「つらい」と言わない

Web系ソフトウエアエンジニアの間でよく使う単語に「つらい」というものがあるが、これはあんまり良くない言葉や態度だなと思う。

ソフトウエアの相性が悪い、組織の風通しが悪い、設定が面倒くさい、問題が混沌としている、そもそも解決策もわからないが面倒くさいのは間違いない…… 彼ら(我々)が「つらい」と語るのは概してこういうときだ。

状況説明も嫌なほどに面倒くさい、そういう時の形容として使う。

雑談であれば、そうやって済ませることもあるだろう。日々の愚痴なんてそんなもの。ストレスの発散だ。嫌なことなんで思い出したくない。

だけど、この「つらい」を技術や道具の評価にも使う人がいる。これは本当にロクでもないと思う。

道具の組み合わせが上手く行かない、なんてのは、この世界ではよくあることだ。現代のソフトウエアは其々が複雑に入り組んでいて、其々を使うだけでも一定の知識が求められる(故に技能として認められる面があるのだが)。別に使うに限った話ではない。ソフトウエアを開発したり、開発以前の問題設定にしたって、それを何が問題なのか設定する(決定する、と言い換えても良い)事が技能であるし、何かを進める為に必要になる事だ。

それを「つらい」という一言で覆い隠すのは簡単だ。自分の技能の無さ、問題の理解度、などなどをひっくるめて片付ける事ができる。

だが、これは本当にロクでもないことだと思う。本質的に難しい問題なのか、自分の問題なのか、扱うソフトウエアの問題なのか、それを探求せずに解決したつもりになれるからだ。何も問題を見つけることが出来ていないのに、現象を認識したつもりになり、ともすれば自分や組織の問題ではない、と、はぐらかしているに過ぎない。それでいて当人は問題を見つけて共有したという気分でいるのだから始末が悪い。何も見つけることすら出来ていないのに。

問題と向き合うのを恐れる腰抜けになってはいけない。そこに問題があると認識し、それを明らかにしなくては何も解決はしない。それを為すのがプログラマの仕事なのだ。

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