたい!」と思うようになったのです。

10年ぶりに遊びに行ったら講師になって戻って来た当時の仲間と再開

大学生活前半の3年間はアイセック一色

大学では「アイセック(AIESEC)」での活動に没頭しました。海外インターン生交換事業を通してグローバル人材を輩出し「世の中を変える」ことを目指す国際学生NPOです。

当時は世界107カ国、国内24大学に支部があり、僕は慶應支部に所属。大学2,3年時には支部代表として、数十名中盤の規模の同支部の運営と、1,000名超の規模の日本事務局全体の意思決定に携わりました。

ヨーロッパ地域の国際会議にて

支部代表の就任当初は、内部的なトラブルで組織は崩壊寸前。事業成果も国内最低レベルというカオス状態からのスタートでした。

任期の2年目に、国内で全く(海外でもほぼ)前例のない、大胆な取り組みを導入。内外全ての関係者に猛反対を受けたものの、1年目の経験から絶対に有効だという確信があったので、強引に押し切りました。

これが当たって、2年間で事業が7倍に急成長。退任の1年後にはアジア太平洋地域でNo.1の支部になることができました。

慶應支部の合宿にて

大きな理想を掲げて、前例のない取組みを始め、辛い時は泣きながら歯を食いしばり、試行錯誤を積み重ねて成果を出す。学生らしい未熟さは多々ありましたが、とても楽しく充実した時間でした。

挫折

2年間の任期の終わりには、自分達の先進的な取り組みを全国24支部に広げるべく、翌年の日本事務局の代表に立候補。数十ページのマニフェストを執筆し、1ヶ月以上にわたり議論を重ねる選挙を戦いました。

しかし、僕は自身の至らなさから選挙にきちんと取り組めず、自滅しました。24支部の代表が票を投じる中で、出身の慶應支部以外には1票も獲得できずに大敗を喫する結果となったのです。

最後の1週間は泊まり込みでした

生まれて初めて困難らしい困難に直面し、それを乗り越えることを通して自ら掴み取った自信。その拠り所となっていた3年間の努力や成果の全てを、自分の手でぶち壊してしまったような気がしました。

ひきこもり生活

平静を装い、支部代表の責務は最後まで果たしました。

しかし挫折することに慣れていなかった僕は、任期終了と同時に心の糸が切れてしまいました。周囲と一切の連絡を絶ち、実家の自室にひきこもるようになったのです。

現実から目を背け、責任がなく楽チンな、けれどちっとも「生きている」感じがしなかった灰色の数ヶ月。僕は日に日に、自分が人として腐っていく事を感じていました。

40時間ぶっつづけでアニメを見て、20時間寝て…を繰り返す生活を通してにわかアニメオタクに

インド放浪の旅

そのうちあまりのダメさ加減から、励まし気遣ってくれる家族との会話すらもプレッシャーに感じられるように。そこで、異国の地・インドに逃げ出すことにしました。

汚いバックパックに小難しい本を詰め込んで、1泊100円の宿に泊まり、ギュウギュウ詰めの三等列車で移動する。そんな2ヶ月間の1人旅でした。

旅先で出会ったお姉さんに笛を習ったりもしました

人間関係やインターネットから切り離されて1人で過ごす、穏やかな時間。社会全体が未だ混沌の中にあり、それでも至る所から確かな生命力が感じられるインドという国。

ボランティア先で亡くなった老人の死体を手ずから火葬したり、サルモネラ菌で死にかけて1週間入院したり、仲良くなったインド人の実家で放し飼いの鶏を捕まえる所からチキンカレーを作ったり…

そんな経験を通し、普段は意識しないが、自分の生活は実は「死」と地続きなのだと感じました。同時に自分が生きている事への感謝、そして無為に過ごしていた数ヶ月への後悔が湧き上がってきたのです。

前を向いて歩こう

思えば、アイセックに全身全霊で没頭していた頃、特に支部経営に携わった2年間は、それまでの人生の中で最も色鮮やかで濃密でした。

痛みや苦しみや悔しさも全部ひっくるめて「俺はいまこの瞬間を全力で生きてるんだ!」と思わず叫び出したくなるような、そんな青臭い日々。自堕落なひきこもり生活とは対照的な、充実した時間でした。

