最近、NewsPicksなんかでもよく読書の記事がバズってたりするので、思うことを書いてみます。
本って読む人はすごく読むし、読まない人は全く読まないですよね。
ぼくは読書に関して思うことは一つで、
向上心を持てば、自然と本を手に取るようになる
ってことなんです。
というのも、何事も勉強していると情報収集の中で書籍には必ず必要性を感じるようになると思うからです。
一見読書と関係なさそうな、スポーツとか、音楽とか…、いろいろあると思いますが、何事も理解を深めていこうと思えば、必ず専門書にに行き着きますよね。
本を読むと、自分の無知さに打ちひしがれて、また別のテーマで本を探しに行ってしまうものです。
そしてその中で謙虚にもなっていきます。
よく学校や会社で強制的に読書の時間をつくるところもありますが、あれ、時間のムダな気がします。あの瞬間に読書に目覚めるなんてことがあるんですかね。。読まされても血肉にならないというか。
読書をするっていう行為は、姿勢・生き方のあらわれであって、それ自体を強制したところで何の意味もないと思うのです。
この流れだと、タイトルで書いたことと矛盾しているような感じがしますが、それを自身に課すかどうかという点で見るとまた別です。
これ、最近ふと思ったのですが、もしかしたら普段まったく本を読まない人は、本を読む人に対して、
(きっと本が好きだから読んでいるんだろう)
と思っていることが少なくないんじゃないでしょうか。
これ、半分は正しいと思います。
でも、これはぼくの推測ですが、本を普段から読む人には
(読まなければ!)
という思いも強くあると思います。
要するに、本当は読むのダルいけど成長のために読むのだ!って思いで読書している人は多いです。きっと。
文字を追うのは疲れますからね。ゲームやってたほうが楽しいです。
ですから、本を読むという行為は自分に抵抗をかけて、忍耐力を鍛えているというような部分も強いと思います。
そうそう、最近この自分に抵抗をかけるっていうことにいろいろ思うところがあって。
人は自分の感情を放っておけば、楽なほうへ楽なほうへ向かってしまいます。
そこでどれだけ、そこにブレーキをかけて自分を律することができるか、そこがその人が何かを成し遂げることができる人間かどうかの分かれ道になるんじゃないかなって思うんですよね。
本にもよりますが、読書には忍耐が要ります。
だから、普段から楽なほうへ流されない自分を作るためにも
読書はそれ自体に価値があるのかも
と思った次第です。
ただ、最近はネットでも有益な情報がたくさん溢れています。
ブログとかで良い記事を公開する人も多いですしね。
なんだか、ぼくはそういうこともあってか、読書量としては昔より減っているような気がしています。
書籍とネットに分散したという感じでしょうか。あ、あとメルマガとか。
きっとぼくが欲しい情報はそういった類のものなのでしょうが、本は一つの作品ですから、その意味では本はネットには代えられないものです。
本って、著者が人生をかけて考えてきたことを詰め込んだものですよね。一冊読んでそのエッセンスを感じ取れるなんて、本ってすごく都合の良いものです。読まないともったいない。
最近はWEB開発系のことで頭がいっぱいだったのでそっちの情報収集ばかりしていて。。全然本読んでなかったのが悔しいなぁ。
なんか、ぼく本めっちゃ読んでます!みたいなこと書いてきましたが、ぼくは難しい本とか苦手です。はい。