あらゆる物事に、「ゼロ」を足すという考え方。


あらゆる事象がすべて、0と1で表現される世界が実現できたら。


こんにちは。先週末より仕事でお休みをいただいていました。その間もブログを休止していたのですが、今日から再開します。

さて、お休みの期間中は実家に帰省していたのですが、ひとつ、不思議な出会いがありました。博多駅前のベンチで一人のんびりしていると、快活そうな(僕は最初「学生かな?」と思ったほど。実は年上の方でした…)男女がやってきて「アンケートにご協力して下さい」とのこと。アンケートの中身は「ワクワクするものはなにか」「今の時代に変化を感じるか。また、変化は必要か」というものでした。

なんでこんなアンケートをとっているんですか?と聞くと、そういう逆質問を受けることがあまりないのか、饒舌に「人間の感情を動かす瞬間について調べている」と話をしてくれました。うむ?なんか面白そうだな、と、日頃色々な方にインタビューしている職業病が発動し、アンケートを受ける立場ながらアレコレ相手に質問しつつ……いう変な構図に。色々話をしたのですが、密度が濃すぎるので、色々はしょります。出てきたキーワードとしては、

・感情の機微をデジタル化する事を研究し、理論が完成した
・デジタル言語が行き渡れば、博多の街も全て立体コンピューター化する
・すべての物質、構造が「0」「1」で表せる、マトリックスみたいな世界になる
・機械を人間に寄り添わせるのではなく、人間が機械に寄り添えばいい

などなど。直感的に「あ、やべー。この人達なんかすげー事やってそう」と思い、その場で明日の予定を聞き、連絡先を交換して、翌日ランチに行く約束を取り付けました。我ながら、10年前の自分からはまったく想像できないバイタリティ……。


で、翌日のお昼に博多駅近くのカフェで二人と再会。めっこり1時間半ほど話しました。宇宙ひも理論からはじまり、仏教や物理学、量子力学、金融工学……まあ話が広がる広がる。これらの中にある課題や問題点は、すべて一つの問題に帰結する、というのが話の骨子だったわけですが、傍から見ると完全にアブナイ宗教系の話をしている集団にしか見えなかったかと思います。笑

ただ、出てくる話は極めて真っ当で、興味深い事ばかり。なかでもいちばん感銘をうけたのは「ゼロを付け足す」という着想でした。以下長文です。


例えば、機械は「そこに何かある(=1)」ということは判別できても、「そこに何もない(=0)」ということは判別できない。そこまで考慮したシステムを構築しようとすれば、空間は莫大に広がっており、処理能力がどれだけあっても足りなくなってしまうため。

※この辺りは「オープンワールド」と言われるゲーム分野でも課題になっている。今のゲームは「何もない」ということを一々描写する必要があり、各企業はその描写を実現する高性能なゲームエンジン開発に躍起になっています。

ただ、人間と人間のやり取りの中には「そこに何もない」ということも感覚的に理解したコミュニケーションが発生している。“言葉の裏を察する”“行間を読む”というのはその一例。目に見えない何か、発生していない事象など、その「何もない」という感覚を機械やシステムにも取り入れる必要があり、その発想が「ゼロを付け足す」ことで解消しようとしている。(ここには量子力学的な要素も含まれている?)

(例)
ある介護ロボットが、ベッドで寝たきりの患者の口元まで食事をスプーンで運ぶとする。今のロボットはプログラミングした範囲でしか動けない。なので、口元10センチまでスプーンを持ってくるという風にプログラムを組めばいいが、もし万が一誤作動(暴走)を起こした場合、患者に怪我を負わせるかもしれない。そのため、ロボットの可動範囲を口元50センチまでにとどめて、仮に暴走しても良い様にしておく(おかざるをえない)。そうなると患者が体を動かさなくてはいけなくなり、それが介護ロボットの“限界”とされてしまっていた。
ただ、介護ロボットに「何もない」が認知できるようになれば、あるいは「ここまで持っていければ、患者さんが無理なく食べられる」ということを理解できるようになれば、上記の問題は一定の解決策を手に入れることができる。ここでいう「ゼロ」とは何か。それは主観ではなく、客観的な視点。「イチ」を自分とするなら、「ゼロ」は他者。人間がロボットに対して抱く「ここまでしてくれたらいいのに」という感情の揺れ動きをロボットが理解できる様にする。そのために、「1(+0)=1」「1(+0+0)=1」という概念を組み込んだデジタル言語(別名:イメージ言語とも)を作りたいと考えている。
正確には言語は既にあり、あとはテクノロジーとして完成させるだけ。新たなOSを構築中。ロボットは膨大に存在する「ゼロ」を全て計算するのではなく、人間が無意識に行っている、目に見えない“何か”だけを処理するような仕組みを整えてあげることで、これまで限界とされてきた壁を軽々と越えていくことができる。
デジタル言語はあらゆるものに適用される。ロボットやシステム間の情報連携だけでない。例えば、博多の街並みですら、さながら映画「マトリックス」の0と1で表現される、そんな景色に変わる。そして、デジタル言語をコンパイルすることで、人間にもデジタル言語で世界が見えるようになる。相対する感情の度合い、世界中を飛び交うWi-fiの繋がり、「雰囲気」という曖昧な言葉を解析したその場の空気、ブームとバブルの境目、キリスト教とイスラム教を隔てる俗世感の違い……それは「自分が見ている世界を、世界中の誰もが同じものを見ている」と断言できる世界。

……合っているのかなぁ、コレで。笑 話が非常に難しく、またややこしかったのですが、まあ面白かったんです。そんな事実がほんの少しでも伝わってくれれば……。


彼ら曰く、「日本人はこのゼロを付け足すという客観性を、どの民族よりも身につけている」とのこと。農耕民族であり、単一民族というバックグラウンドがそうさせている、と。自らの想いを積極的に主張・発信する欧米諸国とは違い、慎み深く、思慮を持って相手に接し、表に出さないことを察することを美徳としてきた日本人の特性がその感覚を育んできた、と。「だからこそ、この概念を日本から世界に発信していきたい」と話していました。

他者、第三者の観点を持つ。この発想は自分自身にも今すぐ生かせるものだと思います。よくビジネスの場面で「経営者視点を持て!」とか言われますが、そういう高尚な話ではなく、単純に人と人が分かり合えるには、相手の立場に立って一番手っ取り早い手段であり、確実な方法が、この複数の観点を自分のなかに持つことなんだろうな、と。個人の感情や信念までデジタル言語化できれば、誤解が生じなくなり、その一つの究極系がガンダムに出てくる「ニュータイプ」という存在なんでしょうか。(わからない人はすいません)

宗教的なんだけど、非常にデジタルという不思議な体験。世の中はまだまだ自分が知らない、不思議で溢れているな、というお話でした。

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