もうこれ以上、逃げるのは辞めよう。「自分は生きているんだという感覚」を持ち続けられる、エキサイティングな人生を送ろう。両極端な2つの時期を経験して、僕はそんな風に思うようになりました。

ヨガの聖地・リシュケシュで2週間のヨガ修行も体験

「あの興奮」を追いかけろ

それではアイセックでの強烈な日々は、何によってもたらされたものだったのか。これまでを振り返って整理してみると、下記の5つが主な要因のように思えました。

  1. 当事者意識を持てるテーマにおいて
  2. 自らが大きな責任と権限を負い
  3. 前例のない価値ある取り組みを始め
  4. 信頼できる仲間と共に
  5. それを拡大させ「世の中を変える」ことを目指す

ちょうど、ホリエモンショックが過去のことになり、かつての「ベンチャー」ブームが「スタートアップ」と名前を変えて戻って来ようとしていた2010年。

日本に帰り就活っぽいことをしながら色々な人の話を聞いて考えてみると、自らスタートアップの立ち上げに従事することは、先述の5つの条件を満たす働き方のように思えました。

特に思い入れのある領域や、解決したい課題があった訳ではありません。どんな事業でも良いから、あの高揚と興奮をまた味わいたい。そう思ってスタートアップの世界に足を踏み入れることになります。

Find your tennis ball. -Drew Houston-

マナボとの出会い

その後、ひきこもり生活やインド放浪でしばらく大学に顔を出さなかったことが響き、留年。思いがけず卒業まで猶予が出来ました。

そこでまずは小資本で出来ることをやってみようと思い、独学でプログラミングを学習。「オンライン寄せ書きサービス」などいくつかのWEBサービスを個人で作って運用し、事業化を検討しました。

もう閉じてしまいましたが、今でいうyosettiのようなサービスでした

しかし、根が臆病な僕は、ビビっていました。創業社長というのは、個人保証をつけて最後の責任をとる立場です。そして、スタートアップは統計的にはほぼ全て失敗します。

結局、当時作っていたサービスに対して僕は「この事業の為になら最悪一緒に沈んでも後悔はない」という覚悟は持てなかったのです。

であれば、そう思える「何か」に出会えるまで、その先で活きる修行をしよう。そう思って、ソフトウェアエンジニアとしていくつかの会社の立ち上げに携わるようになります。

そのうちの1つであるマナボの代表・三橋とは「学生起業家をスタートアップの聖地・シリコンバレーに無償で連れていこう」という企画のイベントで知り合いました。

東大の工学修士2年目だった彼は卒業後に外資系の戦略コンサル会社に就職予定で、それまでのパートタイムプロジェクトとしてmanaboを作ろうとしていました。

後にATカーニーを経て東南アジアで農業スタートアップempagを創業することになるさいちゃんと三人で、週に2–3日でmanaboの原型を開発。他チーム含め約10名と共に、シリコンバレーに3週間ほど滞在しました。

みんな大好きYCにて。とにかく、この旅は最高だった!

そして2012年秋、三橋が内定先に断りの連絡を入れ、本格的にmanaboにコミットすることを決断。2週間ほど迷った末に、僕も一緒にやっていこうと決めました。

いくつか関わっていた会社の中でマナボを選んだのは、自分が取締役・№2として経営の中心に携わる経験が積めること、先述した5つの軸に概ね合致すること、などが主な理由です。

マナボでの日々

修行も死ぬ気でやらないと意味がないし、その価値がある事業だと思ったのですごく頑張りました。最初の1年強はオフィスに住み、8–24時×週7日で働き、必要な事は未経験でも気合いで学び全部やりました。

当時はこの隣の部屋に寝袋を持ち込んで寝ていました

初期はサーバーサイドの開発を担当。

ある程度動くものが出来てきたものの収益化まではまだ遠く、生活費のために他社の業務委託の案件に割く時間がもったいなかったので、三橋と一緒に投資家を回ってシード資金3,800万円を調達。

プロダクトが出来てお金も調達できたもののお客さんがいないので、次は営業に従事。

お客さんが捕まったと思ったら契約書がないので、つてを辿って顧問弁護士を探す所から法務を担当。

…そんな調子で、デザイン、開発ディレクション、採用、広報、アルバイト育成、CS、マーケティングなどを歴任しました。肩書きはつけませんでしたが、社内全般を見るCOO的な立ち位置です。

チームとしては、さいちゃんが卒業・就職と共に離脱し、一時的に離れていた三橋の幼馴染・川上が戻ってきて3人のフルタイムからスタート。

きちんとお給料を出せるようになった段階で、当時ベンチマークしていた会社の元共同創業者でGoogleのAPIエキスパート、当時クックパッドで新規事業担当エンジニアをしていただいちゃんがCTOに。

その後もクレディスイスIBDで働いていた学生時代の友人・こーいちや、元頓智ドットCTOのスーパー人格者・近藤さんなど、書き始めるとキリはないですが素晴らしいメンバーが集まりました。

アルバイトのチューターさんも良い子達が集まってくれました

役員からの降格

変化が訪れたのは2015年6月。代表の三橋より、任期満了と共に取締役から退任して欲しいと伝えられました。

いま思うと当時の僕は、よくいえば愛と気合いに溢れたブルドーザーのような、悪くいえば学生ノリを引きずりプロフェッショナリズムにかけるような、そんな仕事の仕方をしていたように思います。

経験豊富なミドル〜シニア層含め20名近くまで組織が大きくなった事から、もう少し “大人な仕事の進め方” が必要でした。しかしその頃の僕は、組織の急激な変化に自分の成長が追いついていませんでした。

また他にも、一部株主の意向、5人いた経営陣のスリム化で意思決定の速度を上げたい、などの背景もありました。そこで不本意ながらも会社の為に、僕(ともう1名)は役員を降りることにしました。

従業員として残った理由

こういった人事の後は、主に人間関係のこじれから、降格させられた元役員はそのまま退職するケースが多いようです。僕も最初はその選択肢をとろうと思っていました。

しかし当時、1年近く大半のリソースを投下してきたtoC事業が思うように伸びていませんでした。また同時にネット企業の「上場ゴール」が騒がれ、シリーズA以降の資金調達環境が悪化しつつありました。

つまり、会社が厳しいフェーズに入ろうとしている状況だったのです。

そんな時に、僕のような立場にある人間が辞めるのは、逃げではないのか。苦しい時にこそ踏ん張り、逆転出来る人でありたい。そこには同時に、アイセック時代に挫折から逃げ出した過去を清算したい、という意地もありました。

そこで僕は、会社の状況が好転するまで、従業員として残って頑張ることにしたのです。

下り坂

予想はしていましたが、それからは辛い、暗い日々が続きました。

僕は傷ついたプライドを守る為、過度に自己防衛的に。自分が会社としての意思決定を担える立場でなくなったことも相まって、それまで縁のなかった他責的な思考が頭と行動を支配するようになりました。

自我の膨れ上がった当時の僕は、本当に嫌な奴だったと思います。そんな自分が嫌で嫌で仕方なくて、でも自分をうまくコントロール出来なくて、数ヶ月間はことあるごとに隠れて1人で泣いていました。

会社としては、事業面では苦戦していたtoCから気合いで売ればキャッシュが入るtoBへ、組織面では開発者中心の20名から営業中心の6名へ、大転換を断行。社内の雰囲気は日に日に悪くなっていきました。

逃げずに向き合い続ける

すごく辛かったので、何度か「やはり辞めてしまおうか」と考えました。しかし役員降格も、会社の状況悪化も、僕自身の未熟さが一因となって起きたことです。

残って頑張ると一度自分で決めた以上、どんなに辛くても歯を食いしばろう。自分たちの舵取りがもたらした結果ときちんと向き合おう、と思いました。

創業からの数年間を振り返り、丁寧に反省を重ねること。そしてその学びを目の前の仕事に活かし、再び上昇気流に乗せるため出来る限りの貢献をすること。淡々とそれを繰り返し続けました。

谷を越えて

そんな日々を経て、およそ1年。昨年11月に発表したZ会・栄光グループとの資本業務提携は、会社が大きな谷を越えたことを示す象徴的な出来事でした。

地方在住の高学力層からの有料転換率が相対的に高いマナボにとって、Z会を購読している生徒は間違いなく日本で1番相性の良いセグメントです。

また今回のラウンドで2.5億円を調達し、頼もしい新たな仲間が続々と加わり、改めて勝負をかけるに充分な体制を作ることが出来ました。

ここまでの1年は本当に長かった

組織としてのレジリエンス

何より大きいのは、今回の危機を経て組織としてのレジリエンス(復元力)がまた一段と高まった、という点です。

これまでも絶体絶命の危機はありました。最重要顧客との共同事業の開始初日にサーバーダウンした事。残キャッシュ残り2ヶ月の段階で、あとは判子をついて振り込むだけだった資金調達が白紙に戻った事。

会社は生き物であり、こうした浮き沈みがあるのは当然です。大事なのは、そういう場面でいかに踏ん張り抜くことが出来るか。その積み重ねが組織の強みになっていくんだと思います。

今回も三橋は揺るがぬ背中でチームを引っ張り、僕たちはやるべき事をやり切って、再びモメンタムを取り戻しました。マナボは苦しみ抜いた1年間で、数字には表れない大きな成長を遂げたのだと思います。

苦闘は偉大さが生まれる場所である -Ben Horowitz-

この5年間を振り返って

個人として負うリスクは限定的ながら、ほぼ何もない状態からの急激な拡大プロセスに経営陣の一角として携わるという経験。これほど恵まれた「修行」の機会はそうそうなかったんじゃないかと思います。

そして役員降格と、その後の辛いフェーズで状況が好転するまで頑張った経験は、僕に大きな自信と変化をもたらしました。僕はこれから一生、あの時の自分を誇りに思うでしょう。

この5年間の様々な出来事とそこからの学びを書き出したら膨大な量になりました

退職と同時に結婚しました

プライベートでも大きな変化があり、マナボ退職と同時に結婚しました。「20代のうちは自由な立場でいたいなぁ」などと考えていた自分が28歳にして結婚するに至ったのも、成長の証なのかもしれません。

うちの奥さんまじかわいい

きっかけはプロポーズにあたっての悩み

さて、時は遡って2016年1月。プロポーズを検討するにあたって、僕たちは同棲生活を通して生活習慣の相性を確かめつつ、双方の価値観・人生観のすり合わせを進めていました。

某中央官庁で働く妻は、僕と同じくらい人生における仕事の優先度が高い「戦闘民族」です。けれど一方で僕達は2人とも「我が子を育てること」も同じくらい大切にしたいのだとわかってきました。

そんな折に話題になったのが「保育園落ちた日本死ね」という、はてな匿名ダイアリーの記事

それまで待機児童問題は「どこかの誰か」の話だと思っていました。しかし結婚・子育てを意識していたタイミングだったこともあり、あの記事の筆者は自分達の未来の姿のように思えてなりませんでした。

この匿名ブログは社会的にも保育関連の政策が一気に進展するターニングポイントでした

待機児童以外にも、双方が仕事に情熱を抱く夫婦ほど、いまの東京での子育てには様々な大変さがあります。マナボのパパ・ママ社員達や子供の生まれた友人の話を聞く度に感じていた事でもありました。

僕はこの人と結婚したい。しかし仮にこのまま結婚し子宝に恵まれたとして、自分たちは幸せになれるのだろうか。終いには、もっと家庭の優先度が高い女性と結婚すべきなのだろうか、とまで考えました。

仕事の延長線上に家族の幸せを位置付ける

そんな風に悩んでいたある日、僕はふと気づきました。

取り巻く環境が厳しいなら、自らそれを変えていけば良い。未来の自分たち自身、つまり共働き子育て家庭の課題を解決する事業を立ち上げれば良いじゃないか、と。

それは同時に、人口減少に苦しむ日本社会の課題を解決することにも繋がります。そしてずっと探していた「この為になら人生を賭けて挑戦して仮に失敗したとしても後悔はない」と思える事業領域でした。

また役員を降りて以来、自身が負う「責任」と「権限」の低下にストレスが募っていた事も背景にあります。自分は仕事において異常なほど強いオーナーシップを求めるタイプなんだと思い知りました。

とはいえ結婚と同時に起業し収入が不安定になるというのは、相手にとってもおおごとです。そこで「仮に我々が結婚したら」を枕詞に、60年ぶんのライフイベントの見通しと家計計画を共有しました。

プロポーズ前からこんな話をするなんて変な奴だ、と笑われたのも良い思い出です。見通しの不確かな道を歩まんとする自分を受け入れてくれた妻には、本当に感謝しています。

初デートの地・横浜で、ジャズライブの後に観客100人以上の前でバラの花束を渡してサプライズ(?)プロポーズ

まずは保育・子育て領域を知る

人生を賭けて取り組むのだから「ちょっとした便利アプリ」などではなく、本質的で深刻な課題を根本から解決する事業を創りたい。その為には既存の保育産業を内側から詳しく知らなければと感じました。

そこで伝手をたどってご縁をいただき、2017年3月から1年間、様々な保育事業を運営する認定NPO法人フローレンスで、フルタイムの社会人インターン(業務委託)として働かせて頂いています。

まずは事務方として、また秋からはいち保育士としても(資格取得しました!)保育業界に浸ります。しばらくは平日夜や週末に創業準備を進め、フルタイムで自身の事業に取り組むのは来春からの予定です。

通常はやっていない採用ポジションを作って頂いた駒崎さんや職場の皆さんに、とても感謝しています。期間限定ではありますが、出来る限りの貢献をし、また学び多き1年間にしたいと思っています。

恩返し的に新規事業の立ち上げも担当しています

Be the change that you wish to see in the world.

また「共働き世帯が子育てしやすい世の中を創る!」と謳うからには、自社こそがそういう会社でなければ説得力がありません。

創業すぐの時期はともかく、事業を拡大し仕組み化を進めるフェーズになったら、社員、そして自分自身も、子育てと仕事を両立出来るような組織を作りたいと思っています。

スタートアップ界隈の人にとっては「何を寝惚けたことを」という感覚かもしれません。実際、数年前の僕も同じ考えでした。

しかし学生時代からのメンター・小室淑恵さんが出産と同時に創業したワーク・ライフバランス社は、残業なしで急成長しています。彼女の話を聞いていると「やってやれないことはない」と思えるのです。

公私ともに最高のロールモデルです

先述のフローレンスも原則として残業禁止ですが、年2割の成長を続け、売上20億円、最終利益5%、という驚異のNPOです。これから1年で、そんな組織のあり方もしっかり吸収していきたいと思っています。


最後に

自分語りの長文をここまでお読み頂きありがとうございました。最後にお願いがあります。

一都三県在住・未就学児あり・フルタイム共働きのお父さんorお母さんへ。曜日・時間帯問わず、23区内どこでも、お茶代はもちますので、30分程のユーザーインタビューにご協力頂けないでしょうか。

ユーザーインタビュー参加登録はこちらから

ソフトウェア開発、またはデザインによる問題解決を武器に「世の中を変える」ことにチャレンジしたいあなたへ。せっかくこんな長文をここまで読んでいただいた訳ですし、どこかで一度お茶でも行きませんか。

もしお互い気が合いそうなら、平日夜や週末に事業計画のディスカッション・ユーザーインタビュー・プロトタイプ構築を一緒にやってみるなど、期間を区切って試しに並走してみましょう。

コンタクトはFacebookから(フレンドでない方も歓迎です)

P.S.

最後になりましたが、マナボはここからが1番面白いフェーズです。今後もより良いサービスに発展し、10年後には世の中の教育のあり方を変える会社になっていることでしょう。

心残りもかなりあるのですが、色々なタイミングに背中を押され、志半ばで僕は道を違えることになりました。今後はいち株主としてとなりますが、出来る限りの応援をしていきたいと思います。

我ながら良い笑顔!

マナボは教育に革新を起こすべく「ホームランか三振か」を地で行く大胆な挑戦をしています。そのぶん苦労もありますが、教育分野に志がある方にとっては素晴らしい挑戦の場である事は保証します。

興味のある方は下記から採用ページを覗いてみてください。

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